第2話 異世界の森

 ──『異世界転生』。平成中期から末期にかけてライトノベルという形で爆発的に広がったジャンルの一つ。基本的にな要素は、意図せず若くして亡くなった主人公が圧倒的な力を使って世界を救ったり、ただ平和に暮らしたりなど内容は様々である。


 自分の今の状況はまさしく、その『異世界転生』だ。だが、そこには意図しないイレギュラーが存在していた。


「何で唯乃ゆのがここにいるんだよ。やっぱ……これは夢なのか?」

「──んにゃ、間違っていないと思うよ。ボクもなみなみならない体験したしね。そういう兄さんこそ、大学サボってたのにどうしての」

「そう……だな」


 あっけらかんとした様子で告げる妹の姿に、少し頭が冷えたのが分かる。同時に、彼女の言葉を深々と噛み締めた。


 俺は自分が体験したことを話した。昼からバスで大学へ向かったこと、バスでの移動中、車に横から潰されたこと。俺が話し終えると、妹も淡々と口にする。走ってカードショップに向かったこと、自転車にかれ、そのすぐ後に車にも轢かれたこと。お互いが明確に死んだことを実感する。


 『死』──やはり俺はあの時、赤色の暴走車によって潰された。あの速度と位置から考えて、おおよそ即死といったところか。痛みも何も今の身体には残っていないが、想像するだけでも身の毛がよだつ。覚えてないのは幸いだろう。


 身体に加えて記憶の確認もしておく。

 俺は吾妻あがつま結幸ゆき、大学2年生。家族は両親と妹、俺の4人。妹は唯乃、高校2年生で物を集めるのが趣味。


 思い出しつつ、何を思い出すべきか分からなくなってしまった。ここに来る直前の記憶もあるわけだし、深く考える必要は無いかと頭を横にふる。


 ちらりと、妹の姿を捉えた眼が上下する。


 純日本人の黒い髪。前髪の一部の束が幼少期の事故の影響で真っ白に変わってしまっているのが容姿一番の特徴だ。地元の進学校の制服に校章の刻まれた鞄といった、いかにも登下校の途中であったことが伺える。

 顔色も悪いようには見えない。顔や服にも傷などはなく、朝見かけた通りだ。少し機嫌が悪く見えるのは、どうせ新段パックが買えなかったことが不満なんだろう。

 それはそれとして、自分が死んだと理解していながら彼女はとても冷静に見えた。


「お前は何でそんな落ち着いてんだ?」

「そりゃあ、時間があったから……かな?」


 俺が「時間?」と聞き返すと、唯乃は空の太陽?を指差した。


「ボクはアレが昇り始めた頃からここにいるんだよ。たぶん、6時間ぐらい。そんだけぼーっとしてたら、落ち着きもするよ」

「ろ、6時間……」


 それだけの時間、この何もない平野を眺めて何を考えていたのか、それは彼女しか分からない。ただ、動こうという意志も沸かない程、精神的な影響があったと推測する。


 まあどうせ、カードのこと考えてたんだろうが……。


「ちなみに俺は? その口ぶりから考えて、横でずっと寝てたって訳じゃあないんだろ?」

「数分前、ほんのついさっき、急に現れたんだよ。いきなりボクの横が光ったと思ったら、すぐそばに兄さんが寝てたんだ。朝からここにいて、やっとどうしようかまとまってたのに、兄さんが現れたせいでどっかいっちゃった」

「俺の所為かよ」


 呆れて口が塞がらなかったが、いつもと変わらない姿を見て、俺も段々と頭が冴えてきた。


 俺はその場でゆっくりと立ち上がり、自身の体と持ち物の確認を行う。体に違和感はなく、むしろ少し軽いと感じる。それもそのはず、俺には荷物が無い。鞄を肩にかけた妹と異なり、俺が持参していた鞄は手元にない。おそらく、死ぬ直前に身に着けていたものだけがここにあるのだろう。足元に置いていた鞄は見事に没収されていた。


「唯乃は今何持ってる?」

「ボク? んんー、教科書とか重たいものは全部学校に置いて来ちゃったから、筆記用具と財布にスマホ、タオルに、あとはコレクションブックぐらいかな」

「そんなもんだよなー。俺、スマホも鞄に入れてたから何も持ってな──ちょっと待て、コレクションブック?」


 妹がコレクションブックと呼ぶものはただ一つしか無い。手帳サイズのカードケースで、彼女が『お気に入り』と呼ぶ『Weapon MasterS』のカード計20枚のことである。中には抽選品や、大会参加賞品など割とレアなカードも入っており、下手な学生の財布の中身より高価だったりする。


