過ち

お皿に盛った食事を向かい合うようにダイニングテーブルに並べ、兄ミヤチが座っている正面にあたしも座った。



「いただきます」と手を合わせ、さぁ食事をしようかって時に、兄ミヤチが立ち上がる。



その動きにつられて見上げていると、兄ミヤチが立ったままの体勢で見つめてくるから、箸を持ったまま「え…?」と、戸惑いから小さな声が漏れた。



一体どうしたって言うの…


訳が分からず、小さく息を吸い込む。



「隣に移るわ」


兄ミヤチがそう呟いた。



「と、となり?」


「となり」


「ここ…?」



あたしの隣の椅子を指差すと、兄ミヤチは頷き、「良い?」と続ける。



「い、良いよ、どうぞ」



慌てて隣の椅子を引くと、兄ミヤチは向かいからこちらに移動して来た。



あたしが引いた椅子に長い脚を滑らせ、流れるように座る。



長い腕を伸ばし、向かいに置いてあった食器を自分の前に持ってくると、「いただきます」と再び手を合わせた。



「スーが帰ったら、俺の孤独感半端ねぇ気がする」


黙々と箸を進めていた兄ミヤチから、不意に出た言葉。



「今までの生活がまた戻ってくるだけなのにな…」



言いたい事は、わかる気がする。


こんな広い部屋に、一人は寂しいものがある。



それに、こうして誰かの存在を感じてしまったら、後に残る静けさはとても心細い。



「誰かに来てもらえないの?」



兄ミヤチなら、一人や二人…すぐに集まるはず。



「誰かって誰だよ」


「そんなの分からない。来て欲しい人を呼べば良いじゃん」


「……」


「森ちゃんとか」


「…何でだよ」


「え?」


「……」



黙ってしまった兄ミヤチは、どう説明しようか言葉を選んでるみたいだった。



あたしは世間知らずで、同世代の子が経験している事を当たり前にして来ていない。



だけど、経験がないってだけで、知っている事だってある。



兄ミヤチは男で、あたしは女。


そこまで鈍感でバカじゃない。



単純に、友達でも呼んで過ごせばいいじゃないかと思ったし、そのつもりで森ちゃんの名前も出した。


だけど、兄ミヤチがそのつもりで話していないのは何となく分かっていた。


女性に傍に居てほしいんじゃないのかと…何となく、あたし達が男女である以上、そっちは触れないようにしたかった。



これから一晩一緒に過ごすからこそ、気まずくなったり、恥ずかしくなるような空気は避けたい…



夕飯を済ませ、キッチンで洗い物をしているあたしの横に、何故か兄ミヤチは並んで立っていた。


手伝うつもりは全くないのか、ただ隣に居るだけで、あたしが片付けているのを観察しているみたい。


たまに煙草を吸ったり、「それあっち」と、収納場所を教えてくれたり。



正直、兄ミヤチもあたしに“そうゆう事”を求めてるのかな…って不安になった。


だから変に意識して、目を見る事が出来ない。



ここは兄ミヤチの家なのに、あたしに付いて回る兄ミヤチは、まるで主人に付きまとう愛犬のように思えた。




「風呂は?」



———そんな時だ。




「先入る?」



後片付けも終わり、ソファに座ってテレビを眺めていたら、いつの間にか居なくなっていた兄ミヤチが、突然声をかけて来たから心臓が大きく音を立てた。



思わずソファからふんぞり返るように振り向く。



「ふろ?」


「風呂。沸かして来た」


「あー…うん…」


「先入る?」



その言葉にしどろもどろになってしまう。「じゃあ…」と呟いて、そそくさとリビングのドアへ向かう。



だけど、脱衣場がどこかなんて分からない…



「こっち」



兄ミヤチに手を引かれ、リビングを出て左にある場所へと案内された。



「これ俺の服、使って」


「あ、ありがと」


「制服とか、洗濯するのあったら洗濯機入れといて」


「…うん、わかった」


「使い方わかる?」


「……」


「スー?」


「…え?」


意識が完全に別のとこへ行っていた。



