エチュードの雨が降る

 彼女を車に乗せるまで気を抜いてはいけない。あいつを真理子さんに近づけさせてはいけないんだ。今この瞬間に早瀬千聖が暴挙に出ることがあっても全く不思議ではない。それは歴史通りのことが起こるというだけで、その方が可能性でいえば高いくらいだ。


 ある程度の距離を取るまでは油断できない。気を張りすぎて背中の神経とかおかしくなりそう。もはや背中の表面が神経で覆われているみたいだった。


 少し迷った末に僕は傘を開いた。何かがあった時、閉じているよりも盾として役に立つ気がした。頭上の樹木から落ちてくる雫の音がボタボタと傘を持つ手に響く。二人のいる位置まで慎重に進んでから早瀬千聖を振り返った。あちらも僕の方を見ていたがすぐに顔を背けた。見てなんかいませんよとでも言いたげに。いつぞやの「見てんじゃねえよ」とは明らかに取り巻く空気が違っている。


 それを見て、やはり気が小さいのだという期待値は少し高まる。頼むからそのまま変な気を起こさないでくれ。というか変な気はそのまま抑えておいて欲しい。変な気でいるから此処へ来たのだと僕は知っている。


 まだ起こしていないだけで、これからあの男は数々の実績を作る。過去でだって僕が知らないだけで何をどれだけやらかしてきたことか。




――――――――――――――――   ――――――――  ―――― ――  



 早瀬千聖とすれ違った地点からここまで、二車線分ある坂道を挟んで、更にそこから普通自動車4台分は距離がある。もしも何かしてこようとすれば応戦も可能に思えた。かかってこい、とまでは思わないけれど反応はできると思う。



 けれども


 ―――――――これだけのことだった。



 こうして彼女が一人ではないことを相手に知らしめるだけで防げる未来だったんだ。僕は肩から一つだけ荷物を下ろした気分になった。下りたのは一つだけだ。まだ幾つも残っている。今日のところは防げたというだけなのだから。震える膝が僕を笑っている。



「送って行こうか?」



 真理子さんが言った。晴れやかな口調ではあったが表情は強張っている。当たり前だ。なのに、なんて気丈なんだろうと思い胸が締め付けられる。僕は動揺してしまって言葉も出てこなかった。頭が真っ白だ。怖かったと締め括るのは尚早だろう。早瀬千聖が立ち去っていないことは正面にいる由樹さんの顔色を見れば明らかだった。



「送っていくよ、お礼に」

「え、そんな」

「夏海さん、送ってもらいましょう」

「そんな・・・そうですか?」



 もう一度、早瀬千聖を振り返った。まだ立ち去っていない―――顔は傘で隠しているがやっぱりこっちを向いているのがわかる。軍師たちが歩きださないのはこの場所で時間稼ぎをした方がいいと考えているからだ。駐車場の場所を突き止められるのは避けたい。今日は僕らが護衛できるが明日以降また同じようなことが無いとは言えなかった。




「駐車場まではまだ歩くけどいいかしら?」



 真理子軍師、さすが―――――!実際には駐車場はこの目と鼻の先にある。一瞬だけ気を抜くと、忘れていた寒さと雨の冷たさを思い出した。体がぶるっと震える。



「では途中でお茶でもしませんか?駐車場までの間に喫茶店を見つけたんです」

「行ってみたい!気になってたの、でも一人では入りづらくて」



 今日は逃げ切れたとしても、明日はどうなるかわからない。雨は降らない予報だった。喫茶店なんて本当は無い。打ち合わせにない即興芝居が始まり、薄ら笑いも浮かばないほどの緊迫感が漂っていた。あの夜の嘘つきグランプリと変わらないのに僕は上手い言葉が何ひとつ思い浮かばない。


 早瀬千聖はまだ同じ場所に立っている。こっちが話している内容までは聞こえていないだろう。雨の音が大きかった。あの男の所在を確認するのは一分間に何度かなのに時間が過ぎるのが物凄く遅く感じる。早く立ち去って欲しいというのが、ここにいる全員の声に出さない満場一致の願いだった。




――――――――――――――――   ――――――――  ―――― ――  




 偶然を装った以上―――という理由をもしも主張したいならば、身動きが取れないということもあるかもしれない。では偶然でないのなら何故ここにいたのかということになる。


 一般的に思いつく理由としては誰かを待っている設定あたりが妥当と思われたが、この時代では外出してしまったら最後、連絡手段もないので携帯電話を見るような素振りもできない。確認できるのはせいぜい時計くらいだろうが間が持つまい。せめて文庫本でも持っていれば話は変わってくる。好感度も上がる気がした。別に誰も通らないけれど。


 いや、そんなことより真理子さんに気が付かれていることは早瀬千聖本人だってわかっているはずだ。あるいは本懐こそ潰えたが、あわよくば笑って話しかけてほしいとでもいうような思惑があったりするのか。



「間が持たないのはこっちも一緒ですね」



 僕が呟くと軍師たちが首を振って激しく同意した。でも二人は話を繋いでいてすごいと思ったよ。



「じゃあ、もう行きましょうか」



 真理子さんが少し大きめの声で言った。まだ九月だというのに吐く息が白い。そのタイミングでパトカーが現れた。僕と真理子さんが来た方向からだった。



「ごめんね、寒かったでしょう」

「大丈夫ですよ」

「行きましょう、行きましょう」


 

 真理子さんの笑顔には強張った部分が無く、光が射していた。僕と由樹さんも同じだろう。赤いパトランプは希望の光だった。



 パトカーはゆっくりとした速度で何かアナウンスしながらこっちへ向かってくる。早瀬千聖が「あっ」と大きな声をあげたみたいだった。何かを思い出したように、芝居がかった―――人のこと言えないんだけど―――挙動でパトカーの前を横切ってゆく。市役所の方角へ足早に立ち去って、すぐに姿は見えなくなった。歩くのが早い。




「・・・助かったね」




 真理子さんは大きく息を吐いて胸を押さえる。パトカーが僕たちの脇をゆっくりと通り過ぎて行った。














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 “あのスレ”に居合わせた彼らを繋ぐ合言葉をひっそり募集します。チーム名みたいになると嬉しいですが、そうでなくても何でも結構ですので、ダサいのください。後半の大事な場面(クライマックス)で登場させたいので思い付いた方はコメント欄にご記入いただければ幸いです。


 ご応募いただいた作品は全て作中で登場させていただきますが、一番ダサいことを言った方が優勝です。



 ダサ1-climax









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