All The Young Dueds ③

 廣瀬さんの著書が欲しいと頼むと快く用意してくれた。


「あ、ほんと?いいよ」と軽いトーンで既刊のものを全て紙袋に入れてくれて。このイケオジときたら女子力まで高い。紙袋はHORN(ほるん)の物だった。何重にも丸まった金管楽器が描かれている。多分パンを買った時の物だろうか。




「サインも!」

「ねえよ!サインなんか!」



 普通に生きていてそんなもんあるわけないだろう、と笑った。廣瀬弁護士は普通に生きているのだろうか。果たして。




********************



 コーヒーがまだ熱い。重度の猫舌である僕には飲めそうになかった。




「タバコなんて次に吸える時間がわかっていれば何時間かは我慢できるんです」




 仕事の前に吸ったら昼休みまで我慢できる。昼休みが過ぎたら仕事が終わるまで我慢できる。それを言うと「だったら禁煙できるんじゃないの?」と聞いてくる人がいるが、逆に聞きたくなる。



「なんでそのくらい我慢できないの?」



 だいたい禁煙しようなんて思っていないのに余計なお世話なんだ。僕は好きでタバコを吸っている。喫煙に費やす時間が空いたらどうしていいのか、きっと解らなくなる。




「懐かしい感覚だな」




 わかるよ。と廣瀬弁護士は声高らかに笑う。彼はよく笑った。きっと自由というか自分に正直に生きているのだ。誰にでも真似できることではない素晴らしいことだと僕は思う。


 実際、人生の途中まで彼は確実に自由に生きていた。バンドを組んで好きな歌を歌って好きな絵を描いて海外を渡り歩いて。美術大学の出身だと知って諸々と腑に落ちた部分がある。その反面で、随分と若くして司法試験に受かったことにも驚愕する。そこに思い立った経緯にも興味が湧いた。著書を読むのが楽しみだ。もっと早く読んでおきたかったとも思う。




「此処では好きに吸って構わないよ。副流煙で良いから吸いたいくらいなんだ、遠慮しないでくれ」

「では、その時が来たら」




 世界は優しい嘘で溢れている。そんなこと解っているのに彼は嘘なんて吐かない気もした。彼を信用しているから彼の言った言葉は僕にとって真実になる。だから後ほど、お言葉に甘えようと思う。




「どうぞ。ベランダに出ろなんて言わないから」

「鍵閉めないでくださいね」




 そういうことが少し前にあった。依頼人はニュース番組の特集でも見たことのある非営利団体代表の女性だった。お会いするにあたり講談の動画を試聴したし、会う約束をした日には実際に足を運んで聴講もしている。闘病と社会復帰についての講話で、聴講中に泣き出す人もいて僕もその一人だった。それなのにベランダに締め出されるなんて。酷暑だぞ。




「ああ近藤さんか、何回か会ったことあるよ。あの人ふざけてるだろ」

「楽しい方でし――――あっ」




 今のは個人情報の漏洩ではなかったか。少なくとも依頼者が誰であるかを彼には特定されてしまった。自分の失態が恐ろしくてコーヒーの温度がわからなくなる。信用とは。



 

「大丈夫だ、訴えられたら弁護してやるよ」

「・・・・・はい、その節は」




 いや。そういうことでもないんだけど、その節は。




「冗談だ。彼女から君に会うことは聞いていたから心配しなくていい」

「あっ」



 なんだろうか。この人の、この安心感は。ぐにゃりと心身ともに脱力した僕を見て廣瀬さんは嬉しそうだ。それはそうだろう、悪戯が上手くいったのだから。




「それに君が近藤さんの依頼を達成すれば依頼自体が無かったことになってるんだから大丈夫だよ」




 彼の「大丈夫」は、大丈夫なんだろうなと安心させてくれる力があった。それだけに――――――――


 無かったことになってる。

 依頼人からしたらその通りなのだと思い知らされる。解っている。依頼の内容を無かったことにする為に僕は「おまえら」と会っているのだから。それが成し遂げられた時、達成感と共に何か複雑な感情を僕は手にすることになるだろう。




「タバコの話に戻るよ。僕も好きで吸っていたからさ、今だって吸いたくて夢に見ちゃうくらいだよ。だけど一日でも長く生きたいと思ったんだ。人生の半分以上吸っていてね、意味ないとは思うんだけど」




 廣瀬弁護士の著書はビジネス書の分野で人気がある。ご時世柄、社会保険労務士としての指南が特に注目を集めているようだった。ルックスや美術大学卒業の異色な経歴も相まってメディア進出、なんて期待できそうなものだったが当の廣瀬氏がそれを望まない。目立つのを好まないこともそうだが、人生は太く!短く!というタイプに見えたから長生きの願望があることを意外に感じた。


 かといって何も不思議ではない。上手くいっている人生を早く切り上げたいと思わない方が普通なのだろう。




********************


 


「ある女性の依頼を断ってしまってね」



 さあ、遠回りしたが本日の―――――この一連に於いて最後の依頼だ。廣瀬弁護士は取り出したシステム手帳の古いリフィルを眺めた。それはとても大事な物なのだろう。ナイロンのポケットに入れられている。睫毛を伏せる、哀愁を讃えたような表情はポジティブな彼だからこそ翳って見えた。




 平成初期のこと。相談者は春名さんという四十代の美しい女性だった。


 当時は自宅で母と二人だけで暮らしていた。庭で季節の菜園を育んで、飼い犬と藤棚の世話をして。




「母との生活は楽しかったんです」




 そう笑う彼女は儚かった。歌の歌詞のように廣瀬氏は語る。そこまで聞いて既に僕は胃を掴まれるような気持ちになっていた。

 



「本当に綺麗な人だったんだよ」

「―――――え、すご」




 マジで、加工無しでこれ?!