「平気?」って聞いて来た兄ミヤチに、何度も頷いて、「じゃ、何かあったら呼んで」と、脱衣場を出て行く。



…何かあったとしても呼びにくい。



湯気が立ち込む風呂場は、とても綺麗でやっぱり広かった。



このマンション自体、モデルルームみたいで、当然お風呂もそれっぽい。



熱いシャワーで全身を洗い、髪を洗おうとした時、兄ミヤチが使ってるシャンプーなんだと思ったら、意味もなくドキッとした。



ゆっくり浸かりたいとゆう気持ちの反面、早く上がらなきゃ…と考える内に顔が火照り、急いで立ち上がる。



涼しさを求めて風呂場を出ると、脱衣場の冷気が体に触れ、フーッと溜め息が漏れた。



一番上に置かれたバスタオルを手にとり、濡れた体に巻きつける。



「…え…?」



掌が赤くなっている。



「…え…なに…?これ…」



脱衣場にある洗面鏡に移る自分を見て、鳥肌が立った。



濡れた髪もそのままに、勢い良く脱衣場の扉を開ける。


バタバタと音を鳴らし、閉められたリビングの扉のドアノブを掴んだ———



「兄ちゃん…!」



リビングに入った瞬間、ガクンと足の力が抜け、「はっ!?」と、驚いた声を出す兄ミヤチの元に何とか駆け寄った。



ソファから立ち上がった兄ミヤチの元に、両手を差し出す——



「何これ…!?」


「…何だ…これ…」



バスタオル一丁の姿で、剥き出しの肌を見せつける。



「お風呂上がったら…こうなってた…!」



掌が赤く、所々に紅斑が出ている。首から鎖骨にかけて、腕や脇の下、胸やお腹、脚等…見える所だけでも言い出したらキリがない。



「何これ…!?何…?どうしよ…!?」


「スズ」


「あたし病気…?え…?」


「落ち着け」


「急に…こんなんなって…」


「スズ」



名前を呼ばれたと同時に体を引き寄せられた。



「落ち着け」


耳元に届く声。



「痛くないか?」


抱き締める腕が遠慮がちに背中へ回っている。



「痛くない…」


「痒みは?」


「ない…」


「しんどいとか、吐きそうとか、他に変わった事は?」


「ない…」



兄ミヤチの呼吸が、肌に伝わってくる。



「じゃあ、とりあえず服着て来い」


ゆっくりと体が離れる。



「やだ…」


「え?」


「鏡見るの怖い…」



脱衣場に置いている着替えを取りに行ったら、洗面鏡に映る自分が嫌でも視界に入ってしまう。


只でさえ混乱しているのに、自分の見慣れない姿を目に映す勇気がない。



「わかった。取って来る」



気持ちを察してくれた様に、兄ミヤチはあたしをリビングに残して脱衣場へと向かった。



動く事も座る事もせず、そのまま立ち尽くしていると、片手に服とドライヤーを持って兄ミヤチが戻って来た。



「着替え。髪も濡れたままじゃ風邪引く」


「あたし…どうなるの…?」



未だ消えない紅斑に、身体中の熱が冷めない。



「アレルギーとか…?」


そう言いながら兄ミヤチは空いている方の片手であたしの腕を引き、ソファへ誘導した。



ソファの上に着替えとドライヤーを置くと、


「着替えたら、髪乾かせるか?」


顔を覗き込んで来る。



俯いているつもりはなかったけど、自然と視線が下がっていたのかもしれない。



「アレルギーなんて聞いた事ない…」


「ん?」


「アレルギーなんて初めて言われた…」


「いや、アレルギーかどうかわかんねぇけど、」


「どうしよ…治んなかったら…」


「スズ」


「だって、首のとこも…ここも…」


「わかった」



動揺していて、バスタオルしか身にまとっていない事を、あたしの手を握った兄ミヤチの行動で思い出した。



「何も着てねぇだろ」



身体からだの赤みを見せようとして、タオルが肌けそうになっている。



「…そうだった」


そう呟くと、頭からトレーナーを被せられた。



「着ろ。水持って来るから、着替えたら飲んで、落ち着け」



言われるがま着替えようにも、自分の身体を見る勇気がなく、目を瞑って必死にズボンを履いた。



