所有は法の九割
「実家では自分も含めて一人一台外車を持ってるっていうから、学生証がなくても免許証あるなら身分証明書になるよって教えたの」
「あっ・・・」
「トランス状態に突入しそうですね」
「はっwほんっと、多分その状態!初めて聞いたけど!」
水の入ったグラスを叩きつけるように置き、目を血走らせてブツブツ何かを唱え始めたかと思えばテーブルに置かれた紙ナプキンに何やら長文を書き始めたり。何それ怖すぎる。ついでに指摘すると自動車免許も持っているか怪しいものだ。
「それで、今思い出したんだけど」
真理子さんが頬杖をつく。マニュキアの薄いラベンダー色に朝は気が付かなかった。
「従業員のお財布からお金が減ってたり、自転車とかブランドの時計が失くなったりしたことに早瀬くんが失踪した後すぐ気付いたらしいのよ」
気付いた―――のではなく、正確には声が上がった。
早瀬と名乗る男は以前、真理子さんにブルガリの時計を自慢したそうだ。「更衣室に置いてあったから拾った」とのことだったらしい。もう、それを聞いただけで違和感を禁じえない。
元の持ち主が「それ何処にあった?」と聞くと、更衣室にあったと早瀬千聖は答えた。答えただけで返還されることは無かった。これはパンの販売に訪れた職員さんから真理子さんが聞いた話だ。また別の被害者は早瀬千聖に以前から何度も自転車を貸していたという。それが常になると断りなく鍵を持ち出して使用することもあり、路上に放置するせいで警察から電話がくるので迷惑していたそうだ。
「―――――所有は法の九割とは謂いますが」
シャーロックが顔をしかめる様子は、その謂れを肯定するようには見えなかった。恐る恐るだが僕は言ってみる。
「人間性の問題ではないんでしょうか」
だって、あまりにもぶっ飛んでいる。
由樹さんも真理子さんも頷いてくれたので僕は安心した。価値観の乖離は時に人間関係を打ち砕く。そうなってしまうことを密かに僕は恐れていたんだ。何かと気後れする話題が出た後だったから。―――――僕もそちら側の人間なのではないかって不安が芽生えていた。
自分は崇高な常識人だと思い込む迷惑人間である可能性を疑った。安心したけれど、でもこの感性は―――疑いは持ったままで在りたい。僕の持ち合わせている常識は最低限に過ぎない、時代を越えてまで通用するものではないのだという認識を失ってはならないと自分に言い聞かせる。
「お財布に関しては中身が減ってる気がする、って思ってて言い出せなかった従業員さんが何人も出てきたみたい」
「―――ベテランの手口ですね」
そうなんだ?でもそうなのかも。もし自分が同じ目に遭っても、少額であれば自分の思い違いかもしれないと考えて声に出せないことはありそうだ。例えば同じ種類のお札を財布に一万円札を何枚もとか千円札を何枚もとか入れていたとしたら、一枚足りないような気がしても多分言えない。
そう考えると巧妙な手口かもしれない。「あながちバカではない」と思った理由はきっとそこら辺にある。そういった手腕には長けているのだ。恐らくは本能か、あるいは常習的に繰り返す中で身に付いたのか。
この時代ならお給料は手渡しで、引き落としがあれば銀行に預けなければいけないとか、家賃を支払いに行かなければならないという理由で財布に数万円が入っているなんてことはあったかと思う。カードなんて持っているのはトレンディドラマに出てくるバブリーな層の話だった。現実的には現金が主流なのだ。
***** ***** ***** ***
由樹さんがメモ帳を取り出した。
八月末の月曜日。
審査の結果について施設に連絡があったのは早瀬千聖が姿を暗ました直後のことだ。この時点で真理子さんは早瀬千聖のことを、どうもこの男は何かがおかしいと思いながらも確信を持てずにいた。
そして翌日の火曜日。
確固たる事実を知ることになる。彼女が二度目に早瀬千聖と食事に行った―――――財布を盗まれたと言って支払いを逃れた—――――その日の午後、銀行の市役所本庁店宛に本部の審査係からメール便が届いた。そこには件の人物に対しての確認と注意事項と、ポールを折られていたことについてのやはり注意喚起が書かれている。
「さすがに怖くなったんだよね」
犬を蹴ったという発言も、それが嘘だとわかっていても。そういった発想が浮かぶことに対して狂気を感じていた。それを何故か面白いと思っているところにも。他にも彼女の耳を汚した野蛮な
防犯カメラがあったわけではないので早瀬千聖がやったと特定はできていない。しかしながら逆恨みの原因やタイミングを併せて考えてもほぼ間違いないだろう。当人自身その時は自分がやったと知って欲しい願望があったのではないか。どうだ恐れ入ったか、俺を怒らせるとこうなるんだと知らしめたくてやったのでは。
「怖いですよ」
「それは怖いです」
そんなバカ怖い。
「ありがとう」
真理子さんが「えへへ」とはにかむ姿は無理をしているように見えた。彼女の強がりと抱いていた恐怖が強調される気がして胸が痛む。
「でも、もう大丈夫です」
真理子さんには近づき難くなった筈だが、小谷青年にも共有して気にかけてくれるよう頼んでおこう。彼は幸いにも同じフロアに勤務している。島野さんにも協力を頼むことができれば早瀬千聖は庁舎に姿も見せられなくなるだろう。時間帯に縛りはあるかもしれないが防げないよりは警戒させておいた方がいい。
「嘘がバレるのを恐れる人間に対してなら効果があると思うんです」
知り合いと知り合いが自分の知らないところで情報を共有していることは多少の脅威になる気がした。双方に違う嘘を吐いている可能性は極めて高い。僕はそんなアクロバティックな嘘を吐いたことはないから、今思い付いた酔っ払いの想像でしかないんだけれど。うん、全く以て未知の世界だ。僕の稚拙な想像力では追いつかないぞ。
「呼んでもらえれば私たちもできる限り駆け付けますから!」
由樹さんが熱く言い放った。
「ありがとう!」
真理子さんの表情も明るくなる。いいねえ!
本当に「できる限り」になってしまうとは思うので申し訳ないが。来週の28日までには必ず決着をつけるから、それまでは用意おさおさ怠りなく。そう自分に誓った。
その前に忘れてはいけない、先月末の―――――その八月は末日が水曜日になるので前週の土曜日のことになる。半ドンの夕方、島野さんが小谷青年に「由美子さんにちょっかいを出す男がいるので注意した」と話していたことを。
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“あのスレ”に居合わせた彼らを繋ぐ合言葉をひっそり募集します。チーム名みたいになると嬉しいですが、そうでなくても何でも結構ですので、ダサいのください。後半の
ご応募いただいた作品は全て作中で登場させていただきますが、一番ダサいことを言った方が優勝です。
ダサ1-climax
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