届かない
届かない思いがある。
兄ミヤチの思いが、岸田ゆり子ちゃんに届いていないように…
あたしの気持ちを知る人なんて居ない。
あたしの気持ちは、誰にも届かない。
例え友達でも。
例え親だとしても……
正しい事を言ってる時には、どうしてあたしの気持ちが分からないの?と、相手に届かない思いを酷くもどかしく感じたりする。
だけど自分に非があると自負していれば、この思いは知られたくない…と、届かない事を願ったりする。
届かない事が幸せなのか…
届かない事は悲しい結末を生むのか……
「俺にはおまえが分かんねぇ」
お昼に、学食で向かい合うあたし達。
「は…?」
午前中から口数が少ないと思ったら、“アイ”はいきなりそんな事を口にする。
「だってさ……何でだ? いや、ん? いや、やっぱりわかんね!」
「無理して分かって貰わなくていいです」
ハァと溜め息吐いて、唐揚げを口にした。
「いや、だってさ…」
「何?さっきから…」
ハッキリしない“アイ”に、早々苛立ちが生まれる。
「…ミヤッチって、良い男だろ…?」
「はい?」
もはや話が通じないのかと、あたしは自分の思考回路を疑った。
「かっこいいし、センス良いし、チヤホヤされても動じないとことか、やっぱかっけーなって、なるだろ?」
「…どうしたの?」
「おまえ思わねぇの?」
「は?」
「ミヤッチと居て、おまえ何とも思わねぇの?」
「はぁ?」
「キャー!とか、かっこいー!とか、好き!とか」
最後の方をやたらと強調された。
「ミヤッチ、あんなに積極的なのに…」
その言葉には耳を疑う。
「積極的…?」
どう積極的なのか、是非とも教えて頂きたい。
「おまえさ…何っもわかってねぇな…」
コイツに言われると無性に腹立たしいのは気の所為だろうか…
「マジで分かんねぇの?マジ馬鹿野郎だな!」
明らかに調子に乗って言ったと思われる二言目の「馬鹿野郎」には、頬が引き攣るのを感じた。
「…何が言いたいの?」
「…えっ」
さっきまでの騒がしさから一変、今度は“アイ”の顔が引き攣る。
「さっきから、ミヤッチミヤッチって…あたし達別に、いつも一緒に居ないし」
吐き捨てるようにそう言って箸を進めると、“アイ”はもう何も言わなかった。
そうやって黙り込まれてしまうと、ちょっと申し訳なく思ってしまう。
キツく言い過ぎたかなと、考えてしまう。
だけど、“アイ”が騒ぐ意味が分からない。あたしと兄ミヤチは、学校では全く会わない。
だから、「ミヤッチと居て…」と言われても、その言葉にしっくりこない。
渡り廊下を通る時でさえ、あの空間が耐えれず…先輩達の方は絶対見ないから、そこに兄ミヤチが居るのかすら確認出来ない。
「はぁ…」
やるせない。
この状況に溜め息が漏れる。
暫くお互いに口を開く事はせず、あたしは腹を満たし続けた。
最後の唐揚げを喉に流し、お冷やの入ったグラスを手にした時…
「…わりぃ」
“アイ”の情けない声に、グラスを持ったまま視線だけ向けた。
“アイ”は、あたしが見ているとわかっているのに、こちらを見ようとはしない。
少し残っているカレーをスプーンでいじっていた。
「…なに?」
そのもどかしさに声をかけると、様子を伺うようにやっと視線を合わす。
その仕草に、あたしの中で再び苛立ちが芽生えそうになり…眉間に皺を寄せた。
“アイ”が人を伺うように見る時は、相手を配慮しての事だと思う。
これから発言する内容に、相手はどんな姿勢で受けとめるのか…その発言によって、相手が不愉快に感じないか…傷ついたりしないか…この言葉を口にして良いものか…
そんな思いから表れる態度だと思う。
あたしにはそれがわかるから、その“アイ”の態度に苛立ちを覚えてしまう。
コイツは、これからあたしを不愉快にさせるのか…
コイツは、これからあたしを傷つけるのか…
コイツは、これから……
その内容が想像つかないだけに、苛立ちに不安までもが加わる。
「俺やっぱ…」
そう呟いた“アイ”に、あたしの体が震えたのは、苛立ちからか…不安からか…
「おまえ―…嫌いだわ」
…どちらでもない。
「…わりぃ、好きになれねぇ」
…恐怖に近い。
「ゆりが信頼してる奴だから、俺も…おまえの事を受け入れようと思った」
「……」
「仲良くなろう…ってか、普通に話かけたり、ゆりんち遊びに行ったり…友達になろうと思った」
「……」
「でも、無理」
「…ッ」
息が詰まりそうになって、無意識に固く結んでいた唇から小さく息を吸い込んだ。
「俺やっぱ、おまえ嫌いだわ」
全てがスローモーションのように感じた。
“アイ”の口がゆっくりと閉じ、“アイ”がゆっくりと席を立つ。
お膳を持つ仕草もゆっくりで……
「おばちゃん!ごちそうさまー!」
遠くで聞こえた“アイ”の声に、付いて行けてないのは、あたしだけだと感じた。
「何それ…」
手にしていたグラスが、力無く音を立ててテーブルに落ちる。
落としたのか、置いたのか、それすら分からない。
ただ、手の甲に少しだけ水が飛び散ったのは分かった。
口元がフルフルと緩んでいく。
あたしは、笑ってるんだろうか…
フッと漏れた息がやけに耳についた。
あたしは、泣いてるんだろうか…
全身に力が入らない。
あたしは、
…捨てられたんだろうか。
見捨てられた…?