「飲めるか?」


兄ミヤチが持って来てくれたコップを受け取り、立ったまま水を口にする。



「もういらない…」


そう言ってコップを返すと、ソファの前にあるテーブルへ置いていたから、自分で置けば良かったと思った。



「髪は?」


「乾かす…」


「乾かしてやろうか?」


「……」



そんな事を言われたのは幼い頃に父が最後で、妙に戸惑ってしまった。


どう返事をしたら良いか言葉に迷っていると、兄ミヤチの長い腕が髪に触れ、再び抱き締められた。



「肌に出る炎症ってのは、大概ストレスだ」


「…え?」


「心当たりあるだろ」



…そうか…これ…ストレスなんだ…



「他に症状ないし、アレルギーも無いんだろ?」


「うん…」


「しんどかったんだな」


「……」


「こんなんなるぐらい、スズの心がしんどかったんだな」


「…ッ…」



息が詰まった。


不安で一杯だった心の器に、一気に感情の波が押し寄せた。



「…ッ…ハァッ…」


兄ミヤチの背中に手を回して、必死にしがみついた。


自分の涙に溺れてしまいそうで…



その度に、あたしの身体を抱えてくれる腕が、呼吸し易い場所へと連れて行ってくれてる気がした。



どれくらいそうしていたのか、泣きすぎた所為か、ボーっとする意識の中で、両脇の下に兄ミヤチの腕が侵入して来た。



「スズ」


目を瞑ってるから、やけに鮮明に耳に届く声。



泣きすぎて顔を合わせられないのと、泣きすぎて疲れきったのと、返事をしない理由は色々あった。


微動だにしないあたしを、兄ミヤチはグッと引き寄せ、太ももの裏にその手が触れる…



そして力一杯持ち上げられ、兄ミヤチの匂いに安心しながら、お姫様抱っこされてる…と、ボンヤリとする意識の中で思った。



リビングを出て、別の部屋に入り、ドサッと寝かされたのは、ベッドの上。


少し冷んやりとしたシーツの感触が、頬に直接伝わる。



あたしの体から腕を引き抜くと、兄ミヤチは上から布団をかけ、何も言わずに離れた。



ドアが閉まるのを耳で確認し、シーツに身を沈めた。



眠い訳じゃない。



だけど瞼は重く、意識がある状態で、シーツにくるまっていた。



クラクラする頭と気怠い体が落ち着いて来た頃には、随分と時間が経っていたように思う。



部屋の向こうで物音が聞こえ、ゆっくりと瞼を開けると真っ暗で…かろうじて漏れる明かりに、そこが扉だとゆう事が分かる。



体を起こそうと手に力を込めると、少し頭がスッキリしていた。



体に掛かっていた布団がハラッとズレ落ちる。



肌から離れた温もりに、ハッとして脳みそが揺れた。



バスタオル一枚しかまとっていない姿をさらしてしまった。



どうして着替えてから脱衣場を出なかったのか…

せめて下着だけでも身に付けてから、バスタオルを巻かなかったのか…



どんなに後悔しても後の祭りで…今すぐにでも記憶を消し去りたいのに、そんな能力は備わっていない。



喉が凄く乾いて、ベッドから降り、明かりを頼りにドアへ近づくと、そこへ耳を当てた。



さっき部屋の外から聞こえた物音…今は何も聞こえない。



暫くドアに耳を当て、部屋の向こうの様子を伺った後、静かに扉を開いた。



通路の明かりに一瞬目眩がしたけど、物音を立てないようにドアは開けたまま、忍び足でリビングへ向かう。



閉められたリビングの扉。静かに開くと、兄ミヤチの姿が無い。



どうしてかあたしは、兄ミヤチはリビングに居るものだと決めつけていた。


微かに漏れるテレビの音が、そう思わせたのかもしれない。



まさかあたしを置いて、どこかへ出かけてしまったのか…


下がる視線に、掌の赤みが引いている事に気づく。リビングを出て、鏡を見ようと廊下に立ち、手前の脱衣場の扉を開けた。



あたしに背を向けて、洗濯機の前に立っている兄ミヤチが、まるでスローモーションの様に振り返る。



お風呂上がりなのか…少し濡れた髪と、着ていた服から部屋着に変わっているのが分かった。



