42.空中ブランコ 前編
タチツテ、タチツテ、タチツテター
ピーヒャラ、チャチャチャ、ドンドンドン……
山のむこうから、陽気な音楽が聞こえてきます。
サーカスがやって来たのです。
何台ものトラックとトレーラーが連なっています。
トラックには、たたんだ大きなテント。
トレーラーには、団員たちが乗っています。
町はずれの空き地に、あっという間に、赤と白のテントがあらわれました。
テントのまわりには、スナックやおみやげの屋台がならびます。
カラフルな看板とのぼりも立ちました。
準備ができたら、町でパレード。
笛やたいこを鳴らしながら、ポスターをはって、チラシをくばります。
子どもたちは大はしゃぎ、大人たちも興味しんしん。
ポスターやチラシには、芸人たちの似顔絵と、ステージネームが書いてあります。
たとえば、空中ブランコ乗りは『空中の天使』というように。
あくる日から、公演がはじまります。
ジャグリングに、玉乗り、人間ピラミッド。
かるわざ師の「ネコ少年」は、10段イスのてっぺんで逆立ち。
体がやわらかい「タコ娘」は、両足の間からにっこり笑顔。
砂漠の笛吹きがコブラをあやつり。
北国のコサック男が炎をふけば、南国のフラ・ダンサーが火の玉をのみます。
休憩に、ピエロのパントマイム。
占い師の
ナイフ投げの的には、なんと、はりつけの美女。
もうじゅう使いの団長がムチをふるうと、ライオンが火の輪をくぐります。
ステージのラストをかざるのは、空中ブランコです。
空中ブランコをつとめるのは、ひとりの娘でした。
バレリーナのような白い衣装で、天井につられた足場に登場します。もしものための安全ネットや、命づなはありません。
まずは、つなわたり。
ロープの上を歩き、まん中でジャンプして宙返り。細いロープに両足で着地すると、お客はワッと歓声。
おつぎは、空中ブランコでぐるぐるぐると3回転。ゆれるブランコに足首を引っかけて、ポーズ。
お待ちかねは、大ジャンプです。
いきおいをつけて、ブランコから手をはなし、天井のはしからはしへ――空を飛んで、もう一方のブランコへ。両手をのばして、飛びうつりました。
足場にもどると、かかとをクロスして、優雅におじぎ。
お客は拍手喝采でした。
ステージが終わっても、今夜のサーカス団はにぎやかでした。
テントの前でたき火をして、みんなが集まっています。
今日は、べつのサーカス団から、新しい団員が何人かうつってきたのです。その歓迎パーティーです。
みんな、ピザやバーベキューを食べ、ビールをのみ交わしています。
わいわいと楽しそう。
ただひとり、空中ブランコ乗りの娘だけは、テントの足場から下りて来ません。
足場の上で、ひざをかかえて、パーティーの声を聞いていました。
娘は、芸の練習のために、いつでも空中にいるのです。
子どものころから、大人になった今でも、ずっと。
ごはんはテントの足場の上、寝るときはテントの天井のハンモック。
シャワーとトイレも空中です。専用のシャワールームが、団長のトレーラーの上にあるのです。
サーカスが移動するときは、団長のトレーラーの天井にも、ハンモックがつられます。トレーラーまでは、ロープをかけて、つなわたりで行きます。
みんなそれを知っているので、むりに下ろしはしないのです。
新しい仲間たちも、サーカスになれて、ステージに立つようになりました。
看板やポスターに、新しい芸人の似顔絵が描かれ、サーカスはますます活気づきました。
そんなある日。
空中ブランコ乗りの娘は、足場の上から、トゥシューズを落としてしまいました。
下をのぞきこんだとたん、ヒョーイッと高く飛んで返ってきました。
娘が両手におさめると、「ナイスキャッチ!」と声がしました。
地上から見上げているのは、新しい芸人の大男。彼が投げてくれたようです。
「……怪力男、さん」
「お、知ってくれてたのかい。空中ブランコの娘さん」
「出し物を上から見てた、から」
『ジャングルの怪力男』。
それが彼のステージネームでした。
看板やポスターにも、似顔絵とともに、でかでかと書かれています。
その名の通り、彼は、全身が緑色の大男でした。
うでは丸太のように太く、にぎりこぶしはスイカのように大きいのです。
重い岩でジャグリングし、本物のスイカをにぎりつぶす、怪力の芸をしていました。
ステージに登場するときは「ジャングルでゴリラに育てられた野生児」という前口上がのべられます。
「ジャングルで育った、でしょう? ゴリラと、友だち?」
「ははっ、それはサーカスのふれこみだよ。人間の親がいて、ジャングルには行ったこともない。緑のはだは、トレーラーで染料をぬっているのさ」
手で顔をこすると、緑色が落ちて、娘とおなじ色のはだがあらわれました。
娘は「そう……」とつぶやきました。
その少し残念そうな表情が気にかかったのでしょうか。
大男は、ときどき娘に話しかけに行くようになりました。
下からジャグリングを見せたり、世間話をしたりします。
たいていは、天気の話や、興行をする町の話。
大男は上を見上げて、娘は下をのぞきこんで。ふたりとも、少し大きな声です。
「なあ、このサーカスはいいところだな」
「そう……?」
「ああ! 団長は団員思い。団員たちは、芸人も
娘は首をかしげました。
大男は「いや、いいんだ。忘れてくれ」と、大きな手を口に当てました。
何回目かに大男が来たとき、娘がたずねました。
「どうして、ここに来る、の?」
