同志

同じ志ではないと思う。


同じ場所にいるだけ。



だから相手が何を考えているかなんて分からない。


でも、どちらかが傷つけば、その痛みを敏感に感じる事はできる。



そうして助け合いながら、自分自身を奮い立たせているのかもしれない。



あなたとあたしは、同士…




目が覚めた時には、カーテンから漏れる明かりのお蔭で、部屋の中がハッキリと見てとれた。



シーツの色が焦げ茶色だった事に納得して、一瞬、呼吸を忘れていた。



…隣で、兄ミヤチが寝ている…



咄嗟に自分の身なりを確認した。


…これと言って変わったところは無い。



うつ伏せで、顔の半分を枕に埋めている状態。その寝息に、何だか安心を覚えた。


とても心地良い安心感。



もっと近くで感じたくて、仰向けのまま兄ミヤチにピタリと寄り添ったら、すごく、温かかった。



その温もりに包まれて、再び眠ってしまい……

次に目が覚めた時、隣に兄ミヤチの姿は無かった。



あの心地良い安心感に触れたくて…心が冷えた気がした。



凄く寂しかった。



…だからかもしれない。だから、起き上がった。



はやる気持ちを抑え、寝室を出てリビングへ向かう。



…だけど、兄ミヤチの姿は無い。


ここまで来たら悲しくなった。



寂しさを埋められない挙げ句、追い討ちをかけるように一人ぼっちとゆう状況。



何で居ないんだろ。


何で居てくれないんだろ。



理不尽と分かっていながら、そんな怒りすら芽生える。



今が何時か確認したくても、ここに時計らしいものが何もないから確認ができない。



ついには、虚しくなった。



とにかく顔を洗おう…それから着替えて、兄ミヤチに電話しよう。



頭で色々考えながら、洗面所の前で立ち止まった。



…―音が…聞こえる…



微かにだけど。


誰かがシャワーを浴びている。


そうゆう水の音が、微かに聞こえる。



誰か…なんて、一人しかいない。



ドアノブに手を当て、頬が少しだけ緩んだ。


寂しさがスーッと消えていく。


変わりに安心感で満たされていく。



ドアノブに手をかけたまま、反対の手でトントンと、扉を叩いた。



その中に居る人物と、とにかく会いたかった…顔を見なきゃ、納得してリビングに戻れない。


この理不尽な感情に、自分自身、戸惑いを感じながら、扉をノックし続けた。



だげど、当たり前に中から返答は無い。


だって、シャワーの音がまだ聞こえている。



あたしが扉を叩く音なんて、向こうには聞こえないのかもしれない。



…シャワーの音が止まるまで待とう。


そして、扉を背にその場へ座り込んだ。


三角座りをして、目を閉じる。微かに聞こえるシャワーの音にだけ耳を済ませた。



あたしが立ち上がったのは、それから少しして。


…―キュッ…と、蛇口を捻るかのように、シャワーの音が止んだ時。


トントンと扉を叩いた。



「……」


だけど返答が無い。



もろく崩れた心は、得体の知れない不安におそわれる……


ドアを開けて入ってやろうか――と目論もくろむあたしのひたいに、



「イタッ!」



その扉が激突した。



「いぃ―…」



ドアの正面に向かって立っていたから、突然開かれた扉によって、ひたいに衝撃をくらってしまった。



「あ、え…?ごめん」



ジンジン響く痛みに、ひたいを両手で摩っていると、落ちてきた兄ミヤチの声に視線を上げた。



ひたいを摩りながら睨むように見上げると、兄ミヤチがドアを押し退けて出てくる。



「…大丈夫か?」



あたしの目線に合わせて屈み込むから、風呂上がりの洗い立ての香りが鼻を掠めた。



「痛い」


「悪かった…」



不貞腐れた声を出すと、兄ミヤチは困ったように笑う。


「こんなとこで何やってんだ?」


そう言って交わった視線。



「起きたら…居なかった…」



あたしの言葉が、どこか責めているような口調に聞こえるのは、寂しさを与えた兄ミヤチへの仕返しのようなもので。



「そうか…ごめんな?」



絶対悪くなんかないのに、ただあたしが勝手に不貞腐れてるだけなのに。



そうやって謝罪を口にするから―…



「悪かったって…」



何だか泣きそうになってしまう。



そんなあたしを、兄ミヤチが引っ張ってリビングへ連れて行ってくれた。


いつの間にか買って来てくれていた朝ご飯を一緒に食べて、



「学校行きたくない…」



今まさに、兄ミヤチが乾燥までしてくれていた制服に着替えた。



「あぁ、俺も毎朝思ってる」



独り言のつもりで落としたボヤキを、同じく制服に着替えた兄ミヤチが拾ってくれた。



「兄ちゃんには友達が居るじゃん…アイや森ちゃんだって―…」



スーツも似合うけど、兄ミヤチの制服の着こなしは天下一品じゃないかと思ってしまう。



「あたしには―…」


「俺が居る」



そんな言葉さえ、決まってしまうぐらいに。



あたしには—…“誰も居ない”


