氷山の一角
9月25日 日曜日
昨夜はオリンピックが盛り上がりを見せていて、僕はラジオを消して由樹さんと一緒になってTV中継を観て興奮した。一方で国内には自粛モードが強まりつつあった。開催される予定だったイベントは中止か見送りされるものも多いようだ。それもニュース番組から知った話だ。やや賑わいを失った商店街がブラウン管に映し出されていた。粛々と平成が近付いてきている。
それとキョンシーが怖すぎる件。テレビ画面に映っただけで思わず息を止めてしまう癖ができた。面白いって言った香具師でてこいよ。面白いんだけどさ、こんなに怖いなんて思わなかった。
「僕らが知ったのは氷山の一角なんでしょうね」
「・・・はい」
氷山の一角。僕の手を伸ばせる距離と届く範囲。知ることのできる範囲内に入った。あれから由樹さんに話した、真理子さんが襲撃を受けた事件と同じようなこと―――あるいは早瀬千聖の悪い行いのこと、どちらかであるのだと思う。僕は溜息混じりに由樹さんの言葉に頷いた。思い出した怒りに震えそうになるのを堪えながら。
味噌汁の出汁が利いていてとても美味しいと伝えると由樹さんは嬉しそうだった。それにやはり温まる。お椀を持った指先からも温もりが体に流れ込んでくるようで。ささやかだけど、そんな朝食を幸せだと感じる。あれ?新婚さんかよ、とも思う。違うよ?
「おにぎりを作ったので、お昼ご飯に電車の中で食べましょう」
「―――――なんですって!?」
スーツケースを玄関に運んでいると背後から声をかけられた。振り返ると朝食の後片付けをしてくれていると思っていた由樹さんが、買い物袋を持ち上げて揺らしている。だから新婚さんか、って!袋の垂れ下がり具合から重量を感じた。
「めっちゃ嬉しいんですけど!マジですか!?」
「マジですよ、うふふ。ゆで玉子とウインナーもあります」
「やったぁ!」
僕はもう、文字通り小躍りして喜んだ。大本命は目玉焼きなんだけどね、それは内緒にしておく。今日はいつもよりも少し早く家を出る予定になっている。先日と同じ駅裏の旅館を予約してあった。先週あの旅館でマユルくんと話した夜は結局あのまま寝入ってしまった。温泉には入れず、その代わり朝ごはんの前と後で忙しなく堪能することとなった。
自粛モ・・ムードの強まる中、温泉街での連泊は旅館側から大層喜んでもらえた。割引してくれるとまで言ってくれて僕も嬉しい。そんなところを由樹さんは見抜いたのだろうか。本当に、純粋に好物ばかりのお弁当が心の底から嬉しい反面で情けない。この件が落ち着いたら何か副業でも考えようか。僕に何ができるだろう。
***** ***** ***** ***
今晩降り始める雨は明日の夜までは続くという。この当時の天気予報を信用しているわけではないが、マユルくんから聞いた話によると雨であることは確実だと思われたため傘を一本ずつ持って家を出た。雨が降るのは他県で、しかも明日だ。晴天の日曜日に傘を持って歩くのを少し怪訝に思う人もいるかもしれない。
「これがあるから何か察してくれるかもしれません。出張とか」
由樹さんがスーツケースに目を遣る。ああ、そういうこともあるかもしれない。そもそも僕らに気を留める人なんていないだろう。自意識過剰はよくない。この時代の危機管理など。徒歩10分もかからないバス停までの道中で教習所の車とすれ違った。助手席に座るのが誰かは見ていない。強く吹きつけたのは湿気を孕んだ嫌な風だった。
僕たちの乗るバスは時刻表よりも3分ほど早く来た。終点の駅から各駅停車に乗って大宮駅まで向かい、特に滞ることもなく特急電車に乗って由樹さんの作ってくれた昼食を摂る。ごく普通の、予定通りの一日を過ごしていた。
***** ***** ***** ***
旅館ではこの前よりも少し広い部屋に通してもらえた。窓から見えるのは竹垣だけだった庭の向こうに今日は山並みも広がって、世界が少しだけ拓けた気になる。さあ!風呂に入るぞ!その為に早めに出発したんだから。というのもあるが、今回は滞在が少し長い。荷物が多かったので早めに預けてしまいたかった。
当初は月曜日に早瀬千聖の働いていた施設を訪れる予定だったのを保留にした。チェックインした後で施設へ出向くことも考えたが、それも保留。複数ある施設のどれかを特定できていなかったのと、日曜に対応してもらえるのか定かではないのが理由だった。明日の月曜日は全力で真理子さんを護衛することに満場一致で決まっている。だから今日は、兎にも角にも温泉だ!
***** ***** ***** ***
[気になる子の家に電話したら兄貴っぽい人が出て、学校はどこかとか何の知り合いかって聞かれたことある]
[怖すぎる]
[お兄さんは警察官か何かだったの?]
[昭和?]
[>昭和? 平成になってからだ]
[兄貴は普通の会社員]
[地元のゼネコンだからエリートだな]
【ピュアだったの?】
[イッチ、おかえり]
[>1降臨]
[>1オツ]
【ただいま!】
【オツ!】
[>1 ピュアってだけではないな]
[むしろ下心があるだけに後ろめたかったのでは]
[それな]
9月26日 月曜日 午前
昨夜降り出した雨は、さすがに雪になることはなかったが自粛モードを一層深めるかのように辺りを冷やしながら降り続いた。この当時の11月の寒さを僕は知らないんだけれど、令和でならもっと年末とかの冷え込みに近いような気がした。雪の心配をするくらいには寒い。朝、旅館を出た時にはもう少し温かった気がする。
温泉の公衆電話からアポを取った後で僕と由樹さんは銀行の支所店を訪れた。内線番号を伝えつないでもらった手前、電話では短めにアポを取るだけに留めていた。
「大瀧さんに電話でお願いしています」
前回とは手法を変えて真理子さんが担当するという投資案内に申し込んでおいた。また番号札を受け取るが今回は一枚だけ。
「お仕事中にすみません」
「いいのよ」
家に電話すれば良かったのだと解っていた。だが、いざダイヤルしようと思うとどうしてもハードルが高かかった。お父さんが出たらどうしようとか、お母さんが出て「どういう知り合いですか?」なんて聞かれたら。もちろん下心なんて少しも無いんだけど。
おまえら、バカにして悪かったよ。家電のハードルは想像してた以上に高い。あの時は笑いながら見ていたけれど、実際に家に電話をしようとなると本当に怖気づくものなのだと思い知った。
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“あのスレ”に居合わせた彼らを繋ぐ合言葉をひっそり募集します。チーム名みたいになると嬉しいですが、そうでなくても何でも結構ですので、ダサいのください。後半の
ご応募いただいた作品は全て作中で登場させていただきますが、一番ダサいことを言った方が優勝です。
ダサ1-climax
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