「いやかい。いやなら来ないよ」
「いやじゃ、ない、けど。ふしぎ、だから」
大男は、「おれはきみを尊敬しているんだ」と答えて、つづけます。
「下から見上げて、きみの芸にあこがれていたんだ。おれの体じゃあ、重くてそこまで上がれない。宙返りしてジャンプなんて、とてもできない。空中曲芸は華やかで、まさにサーカスの花だ。お客を一番楽しませられる」
大男は、はじめて娘の芸を見た日のことを思い返しました。
ステージのそでから見ると、空中を飛ぶ娘の背には、つばさが生えているように見えました。
おそれもおびえも知らないような宙返りと大ジャンプ。
小鳥か天使のように軽やかに舞う姿は、重力やこの世のしがらみからも解き放たれたように、まぶしく見えたのでした。
「芸だけじゃないぜ。むずかしい芸を見事にこなす、これまでの練習も尊敬しているんだ」
「わたしは、空中に住んでる、から。ふだんとおなじことを、している、だけ。あなたのほうが、すごい。みんなの、役に、立ってる。テントの片づけをするとき、一番たくさん、荷物を持ってる」
「――はじめて言われたよ。出し物だけじゃなくて、そんなところも見てくれていたのか」
「上にいるから、よく見えるの。わたしは、見ている、だけ。なにもしてない」
大男は「そんなことはない」と、大きな両手をふりました。
「きみが空中で暮らしているのは、芸のためだろう。一日中、芸の練習をしているんだ。これは、一日中はたらいているのとおんなじだ。おれや他の団員たちは、夜は寝るだけだが、きみは眠っている間も練習している。その練習があって、空中曲芸が成功して、サーカスが人気になる。つまり、きみが一番はたらいているんだ」
娘は目をぱちくりしました。
そして、天井を見つめて、だまってしまいました。大男の言葉について考えていたのです。
団員たちのトレーラーにクッキーの差し入れがあった日、大男は、娘におすそわけに行きました。
ところが、娘はことわりました。
「おかしは、だめなの」
「きらいかい」
「禁止、なの。体重が変わると、バランスが取れなくなる、から」
大男は、おかしのおすそわけは
クッキーを見たときの娘のひとみから、本当は食べたいことを見ぬいていたのです。
「これならどうだい。くだものは焼き菓子よりヘルシーだし、栄養も豊富だ」
娘がコクンとうなずくと、大男はリンゴを高く投げました。
「ナイスキャッチ!」
「あり、がと」
娘は、手のひらでつつんで、赤い実を見つめました。それからぽつりと言いました。
「むかし、あなたみたいに、
「へえ! どいつだい」
「今は、いないの」
「そうか。そいつも力じまんの芸人かい」
「芸人じゃ、ないわ。ゾウだったの。ハナハナって、名前の」
娘はぽつぽつと話し始めました。
サーカスに飼われて、芸をしていたゾウなの。
ジャグリングや玉乗りが、とても上手だった。
それに、とても優しくて、わたしが落とした物をひろって、長いはなで空中にわたしてくれた。水浴びを手伝ってくれたり、おやつのリンゴをわけてくれたりした。
テントに来てわたしに会うと、はなをのばして、頭をなでてくれた。空中ブランコの練習がこわくて泣いているときは、せなかをさすってくれた。
わたしの、一番の、お友だち。
……年をとって芸ができなくなったから、団長が手放したの。
動物園にゆずったって。
だから、今は動物園にいるの。
どこの動物園か知らないけど……
いつか、会いたい。
もうおばあちゃんだから、死んでしまう前に。
大男は太いうでを組んで、むずかしい顔をしました。
「……どうし、たの?」
「ああ、いや。あ、会いに行ったらいいじゃないか。休みをとって」
「だめなの」
「どの動物園か、団長に聞けば――」
「わたし、空から下りられない、の」
数年前、ハナハナがサーカスを去るときのことです。
テントの外まで、見送りに行こうと思ったのです。
なわばしこを下ろし、空中の足場から下りようとしたとき、気づきました。
足がふるえて下りられないのです。
見送りには、行けませんでした。テントで会ったのが、最後。
「なぜだい?」
「地上が、こわいの」
「地上が? ふつうの人がこわがる、つなわたりや空中ブランコを平気でこなすのに」
娘はまた、ぽつぽつと話しました。
……子どものころから、
空中ブランコやつなわたりの芸のために、団長がそうしたの。
ものごころがついてから、ずっと、空中で生活している。
ごはんも、寝るときも。
シャワーやトイレも。
足場やハンモックは、いつもゆれているの。グラグラして、止まっていることがない。だから、落ちないように、バランスをとるの。
そうしていたら、いつのまにか、地上に下りられなくなっていた。
どうしてかわからないけど、とてもこわいの。空中ブランコやつなわたりよりも。
ずっと、空中にいたから……?
しいんという沈黙。
娘は、沈黙に絵の具を落とすように「でも本当は」と言いました。
「わたし、わたしね。ゆれない地面を歩きたい。細いロープやブランコの上で、落ちることに、おびえて、いないで。それが、わたしの、夢なの」
大男は、泣くのをこらえるような、笑うのをがまんするような顔をしました。
「とらわれているんだな、きみも」
「きみも?」
「いや、なんでもない」
大男はむずかしい顔にもどって、帰っていきました。
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