切り捨てられた…?
どちらにしても、捨てられた事に違いはない。
「何これ…」
呆気ない。
人と人の繋がりは、何とも呆気ない。
あたしが岸田ゆり子ちゃんの友達だから、自分も友達になろうとしたって?
我慢して、あたしと仲良くしようとしたとでも言うの?
だけどやっぱり出来なかったって?
やっぱり嫌いだって?
「何だそれ…」
“アイ”に嫌われてる事なんて知っていた。
“アイ”が岸田ゆり子ちゃんの為に、あたしと居る事ぐらい気づいていた。
それでも……少しは、気持ちの距離が近づいたのかな?って、思っていた。
“アイ”の秘めた思いを、あたしは理解してるつもりでいた。
好きな女の子の為に、力になってあげたいってゆう“アイ”の思いに、黙って協力していたのはあたしの方だ…
ほどほど嫌気がさしてんのは、
「こっちだろ…」
どうしてわざわざ、あんな風に言われないといけないの?
「……何でッ」
ガタン!と、椅子が後ろに倒れた。
お膳もそのままにして、勢い良く食堂を出た。
込み上げてくるものを振り切るように、走った。
息が苦しくても…
ただ、がむしゃらに走った…
荒くなる呼吸に、大きく息を吸い込むと、少しだけ涙が滲んだ。
あたしが…何したってゆうの…
「…待ってッ!」
肩で息をしながら、渡り廊下を歩く“アイ”に、怒鳴るような声が出た。
“アイ”は酷く驚いたようで、振り返ってあたしを見る顔が、一瞬にして強張る。
「すーちゃん…?」
酷く困惑した森ちゃんの声が、耳に届いて……
それすら疎ましく感じるから、あたしは“アイ”から視線を逸らさない。
「あたしが…」
何したってゆうの。
「あんたにそこまで言われる覚えなんかないっ」
我慢してきたのはあたしの方だ!
いつだって振り回されてんのはあたしの方だ!
「友達なんかいらないっ!なってくれなんて頼んでないっ!」
だったら…
「最初から関わらなきゃいいっ!嫌いなら近づかなきゃいいっ!人の事を散々巻き込んどいて、人の事を散々利用しといて、あたしだって!あんた何か嫌いだっ!」
“アイ”だけを見て投げ捨てた言葉は、この場に居る森ちゃんと、この場に居ない岸田ゆり子ちゃんにも向けたものだった。
「あたしは、あんた達に都合良く使われる道具じゃないッ!」
「……」
「あたしが嫌がってるのに気づきもしないで!」
「……」
「あたしがどれだけ苦痛だったか考えもしないで!」
「……」
「あたしがどんなに我慢したと思ってんの!」
怒りに任せて吐いた。
言いたい事はまだたくさんあった。
「あたしがっ…」
だけど、涙が出そうだから、それ以上は言えなかった。
溢れ出そうなものを堪える為に鼻を啜り、乱れた呼吸と気持ちを落ち着かせようと深呼吸を繰り返す。
「あぁそう」
帰って来た言葉は、どこまでも胸糞悪い。
「もういい?」
冷たいその声。
冷たいその視線。
「…ッ」
高ぶったまま抑えきれないあたしと、たいして気にも止めてないような“アイ”との、悲しい温度差。
「こんなとこでギャアギャア嘆いて、満足できた?」
熱い物を冷ます事なんて、簡単だった。
冷ますどころか、“アイ”はあたしの心を一瞬で凍らせた。
「おまえ相当うぜぇよ」
ずっと“アイ”だけを見ていたあたしは、ゆっくりと辺りに視線を向けて――…
「バカみたいにうるせぇんだよ」
頭が真っ白になった―…
森ちゃんの、哀れむような瞳。
先輩達の…怪訝そうな表情。
「おまえほんと最低だな」
“アイ”の言葉が、あたしに追い討ちをかける。
まるで…
そう、まるであたしは、
ピエロだ……
本音を隠して笑って来たあたしは、今更真実を述べたところで…
疑いの眼差しを浴びるだけ。
ただ黙って笑っていれば良かったんだろうか。
ピエロになりたくないと…もがいていたあたしは、自ら気づかない内に、その形を変えてしまったんだろうか。
「…すーちゃん!」
渡り廊下を走り出した時、森ちゃんの焦りに満ちた声が追ってくる。
今更…
そんな風にあたしを気遣ったって遅い。
泣き顔を見せなかっただけ、自分を褒めてあげたいと思った。
そんな事を思う自分は、もう人には戻れないのかもしれない。
ただ、あの場に兄ミヤチが居なかった事。
それだけが、唯一の救いだったように思う。
お母さん……
こんな娘に育ってごめんね…
すずは、人に迷惑をかけちゃいけないのに。
すずは、いつだって人の気持ちを考えて行動しなきゃいけないのに…
父さんは悪くないから。
父さんは、きちんとあたしを育ててくれたから。
あたしがね……
間違えてしまった。
お母さん、間違えちゃった…
届かない思いを、何度も繰り返し呟いた。
空を見上げてしまうのは、涙を流さない為なのか……
届くはずのない思いを、届いて欲しいと…
母を思って。
父を思って。
こんな自分を思って。
涙が流れた。
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