そんな事を呑気に考えているあたしとは反対に、



「…ッ!」


凄く驚いたんだろう…


まるで幽霊でも見たような目をして、声も出さずに後退り、洗濯機にぶつかっていた。



「…だ、だいじょうぶ?」



一歩踏み出して脱衣場の中に入ると、息を吹き返したように兄ミヤチが口を開いた。



「…スズ…」


「ご、ごめん…居ないのかと思って…」


「…え?あ、あぁ」


「ごめん…」


「いや、あ…」



洗濯機に寄り掛かるようにして立っていた兄ミヤチは、すぐに視線を逸らすと、あたしの頬に触れ、首元をなぞり、次に腕を持ち上げられ、掌を握られた。



「治ってんじゃねぇか」



何をしてるんだろ…と、しばし放心状態に陥っていたあたしは、その言葉に、脱衣場に来た目的を思い出し、洗面鏡に近づいた。



「な?」


「うん…」


腕はすっかり赤みが引いていて、首筋や耳の後ろは少し薄くなっていた。



「何だったんだろ…」


呟いたところで、答えが出ないのは分かっていた。



「体調は、大丈夫か?」


兄ミヤチのその言葉に、めちゃくちゃ喉が乾いていた事を思い出した。



「お水下さい…」


「わかった。行こう」


背中を押されて、リビングへ誘導される。



兄ミヤチはすぐにお水を持って来てくれた。


少し距離を置いてソファーに座る。



「もう平気か?」


「あ、うん…」


「そうか」


「…ありがと」


「あぁ」


「……」



変に意識して言葉が続かない…


混乱していたとは言え、醜態しゅうたいさらし過ぎて、あたしだけが勝手に気まずくなっている。



「もう寝るか?」


兄ミヤチがあたしに問いかける。



まるで、見計らっていたみたいに。


いや、待っていてくれたのかもしれない。




「眠いだろ?」


「…兄ちゃんは?」


「俺も眠い」



そう言って、「スーも、もう寝ろ」と、兄ミヤチは続けた。



「うん…」と、頷いてみたものの、どこで寝たら良いのかと疑問が過ぎる。



もちろん寝室があるのは知ってるけど、あたしもそこで寝かせてくれるんだろうか…



ソファーが嫌って訳じゃなくて、こんなに広いリビングでは、心細くてしょうがない…



出来る事なら、あの気持ち良いベッドで眠りたいなと…何とも自分勝手な事を思った。



立ち上がった兄ミヤチは、「寝るぞ」と、あたしにも立つように促す。


そしてリビングを出て行くから、急いでソファーから離れた。



リビングを去る間際に、点けられたままのテレビへ視線を向け、すぐに後を追った。



「暑かったら、クーラー点けたり、適当にして」


部屋に入ってすぐ、「リモコン、そこ」と、雑な説明をする兄ミヤチは、「じゃあな」と言って、返事も聞かずに出て行ってしまった。



灯りが点いている寝室は、さっきよりも広く感じ、足元にあたしの通学鞄が置かれている事に気づいた。



鞄に入れたままだった電話を取り出すと、父からメールが来ている。



「秩序は守ってね」とゆう文章から始まり、「ユウトくんによろしくね」と終わっていた。



再び電話を鞄に仕舞い、ベッドに潜り込んで頭まで布団を被る。



目を瞑りながら、色んな事が頭の中を駆け巡っていた。


だけど思い出しては、すぐに思考を切り替える。考えたところで、胸が痛いだけ…



布団から顔を出して、ハァと息を吐き出した。


扉を見つめ、ゴクンと喉を鳴らす。



……眠れない…



折角兄ミヤチが、“一人ぼっち”のあたしを助けに来てくれたのに。これじゃあ家に一人で居るのと変わらない。



余計な事ばかりが頭に浮かんで、何度も寝返りをうってしまう。



だけど…


兄ミヤチをここへ呼ぶのは、いけない気がした。



言ってみれば、あたしは兄ミヤチにとって妹のような存在で、岸田ゆり子ちゃんと接する事が無い分、あたしにその優しさを向けてくれているんだと思う。



だけど、あたし達は男と女で…状況を考えないといけない。


