killer queen ①

 およそ三十年前の夏、その日は夕方まで雨が降っていた。



 それはやはり花火大会の日だったという。僕は花火なんて一度も見に行ったことが無い。実家も一人暮らしの今の家からも、窓を開ければ見えるという点が一つの理由だった。が、打上の角度によって半分しか見えなかったり、窓を開け放つことによって部屋に虫が侵入してくるのはよろしくないとの判断から外で見るようにしていた。




「そんくらいでいいんじゃないッスか」



 花火なんか。



 予約してくれていたレストランに入る直前に立ち寄った喫煙所、灰皿の横で彼女は吐き捨てるように言う。組んだ腕も吹き出す一直線の煙も横顔も凛々しい。凛としている。シルバーの太いリングのピアスが光る。Gucciの扇子がこの上なく似合っていた。




「あんなもん、間近で見たってウッセエだけだよ」

「そうですか?」

「うん。灰も落ちてくるし」



 市民権を得たような気分になって僕は少し嬉しくなる。それがバレたのかはわからないが彼女は八重歯を覗かせた。満足そうに笑う。



「詳しいですね」

「だろ?」



 メールでのやり取りと、さっき初めて会って挨拶をした時はとても丁寧な人なのだと思っていた。しかし数分経った今では印象が随分と変わっている。面白いから今の方が良い。使い分けのできるオンナはかっこいい。



 「ここの親子丼マジでウマいから」



 肩までの明るい色をした髪を後ろにまとめながら彼女は言う。オムライスでないところが、また親しみやすい。





 *****   *****   *****  *****






 花火大会の夜、同じクラスの男子から呼び出しを受けていたと語るその少女は現在バリバリのキャリアウーマンになっていた。そんな呼び方は古いだろうか。乗馬中の人が書かれたチョッキを着てブカブカの靴下を履いていた世代だろう、女子高生だった頃にはイケイケのギャルだったであろうことが想像できる気の強さが滲み出る女性だ。


 照明メーカーの経営戦略部広報課長ノリコさんと名刺を交換した。上司であれば頼もしい反面、ちょっと怖いと感じてしまうかもしれない。優秀さと気の強さが前に出ている美人だ。豊富な睫毛と頬のオレンジが艶々と眩しい。―――ギャルだ。現役だ。





「彼に、待ち合わせ場所には来ないで欲しいと伝えてほしいんです」




 呼び出したのは相手の方だった。呼び出してくれるなと頼むよりは来ないでもらう方が確かに難易度は下がりそうだ。





 *****   *****   *****   *****




 中学三年生だった彼女の目の前で、呼び出した主はスリップしたバイクに盛大に突き飛ばされた。



 結果、その夏の県大会に同級生の彼は出ることができなかった。それが原因という明言はされていないが陸上部に顔を出さなくなり、引退する予定だった時期よりも早く辞めてしまったそうだ。夏休み明けに登校することができずタイミングを失い、だんだんと不登校になってしまったと見られる。その後には非行に走ってしまったというような噂が耳に入って来た。




「実際には家から出なくなっちゃったみたい。もともとおとなしいタイプだったんスよ」

「ノリコさんは悪くないじゃないですか」

「後味は悪いじゃん」


 


 眉間に皺を寄せる上目づかいが顔芸みたいでプリクラを思わせる。自分では撮ったことは無いからイメージだ。ストローを摘まむ指先がなまめかしい。ターコイズブルーに乗った大きな石と、それを囲む小さな石からエキゾチックさを感じる。




「そうですけど」



 言いたいことは理解しているつもりだった。ノリコさんを呼び出しいていなければ彼はその日、外出しなかったかもしれない。そうすれば事故には巻き込まれなかった過去もあり得る。




「断ろうにも、誰に呼び出されたかなんて知らなかったのよ。バイクが突っ込んでくるまで」


 


