14.花と人魚

 むかしむかし、ある人魚は、陸の世界にあこがれていました。

 ある朝、魔法使いの人魚にたのんで、1日だけ人間にしてもらいました。

 魔法のききめは、日没までです。

 太陽が海にしずむまでに帰らないと、水のあぶくになって消えてしまいます。


 人間になって砂浜に上がり、おばあさんの用意してくれたワンピースとくつを身につけました。

 そして、人間がくらす陸の世界を見てまわりました。

 しかし、思いえがいていたほど、すばらしい世界ではありません。人魚はがっかりしました。

 人間の町は、ごちゃごちゃとしていて、海のほうがずっときれいです。

 水の中はきもちいいし、どこへも泳いでいけるのに、人間たちは地面にへばりついています。人間の体は重たくて、すぐにくたびれてしまいます。

 おまけに、することといえば、あくせくはたらいたり、あらそったり。

 海の生きものたちは、ゆかいに遊んでくらしていますが、人間は苦しんでばかりのようです。

 ちっとも、うらやましくなんかありません。


 でも、陸の世界でひとつだけ、海よりもすばらしいと思ったものがありました。

 それは「花」でした。

 海の中に花はありません。人魚は花をはじめて見たのです。

 はじめはサンゴかイソギンチャクだと思いました。色とりどりで美しいサンゴやイソギンチャクもあります。けれど、それらよりもはかなく、かれんなものです。

 顔を近づけると、ふわりといいかおりがしました。

 さまざまな花をさがして、陸の世界を歩いていきました。


 町をぬけ、森をぬけ、荒れ地に出ました。

 そこは、人も動物も住んでいません。けれど、小さな小さな花が、ところどころに咲いています。

 それをたどっていくと、荒れ地のかたすみに、谷を見つけました。

 その谷底には、とてもとてもきれいな花畑が咲きほこっていました。

 どの花もきれいだけど、今日見た中で、ここがいちばんです。

 人魚は、花がほしくなりました。もうにどと、陸に来ることはありません。ですから、海草のベッドのそばに、かざっておきたいと思ったのです。

 あたりを見まわすと、すわって谷底を見つめる、ひとりの男がいました。つばひろぼうをかぶり、リュートをかかえた吟遊詩人ぎんゆうしじんです。

 人魚は吟遊詩人に話しかけました。

「あのきれいなものは、あなたのものかしら?」

「え?」

「あそこの、きれいなものよ。あれ……」

「花のことかい? だれのものでもないよ」

「ハナっていうのね。じゃあ、小さいのをひとつ、もらってもいいかしら。持って帰りたいの」

「それは、よしておいたほうがいいよ。花は、つみとると、しおれてしまうのさ」

「持っては帰れないのね」

「いいや、持ち帰る方法はあるよ。心で持って帰ればいいのさ。こうして、ここからながめて、美しさを心にとどめておくんだ。そうしたら、どこにでも、花を持っていけるんだよ。それも、一輪いちりんだけじゃない。この景色のすべてが、自分のものになるのさ」

「でも、忘れちゃったら悲しいわ」

「忘れたって、心の中からはなくならないさ」

 吟遊詩人はそう言うと、リュートをポロポロとつまびきました。


 ふたりはならんですわり、谷底の花畑をながめました。

 人魚は花畑にむちゅうで、時が流れるのも忘れていました。

 いつしか、夕日に照らされ、花畑はまっかにそまりました。

「ぼくは、夕ぐれのこの谷がいちばん好きなんだ」

 吟遊詩人のことばで、人魚ははっと気がつきました。

 もう日没がせまっています。


 人魚はおおいそぎで、荒れ地と、森と、町をかけもどりました。

 はじめの砂浜をかけおり、夕日がしずむのといっしょに、波にとびこみました。かんいっぱつです。


 夜の海の中はまっくらです。

 人魚は海草のベッドで、花畑のことを思い出しました。

 目をとじると、まぶたのうらに花畑があるようです。

 とても幸せなきもちにつつまれ、あの人の言うとおりにしてよかったと思いました。

 ところが、どうやら、花畑といっしょにあの人も、心の中に持ってきてしまったようです。

 となりで花畑を見つめた、あの人の横顔が心にうかぶのです。

 そのときも、人魚は幸せにつつまれました。

 それは、まるで、南からのあたたかい海流に、ぽかぽかとうかんでいるようです。

 けれど、どういうわけか、むねにぽっかり穴があいて、つめたい水が流れるような、そんなきもちにもなるのです。


 おしまい。

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