万が一、過ちが起きてしまえば…曖昧なあたし達の関係が、複雑に変化しそうで…



そうなって兄ミヤチを失う事を思えば、一人ぼっちは我慢するべきだと思った。




「…どうした?」



「兄ちゃん…」と呟いたあたしに、背を向けていた兄ミヤチは、ソファー越しに振り返った。



リビングは薄暗く、テレビの明かりだけしかないと分かる。



「スズ?」


「…ここに居たい」


「……」


「寝れない…」


そう呟いて、立ったまま視線を落とした。



寝室に呼べないなら、リビングに自分が行けば良いと思ったあたしは、どこまでも世間知らずで、浅はかに生きている…



「スズ、座れ」



兄ミヤチが呼んでくれた事に、安心感さえ抱いていた。



「何か飲む?」



その言葉に、首を横に振ってソファーに向かう。



薄暗い所為か、心細い気持ちが後押しして、いつもより兄ミヤチの少し近くへ腰掛けた。



「テレビ、点けたままで良いから」


そう言って立ち上がろうとする兄ミヤチ。



「ちょ、」


思わず腕を掴んでしまったのは、無意識だった。



「どこ行くの?」


「どこも行かねぇよ。スーがここに居たいんなら、俺は向こうで寝る」



この時、兄ミヤチに腕を掴まれて、自分が引き止めて居たんだと気づく。



ゆっくりとあたしの腕を引き離した兄ミヤチに、思わず顔をしかめてしまった。



だって、それじゃあ意味がない…


あたしは傍に居て欲しいのに…



「ま、待って!」



立ち上がった兄ミヤチへ思わず声が大きくなった。



「じゃ、じゃあ、あたしも行く」


「え…?」


「あたしも、一緒に向こうへ行く」


「…スズ」


「起きてたじゃん…」


「……」


「眠たいとか言って、テレビ見てたじゃん…」



それが、兄ミヤチなりの配慮だったんだと気づいていた。


あたしに、“何もしないよ”ってゆう、兄ミヤチの優しさ。


安心してあたしを寝させようとした、兄ミヤチの心遣い。



「一緒に居て欲しい…」


「……」


「寝てて良いから…」


「……」


「あたし、静かにしてるから」


「…スズ」



必死で言葉を紡ぐあたしに、兄ミヤチが困ったように名前を呼ぶ。



「同じ空間に居てくれるだけで良いから…」


「…いや、そうじゃなくて」



ハァ…と溜め息を吐かれ、自分の言動がどれだけ相手を振り回しているのかと…急に情けない。



「眠くなったら向こうに行けよ」


「あ、うん」



ソファーに座り直した兄ミヤチは、少し機嫌が悪そうに見えて…


煙草を吸い出した横顔が、心なしかダルそうに見えた。



「あの、ごめんね…」



薄暗い部屋の中で、テレビ画面の明かりが兄ミヤチの横顔を照らす。


その表情からは心境を読み取る事が出来ず…あたしの謝罪は宙へと消えた。



…優に一時間はこのままだったと思う。



テレビの明かりだけしかないリビングは薄暗く、その画面を見つめたままの兄ミヤチは微動だにしない。



だからあたしも同じように隣からテレビ画面をひたすら眺めていた。


同じ明かりだけを見ていると、次第に瞼が重くなってくる。


ソファーに沈めた体が鉛のように重く、動こうとしない。



テレビから漏れる音声を子守歌に、夢の中へと足を踏み入れていた。



気持ち良い眠りに誘われて、瞼がどんどん下がっていく。



「…スズ」



あたしの腕を掴んだ兄ミヤチの声が、遠くに聞こえた。



「歩けるか?」


「うん…」



ほとんど目を瞑ったまま立ち上がるあたしを、兄ミヤチが支えながら寝室まで連れて行ってくれる。



ベッドに倒れ込むと、腕を支えてくれていた兄ミヤチが、布団をかけてくれた。


枕に頬を寄せると、気持ち良い睡魔が再び押し寄せる。



フワリと髪が揺れた。


頬を滑って行く手の感触…




「スズ…」



耳元で、そう囁く声が聞こえた。

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