「学校に持っていくなよ。没収されるぞ」

「されないよ。先生と約束してるから」

「前科ありかよ。お前らしいっちゃらしいが」


 今日何度目かの呆れ。ため息の後に、未だ座ったままの唯乃に手を伸ばす。彼女は首を傾げながら、差し出された手を握る。


「? どうしたの?」

「何時までここに座ってるつもりだ? 悪いが、俺は6時間もここにいる気はないぞ。とりあえずどこか人のいるところまで行こう」

「見渡すかぎり原っぱだけど?」

「遠くに、簡単に舗装された道っぽいものが見える。それをたどっていけば、少なくとも誰かいるところには出るんじゃないか?」


 とは言え、見える道は左が山へ、右が森へと続いている。どちらも好んで進みたい場所ではない。特に、こういった見知らぬ土地では尚更のこと。


 唯乃は「おっけー」と返事をし、勢い良く立ち上がる。

 俺が見えると言った道はどうやら彼女の身長では見えないらしく、自分の小ささに少し落ち込んでいたりするが、俺は軽くいなしてから繋いだままの手を引く。


 自分もそうだが、妹の手も微かに震えていた。当たり前だよなと、彼女の手を強く握り返す。


 道なき道を進むこと30分、該当の道へと到着。都合のいいことに着いたところが別の道と、山と森との合流地点だったらしく、何やら文字の書かれた看板が立っていた。



『← ファルディティア山脈

 → ドラ平野

 ↑ ロヴァの森(王都)』


 書かれてある内容を読み、少しの間沈黙が広がる。


「読める……な。なんとまあ、都合のいい」

「便利ならいいんじゃない? あとは人としゃべれれば生活には困らないと思うけど」

「そうだな──言い訳も考えとかないとな」


 この世界がどんなものかは未だ不明。それでも、言葉や文字は分かるが一般常識の無い、旅人というには荷物の少ない兄妹。王都から察するに、十中八九出入口には衛兵のたぐいが立っている。この怪しい二人組の説明を考えておく必要がある。


 とりあえず、看板の指示に従って『ロヴァの森』の方向へと足を進める。


 森にも平原同様の舗装された道が延びている。森に入れば微かに生物の気配があり、空を見上げれば鳥のような生き物も見かけられた。明らかに毒々しいキノコや見たことのない草花など、思わず背筋を強張らせる。緊張する俺とは対象に唯乃はその光景を楽しんでいるようで、完全に物見遊山といった様子である。


 知らない土地で安心出来ないことは事実だが、それ以上に妙な点がある。それはこの舗装された道だ。

 第一に道幅があまりにも狭いことだ。サイズはちょうど元の世界の歩道ぐらいであり、おおよそあのだだっ広い空間を徒歩で歩くとは思えない。馬車なり、似たような交通手段を使うならもう少し道幅は大きく、馬車が行き来できる程度には作らなければ意味がない。

 次に、道が綺麗過ぎることだ。人が歩けば足跡が、馬車なら車輪の跡が付く。だがこの道にはそういったものはなく、まるで今舗装されたばかりのようだ。


 加えて、誰かに見られているような気がして正直落ち着かない。とはいえ、特に何かあるわけでもない。進む以上に今できることはないと自分に言い聞かせる。


 ぼんやりと思考を巡らせていた頃に唯乃が袖を引っ張る。


「そういえばさ、さっき言ってた『言い訳』ってのはどうするの?」

「──ん? あぁ、どうしようか」

「兄さん、そういう系の本好きじゃん。それだとどんな理由でっちあげるの?」

「でっちあげるって言うなよ。うーん、無難なのは野党とかじゃないか。世界観を問わず、物を奪うような輩はいるだろうしな。ファンタジーっていうなら──」


 そこまで口にして、ふと思い出す。ほんの小一時間前のことだ。ここで目覚めたばかりの頃に見上げた空にいた生き物は何だった、と。翼を持つ、体表が鱗で覆われた生き物なんか1つしかない──ドラゴンだ。