その思いは言葉になる前に、兄ミヤチによって遮られた。


そんな事を平然と言ってのける人なんて、出会った事がない…



例えば無人島に、一人取り残されたとして――


何でも良い、誰でも良い、何か一つだけ持って来て良いと言われたら…


あたしは迷わず、兄ミヤチを選ぶと思う。


食料よりも、道具よりも、兄ミヤチとゆう存在があれば、生きていける気がした。




二人で電車に乗り、学校へと向かった。


兄ミヤチが電車に乗る光景が、酷く新鮮に思える。


…もしかしたら、車で登校してるんじゃないか…とゆうあたしの疑問は、すぐに消し去られたのだけど…



電車を降りて学校が見える距離に近づくと、「朝から登校すんの初めてかも…」と、とんでもない事を当たり前のように呟かれた。



決して口には出さなかったけど、「だから留年するんだ…」と、胸の中で毒づいておいた。



「なぁ、スズ」



そろそろ校門が見えて来るって時に、兄ミヤチが立ち止まった。


学校に近づく度に増えてくる生徒達の数。あたしと兄ミヤチとゆう異様な組み合わせに、その視線が突き刺さる。



何も答えず、兄ミヤチに視線だけ返すと、



「悪かった」


いきなり謝罪の言葉を掛けられた。



「…何が?」


当然意味が分からないから、そう聞き返すしかない。



「先に謝っとく」


…なのに、これだ。


兄ミヤチとは、スムーズに会話が進まない気がしてならない…



「どうゆう意味?」


自然と眉間に皺が寄ってしまうのは、理解出来ないとゆう苛立ちから。



「先に謝ってんだよ」


「…だから、何で? どうゆう意味?」


「スズに嫌われるかもしんねぇ」


「え…?」


「だから先に謝ってる」



全く質問の答えになっていない。


もはや会話するのが面倒臭いと感じてしまう。



「全然意味が分からない…」


「先に謝っとかねぇと、スズが口聞いてくれなかったら、謝りたくても謝れねぇだろ」


「…何それ、あたしに怒られるような事でもするの?」



冷たい視線を向けると、兄ミヤチは曖昧に笑った。



「…意味分かんない。謝るぐらいならやらなきゃいい」


「そうだな」


「もしそれで…あたしが口聞かないぐらい怒ったら、どうすんの…?」


「だから、今、謝ってる」


「……」


「そうなる前に謝ってんだろ」


「だから意味が分かんない…」



立ち止まって俯くあたしに、兄ミヤチも立ち止まったから、周囲に居る生徒達の好奇な視線を感じた。



…あたし達は決して、痴話喧嘩をしてる訳じゃない。だからそんな目で、そんな風に、見て行かないでほしい…



周囲の視線に、やりきれない思いが溜め息となり漏れる。



「…何がしたいのか、何を言いたいのかわからない…」



幾分、冷静に言葉を紡いだあたしに、兄ミヤチは自嘲的に笑う。



「俺のエゴなんだ…」


「エゴ?」


「あぁ、自己満足」


「…分からない」


「嫌われるって分かってても、やるんだから自己満足だろ」


「……」


「分からなくていい」



そう言って歩き出した兄ミヤチの、その背中を見ながら、寂しいような…悔しいよな…モヤモヤした気持ちになった。



理解しようと問いかけるあたしを、突き放すような言い草だったから…



あたし達は理解し合ってると…勝手に思い込んで、似た者同士だと信じて疑わなかった…


それを、“違うんだ” と言われた気がして、勝手に裏切られた気分になる。



「…スズ」



意図的に距離を空けて歩くあたしに、気づいているのかいないのか…振り返った兄ミヤチは、その“距離”に、困ったように笑った。




「先に行ってて」


勝手に冷え切ったあたしの思考は、そんな冷たい言葉を吐き出す。



「良いのか?」


「…良い」



目すら合わせられず、俯いて答えた。



やるせない溜め息が零れる…



今、自分が物凄く面倒臭い事をしてるって分かっている。



あたしが第三者なら、迷わず「そんな女なんて放っておけ」と思うに違いない。




「…スズ」



それなのに———…



「俺が良くない」



目の前まで近づいて来た兄ミヤチは、あたしの背中に手を回し、「一緒に行こう」と、背中を優しく押してくれた。



靴を履き替えて渡り廊下へと出ると、


「じゃあな」


その言葉に振り返った。



「…行かないの?」


てっきり兄ミヤチも教室へ向かうものだと思って、そんな疑問が漏れる。



「まさとがここに来る」


「…そっか」



そうゆう事なら一人で行くしかない…通り過ぎて行く生徒達に混ざって、兄ミヤチに背を向けた。



一度も振り返らなかった。



少しぐらい愛想を振り撒いておけば良かったかと…少しだけ後悔した。



離れていくあたしを、兄ミヤチは見ていてくれたんだろうか……



だとしたら、どんな思いで……



もしかしたら…振り返った先に、その姿は既に無かったのかもしれない……



今となっては、もう…分からないまま。

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