あと二週間
「リヒトはまだ肉食えなそう?」
千明さんがサンチュを
先日と同じ焼肉屋さんの同じ個室にいた。この前はゆっくり部屋を眺めることをしなかったが、よく見ると窓の外にはベランダがあって灰皿が置かれていたことに気が付いた。この前は僕ら何処で喫煙してたっけ。あの時の酔っ払いがご迷惑をおかけしていないことを願う。してたらごめんなさい、ぶん殴ってください。千明さんを。テーブルにはガスコンロが四つ嵌め込まれていると思っていたが、蓋をされていただけで六つあるようだ。
「ポイントカードが牛の形なんだぜ」
「ほんとだ。てか貯めてんのかよ、ポイントを」
「僕ももらったよー」
「一人一枚なの?ああ、リヒトは肉なんてまだまだだろうね」
そっか、と千明さんが僕の方を見る。僕がこっちに滞在するのはあと二週間くらいだろうか。マユルくんも僕を見た。
「損傷が激しかったんだ、食道だの声帯だの、この辺の」
そう言って自分の喉の辺りで円を描くように指差した
「それだけでも結構時間がかかるから。お粥とかサラダからだな」
その上リヒトさんは急激な加齢で体力も免疫力も落ちている。当然ながら回復力も下がっていることだろう。お
僕も自分の喉に指で触る。マユルくんが見せてくれた映像―――リヒトさんの記憶を思い出す。
暗い公園には草が生い茂っている。伝わって来る蒸し暑さ。降る雨は涼しくさせるどころか湿度と不快指数を上げるのに一役買っていた。
木に押し付けられるように女子が対面する男に首を絞められている。明らかな殺意が
「やめろ!」
叫びたいのに声が出ない。体が動かない理由は怖いからだけではなかった。リヒトさんの記憶の中で、僕の意思では身動きを取れない。
こっちを振り返った男と目が合うと、黒目の小ささに恐怖心が跳ね上がった。近づいて来る。焦点が合っていない、顔が大きくて圧迫感が凄い。至近距離で向き合って再び体が動かなくなった。大きい。2メートルくらいあるかもしれない。リヒトさんの身長を知らないが、見上げる高さは30センチ以上ありそうだ。怖かった。男の向こうで座り込んでいた女の子は体勢を持ち直そうとしている。首を両手で押さえながら肩で息をした。ゼエゼエと聞こえてきそうな呼吸だ。
逃げろ――――
「夢にでも見ちまったか?」
「・・いえ、まだ」
今日見たばかりなので夢には見ていないが、さっきから何度か思い出していた強烈なシーンだ。別に悪意があって見せたわけではないだろうにマユルくんが申し訳なさそうな困り顔をする。
「千明さん、マインドアサシンはいないんですか?」
「いるよ?」
「いるんだ?」
千明さんの即答に僕とマユルくんの声が重なった。
いれば良いな、と思っただけだ。記憶を消す能力者が。恐ろしくて目が覚める朝を想像した。リヒトさんが遭遇した恐怖を。マユルくんは今まで、見たくもないどれだけの人の記憶を見てしまったのだろう。全部消せたらどんなにか。
「消してもらう?あの病院にいるけど」
あの病院にいるんだ?
同じことを考えてマユルくんと目が合う。
「僕は大丈夫です」
何度か夢にでも見ていればそのうちに慣れるだろう。それにあっちに行ったら必要になる場面だった。少しずつマユルくんから見せてもらっておくようにと鳥海社長から言われていた。嫌なものも目にしてしまうというのは織り込み済みだ。
「マユルは?」
「キリがねえよ。見ちまった
「それはそうだ」
笑えない冗談を三人で腹を抱えて笑った。楽しくて、この時間がもうすぐ終わってしまうことを寂しく思う。元々ある筈のない時間だった。普通に生きていれば会うことのなかった人たちだ。二人とは二週間後には、もう二度と
「アイス食うよな?」
「食うよ、俺バニラ」
「食べる!僕きなこ!」
「なんか千明さん今日楽しそうじゃん、真唯となんかあったな」
「なんかあったらダメだろ、病院だぞ」
知らない名前と二人の大爆笑が気になったが、会話から察するにきっと入院しているという能力者の人だろう。
「殺されるぞマユル」
「俺が言ったって言わないで」
はい、ブー!と陽気な千明さんが呼び出しボタンを叩く。少し前まで、ボタンを押せば過去へ戻れるのだと思っていた。その少し前はそんなことすら思ったことは無かった。真実味を帯びて迫ってきている。
「あとな、夏海くん」
「うん」
「さっき見たって言ってたやつ、俺の記憶だ」
ノックの音がして「はーい」と三人の声が行儀よく揃った。
失礼いたします。とスーツ姿の従業員さんが入って来て、千明さんが注文したのはキャラメルなんとかの可愛らしい季節限定アイスだった。
********************
「そういえば、千明さん。また車をお借りしたいんですけど」
自分の車を手離してしまってから何度か、鳥海社長の申し出に甘えて車を借りていた。地方に住んでいる依頼人に会いに行く時には車の方が楽なのだ。慣れない電車よりも疲れないのだと思う。それに運転手付きで貸してもらえることが度々あった。車を借りたいとお願いすると千明さんが面白がって一緒に来るのだ。
「もしかしてCさんですか!?」と先方が喜んでくれるのは確かに面白かった。スレも盛り上がる。
[おまえら、俺Cさんに会ったぞ!]