 曲がりなりにもここは竜がいる世界なのだから、当然、現実にはいなかったファンタジーな生き物の生息も考えられるわけで。


 ふと、先程の視線の正体が気になった。背後の奥、道から外れた雑木林の木の裏。頭上もそうだ。枝葉の先、葉に隠されたその向こう。あらゆる方向から突き刺すような、あるいは舐め回すような感覚が襲う。


 俺が気付いているように、妹も状況がよろしく無いことを察したようで、彼女の両手で俺の片手が覆われる。


「ね、ねぇ。……ファンタジーなら、なんだって?」

「そりゃあ、だろ! 行くぞ!」


 合図と同時に唯乃の手を強く握り、勢いよく走り出す。それを皮切りに膠着していた空気は破壊され、背後から多種多様な音が響く。


 草木をかき分ける音、肉食動物が吠え、大量の羽音に嘲笑うような甲高い声が聞こえた。後ろなど見ずとも、音だけで何が追ってきているか想像がつくのが嫌だった。


「走れ走れ走れ走れ!」

「なになになになに!!」


 完全にパニック状態で、それでも互いの手を強く掴んだまま全力疾走する。狼か、蜂か、はたまた小鬼ゴブリンか。異世界基準で言えば全部駄目なやつだ。少なくとも、転生直後に出くわしていい手合いではない。


 ひたすら前だけを見て道を進む。中途半端に道が曲がりくねっており、途中で減速を強いられる道がしばらく続いた。そのたびに背後の音が大きく、近くなっていくのが如実に感じられ、今にも泣き出しそうである。


「──っ!?」


 次の瞬間、急に視界が開けたかと思えば足裏の感触が消える。強く踏み込んでいるのに、両足は宙を泳ぐばかり。バタつく足元に目を向ければ、そこには何もなかった。


 崖。断崖絶壁とまでは行かないが下まではかなりの距離がある。


 飛び出した慣性も終わりを告げ、身体は重力に従順になる。落下の瞬間に唯乃を頭から抱え、法則に身を任せた。


 着地までは一瞬だった。地面に叩きつけられる覚悟が決まるより先に僅かな衝撃と、水の冷たさが身体を支配した。上下があべこべになりつつも空気がある方へと手を動かす。


「っぷはぁっ! ぁぁぁ……」

「うぅ、ゴホッ!」


 手首から先が空気に触れると同時、土の感触を掴んだ。間髪入れず地面に掴まり、抱えた唯乃の身体を引っ張り上げる。俺も妹も口から水を吐き出しながら、大地へと上がった。

 俺は空を仰ぐように寝転び、唯乃はうつ伏せのまま死んだように伸びている。荒い呼吸はどうにも思考を止めてしまって、何が何やら分からないままでいた。


「はぁ、はぁ、はぁ。とりあえず──」

「た、たすかったぁ」


 生あること実感し、安堵する。戻りつつある意識が目線を崖の上へと向ける。自分たちが飛び出した場所にはとうに何の人影もなく、辺りを見回しても一緒になって落下した形跡はない。


「あっ! あああああああああっっっ!!!」


 改めて助かったのだと一息ついたのも束の間、隣で倒れていた唯乃が大声をあげ、飛び起きる。何かついてきてしまったのかと同様に飛び起きるが、彼女の絶叫の理由をすぐさま察した。


 唯乃は肩の鞄を下ろし、中を漁っていた。慌てて取り出したそれはといえば。


「無事! 無事だよ! タオルでくるんでて正解だったぁ」

「はぁぁぁ、びっくりさせんなよ。……やっぱそんな大事なもの持ち歩くなって、ったく」


 呆れを通り越して、微かに怒りを覚えた。引っ張り上げずに、そのまま川に放置すべきだったと後悔する。そんな気などつゆ知らず、唯乃がカードブックを大事に抱きしめ――自身が濡れていることを思い出し、指先で摘んで身体から遠く離し、それでも無事であった事実にニコニコと一人忙しそうである。


「……少し、寝るか」


 生まれた怒りは疲労によって睡魔へと変化した。緊張の糸が切れると、横ではしゃぐ妹の声はすっと遠退いていく。世界は段々と暗くなり、視界は下がる瞼で覆われる。


 そのまま俺は眠気に身を任せ、不意に意識を手放してしまった。

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