 40年以上前の画質の荒さですら春名さんが美しいのはよく見て取れた。しかも背筋がピンと伸びて姿勢が正しく、表情からも知性と品の良さが伝わって来る。何故か廣瀬さんが持っていた写真はタウンマガジンのようなフリーペーパーに掲載されたものの切り抜きだった。昭和の頃だ。街を歩いていたら写真を撮らせてほしいと声をかけられた。だいぶ後になってから写真を撮影したカメラマンから聞いた話だ。



「何度か見かける度に写真を撮らせてほしいと頼み込んだが断られていた」

「それなのに。掲載するべきではなかった、迂闊だった」と悔やんでいたという。カメラマンの熱意に絆されたわけでもないのだろう、恐らくは仕方なしにという形で春名さんは撮影に応じたそうだ。



 彼女が相談に来たのは当初、この写真が載ったことで家に電話をしてきたり買い物帰りに跡をつけられることがあったからだった。その頃にはストーカーなんて言葉は無かったらしい。




「警察も当時はそんな話まともに聞いちゃくれなかったからな。一緒に相談に来てもらえないかってわけだよ」

「賢い女性(ひと)ですね」

「うん。賢い人だったよ」




 廣瀬さんが一緒に警察へ行くことで少しは聞いてもらえる話もあったそうだ。警察の指導に従って、留守番電話に用件が吹き込まれるまで電話にも出ないと徹底した。それに加えて彼が送り迎えをし始めてからは被害も収束していった。




「昔はフラれたり相手にされなかったりしたら、いくら好きでも辛いけど諦めるしかなかったんだよ。それ以外の手段が無かったんだ」



 経験があるのか、廣瀬弁護士の言葉は重い。僕はエリート営業マンの話を思い出していた。携帯電話なんかないから固定電話で家にかけるしかなくて、それだけの熱量があったかっていうと。


 熱量は自分の傷付くリスクで相殺されるのだと僕にも想像するくらいなら難くない。それで引き下がるのが普通なのだ。今回のケースはスタートの時点で普通ではないことは一旦、横に置いておいて。




「今はSNSがあるから相手の近況を知れたりするじゃないか」

「―――はい」




 僕はSNSをやらないけれど彼の言っている意味は解る。調べればいつでも目の前に相手の姿があるから、なんとか接触できると思ってしまう心理というものはあるのかもしれない。人によっては自分への個人的な報告が無いことへの憤りが生じることだってあるだろう。


 それでなくても、美しく賢い彼女を羨望の眼差しで見る者ばかりでは勿論ない。



********************




 春名さんには年の近い姉が二人いた。


 幼い頃から家族の仲は良くなかった。お母さんと春名さん以外の三人、それとは別に両親間では諍いの絶えることが無かった。



「組み合わせを変えて常に罵り合うのが不思議でした」



 理解ができないと春名さんはそう話した。姉同士でも喧嘩は絶えず、お母さんや春名さんを攻撃する時は手を組むことがある。姉達と父親もそれぞれ仲が悪い。春名さんも応戦こそすることはないが父親と姉二人のことが好きではなかった。高校を出ると姉たちは家を出て行った。音沙汰が無い間は平和だった。


 お母さんのことが心配ではあったが春名さんも仕事の都合で一度は家を出た。それからしばらくぶりに家へ戻ると、父親が何かを不満だと叫び家を出て行った。これは珍しいことでもなかった。廣瀬弁護士に最初に相談に来た少し後だ。家庭の事情までは聞かされていなかった。



 その時点で父親と姉だった者たちが二人の住む家を売ろうと目論み始めていたことを春名さんとお母さんは知らない。そんなことを夢にも思わなかったであろう穏かなある日。父親が深酒の末に不服を申し立てながら家に来ることも無くなり、やっと煩わしい者が全て去って平穏が日常に変わりつつあった頃だ。母親に癌が見つかる。僕は「あっ」と声に出しかけた。やめてよ!



 すぐにお母さんは入院した。春名さんは心細かったに違いない。彼女にも信頼できる人間が何人かはいた。その数少ない良識のある親類が何度か遠方から会いに来てくれたが、病名の告知から三ヶ月もせず彼女は一人ぼっちになった。


 一人になれたのなら、それで良かったのではないかと僕は思う。そんな元家族はいない方が良い。



 それなのに―――――










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