 手掛かりは夏休み前の放課後、机に入っていた便箋一枚。そんな青春は僕には無かった。さておき、呼び出したのがノリコさんの側だったとしても彼女が悪いとは思えなかった。


 ―――――とは、実際そうだった場合を考えると僕には自信を持って言い切れないかもしれない。




「走るのが早いだけで良い人生になることはなかったかもしれませんけど、もし事故にあってなかったら学校に通うのは辞めてないかもしれないじゃないですか」




 ノリコさんは授業中みたいに頬杖をつく。




「どうしてもそうやって考えてしまうの、時々ふと思い出しては」



 残念ながら陽は射さない廊下側の一番後ろの席から羨ましそうに窓側の席を見つめている。進学校の居心地の悪さと微妙なクジ運の悪さと。嘆くほど心を占めるわけでもない悩みを持った少女の顔をノリコさんはしていた。


 誰が悪意を持っていなくとも背負わされてしまう罪悪感というものは存在し得るのだと思う。責任感の強そうなノリコさんには僕なんかが想像するよりも、彼女自身が把握しているよりも、もっと重荷であるのかもしれなかった。


 こういう形で聞くのではなく単なる世間話であるなら「気にしなくていいよー」と僕は軽口を叩くだろう。実際そう考えると思われる。気にしなくていいよ。




「私今、幸せなんスよ」


「そうなんスか」




 自分ばっかり、と考えてしまうこともあるのだろうか。幸せであることに後ろめたさを感じるようなことが。

 

 



「仰りたいことは理解しました。承ります」

「ありがとうございます。その節はよろしく」



「ただ、その彼としまったりしませんかね?その、なんというか未来いまが変わってしまうようなことにはなりませんか?」



 それとも、それならそれでいい?


 まだ見ぬ幸せに出会うこともあるかもしれない。それは、例えば「幸せなんス」という現在を失うような事態。まだ見ぬ過去への「もしも」の、その先を最近よく考えるようになっていた。



 今よりも幸せになるのなら、今の幸せを手離しても?


 

 当時生まれてもいない僕が介入することで変える過去は、その後どう進むのだろう。当人が思う通りに展開するのだろうか。リヒトさんの記憶を見て考えたことだ。彼は何度も同じ過去へ戻った。





「うーん、」




 ノリコさんが空中を見つめる。長い睫毛はバサバサと音を立てそうなくらい塗り込められている。




「大丈夫だと思う」

「承知しました」




「やった!」とノリコさんが両手の指先をペタペタ叩いて合わせる。クールビューティーな彼女の満面の笑顔は思いの外、人懐っこい。




「何卒、よろしくお願い致します」




 立ち上がって深々と頭を下げたのは意外、というか予想していなかった。今叩いていた指先を揃えて膝に添える。僕も立ち上がって同じように頭を下げた。


 顔を上げたノリコさんはテーブルの上に置かれた伝票を持つ。それは男前でさりげない仕草だった。経費で落としてくれるという部分は多分嘘だろうと判ったが、野暮はよくない。




「んじゃ、行きますか」

「あ、はい。ごちそうさまです」

「うっす」




 中学生を呼び止めるくらいのことは僕にもできるだろう。今よりも防犯意識は高くなく、知らない大人が声をかけることが事案になることも少なかったとノリコさんも言っていた。そこに付け込む罪悪感が無いわけではないが、未来ある中学生を一人救うためだ。やってやろうじゃないの。






 *****   *****   *****   *****





「順調?」



 目の前の女性が尋ねるのは僕がおこなっている聞き取りについてのことだ。彼女とは面識がある。



 比較する対象が無いから何とも言いにくいところもあるが不調だとは思っていなかったから、僕は「はい!」と答える。それはもう元気いっぱいに。

 

 目の前の年上女性はニッコリと微笑む。今日はサロンをしていないし、ロックスタイルでもない。ノースリーブに膝下で揺れるフレアスカートが涼しげだった。黒髪を細いクリップで無造作にまとめている。



 連絡が来たのは宮益坂のレストランを出てノリコさんと別れ、どの経路で帰ろうかと考え始めたところだった。こうして外出中にメールをもらうことは最近よくあるから、身動きが取れる限りは出向くことにしていた。彼女は池袋の東武デパートから目黒の自宅へ帰る途中らしい。



「渋谷には飽きてるの」とのことで、更には「地下鉄の方が好き」だというので待ち合わせは東池袋に決まった。僕は地下への階段を駆け下りて、副都心線に乗り込んだ。











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