[え、いいなあ!]
[俺ん時いなかったぞ]
[会える条件て何かあんの?]
[Cやけど、書類審査あるで]
【おまえら騙されんな】
【そいつCさんじゃないぞw】
[どうしたら会える?]
[なんでそんなに会いたいんだよw]
[経験値上がりそう]
[オフ会するか?]
[はぐれメタルかな]
【オフ会!いいね】
【一発で済むじゃん!】
[天才現る]
[横着すんな1w]
そうだった、おまえらが抱えているのは人に言えない悩みが多いのだ。だから一人一人に会いに行くのではないか。
浮ついた考えをしてしまうのは僕の気持ちが少しだけ、既にあっちへ行っているのかもしれないと思う時がある。行き当たりばったりではいけない、気を引き締めねば。
―――――――――――
「多分7月31日になると思うんですけど」
まだ日程は決めていなかったが、あっちへ行く直前にするつもりだった。その日には他の依頼は入れず最後の一人に会いに行くのだ。
「どこ行くの?」
「茅ケ崎です。湘南に行っておきたいなって思って」
「35年前にも湘南はあるぞ」
「ありますけれども」
一瞬だけマユルくんの表情が翳るのを感じて申し訳ない気持ちになる。
「・・俺も行きたい!海!」
「よし、三人で行くか!」
「なんでそうなるんですか」
でも楽しそう。
現代での最後の思い出は、この不思議な縁で出会った二人と過ごすことにしよう。姉さんだって怒ったり気を悪くしたりしないに決まっている。千明さんを会わせた母さんと同じように喜ぶだろう。
千明さんの妙なテンションが
********************
家に帰ってもシャワーを浴びても、明日の支度が済んでも、まだマユルくんの言葉が気になっている。
さっき見たやつ、俺の記憶だ―――――
雨の中、怯えながらもマユルくんと合わせる目からは強い意志を感じた。
彼女が細い顎を引くと頷いたかに見えた。しかし否定するみたいに顔を横に振って、濡れた髪から水滴が弾ける。そのまま勢いよく立ち上がった。
―――ダメだ、よせ―――――逃げろよ!―————
よく思い出そうと試みる。僕はリヒトさんの声を知らないけれど、言われてみればマユルくんの声だった気がしてくる。一瞬だったし酔っ払いが思い出すことだ。あてにはならない。
「逃げろ」「よせ」と言うのは被害者の彼女へ脳内に直接語りかけていたのではないか。リヒトさんの他の記憶には音声が無かった。
そもそも、何故あのような
恐らくは、助けを求める声が聞こえたのではないか。勿論声なんか出なかっただろうから彼女が放った心の声だ。マユルくんにだけは届いたのだとしたら。
それらは全てにおいて僕が考えた仮説に過ぎないが、マユルくんはサトリの能力を自身でコントロールできるようになるまで常にそんなものが聞こえていた。そう考えるだけで胸が苦しくて吐きそうになる。飲み過ぎただろうか。でも自分のことだと思ったら気が狂いそうだった。
あの恐怖を夢に見てしまわないように、寝る前に漫画でも読もう。漫画を持って行けるとは思えないので比較的最近のものは今のうちに読み返しておくつもりだった。続きが読めないのに気になって辛くなるのは目に見えていたから完結していないものは読まないようにしている。漫画の詰まった本棚は千明さんが引き取ってくれることになっている。僕がいなくなった後の手続き等に関しての不安は無かった。
あんなに飲んだのに、いつもの癖で缶ビールをプシュッと開けていた。風呂に入ったらリセットされてしまったのだから仕方あるまい。さて今日は何を読もうか。「おまえら」が推薦するバナナフィッシュはあっちに行ってからのお楽しみだ。
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“あのスレ”に居合わせた彼らを繋ぐ合言葉をひっそり募集します。チーム名みたいになると嬉しいですが、そうでなくても何でも結構ですので、ダサいのください。後半の
応募作は全て作中で登場させていただきますが、一番ダサいことを言った方が優勝です。
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