あたしの初体験
放課後になって、岸田ゆり子ちゃんと向かうのは渡り廊下。
自然と口数が減るのは、もうここを通るうえでの常識だ。
少しずつその距離を縮めて行くにつれ、「ふぅ…」と、小さく息を吐いた。
…あの日以来、更に憂鬱な瞬間と感じるこの場所。
渡り廊下。
あれからここを通る度に、何もなかった様にシレっと通り過ぎている。
もちろん視線は感じる。そりゃもう痛い程ヒシヒシと感じる。
見るのなら何か言ってくれと思うものの、誰一人言葉をかけてはくれない。視線が逸らされる事もない。
それでもあたしは、絶対に彼らの方は見なかった。
あれ以来、そこに“アイ”が居ないのは、何となく雰囲気でわかる。
隣を歩く岸田ゆり子ちゃんもそれに気づいてる筈だけど、彼女が何かを口にする事はなかった。
靴箱に辿り着いた時、大きく息を吸い込んだ瞬間、自分が無意識に息を止めてたんだと気づいて、思わず溜め息が出た。
もう一度小さく息を吸い込み、何だか楽しそうな岸田ゆり子ちゃんと駅へ向かって歩いた。
初めて使うこの町の電車に胸が高鳴る。
いつもは通る事のない駅までの道のりを、少し楽しみに感じていた。
遠足に行くみたいな。少し遠い町へ出かけるみたいな。ワクワクとする思いに蓋が出来ず、頬が自然と緩んでいく。
そんなあたしの浮かれた気持ちに岸田ゆり子ちゃんは気づいたらしく…
「こうやって遊ぶの初めてだね」とか。「プレゼント何にしようかなぁ」とか。嬉しそうに微笑んでくる。
それが、“自分も同じように楽しいよ”って言われてるみたいで、微笑み返す事が出来なかった。
彼女とあたしの喜びは違う。
“アイ”の誕生日プレゼントを買うのが楽しみな岸田ゆり子ちゃんに、
それに付いて行くだけのあたしが楽しくないって事、絶対わからない。
そうやって“アイ”の存在を主張してくるから、“アイ”が居ないって言われてるみたいで。
あたしの所為だって言われてるみたいで…
理不尽な嫌悪感が芽生えてしまう。
気づかれないように作り笑いを浮かべて、声のトーンが変わらないように高く喋って…
そんなあたしの憂鬱な気持ちを、岸田ゆり子ちゃんと同じ喜びに変えてほしくない。
あたしってこんなに嫌な奴だったかな…って、最近凄く思う。
電車に乗って人が賑わう駅で降りると、デパートやビルが立ち並び、制服を着た同世代の子や、サラリーマンにOLと、様々な人がたくさん行き交っていた。
ドキドキと高鳴る鼓動に煽られ、観光客のように周りを見渡すと、カラオケBOXやゲームセンターが並んで見える。
その通りは、いかにもな柄の悪い人や、ヤンチャそうな学生がチラホラ見え、まるでうちの渡り廊下だなと思って、少し憂鬱になった。
だけど誘導してくれる岸田ゆり子ちゃんはそこを通る事はなく、老若男女で賑わう反対の通りの、デパートに向かって行った。
そこの5階にメンズコーナーがあるとゆう事で、やたら詳しい岸田ゆり子ちゃんに説明されながら、あたしは初めて来たデパートに胸を踊らせていた。
「良いの無いね」
「これは?」
「アイは同じ香水しか付けないんだ」
「…じゃあこれは?」
「んー、似たようなの去年あげたからなぁ」
申し訳なさそうに話す岸田ゆり子ちゃんの回答に、手にした物を元の位置に戻した。
「はぁ…」
5階のメンズコーナーに来て20分。早くも面倒になってきた。
何か良いのあるかな…と、辺りを見渡してみたり。対して興味のない財布をやたらと物色してみたり。
必死に“アイ”の誕生日プレゼントを探す岸田ゆり子ちゃんの傍で、あたしは探すのを手伝うフリをしてた。興味があるフリをして、この場を楽しんでるフリをした。
どれだけあたしが選んでみたって、何かしら理由を付けて断って来る。
最終的には自分が納得した物じゃないと嫌なんだろう。
だったらあたしなんて連れて来なきゃ良いのに…
「これは?」
もう何度目かの“これは?”に、自分でも程々嫌気がさしてくる。
物色してた財布コーナーの近くにあったハンカチを手に取り、反対側を見てる岸田ゆり子ちゃんにそれを見せた。
「これ…?」
振り返った彼女がそれを見て、困惑してるのが手に取るようにわかる。
だからそれを戻そうと思った。
次に彼女が言うセリフをわかっていたから。
「だよね」って笑って、また別の物を探そう。
「ねぇ…」
「ん?」
ハンカチを元の位置に戻しながら岸田ゆり子ちゃんを見ると、
「いいね、それにしよ!」
岸田ゆり子ちゃんはアッサリ承諾してそれを手に取った。
「はっ!?えっ!?」
あたしは吃驚して面食らってしまい…
「えっマジ…」
すぐには理解出来なくて、呆然と佇んでた。
「すず?行かないの?」
お会計をしに早速レジへと向かう岸田ゆり子ちゃんが、振り返ってあたしを呼んでいる。
ハッとして咄嗟に彼女の腕を掴んだ。
「ちょ、それで良いの?」
「えっ?何で?」
「何でって…」
適当に選んだからだ。
たまたま近くにあるハンカチが目に止まって、どうせ断られるのは目に見えていたから冗談半分で言ってみただけ。
だいたい今時の高校生が、ハンカチなんてプレゼントされて喜ぶとは思えない。
言葉に詰まるあたしに、岸田ゆり子ちゃんは柔らかく微笑んで、
「すずが選んでくれたからこれにする!」
…残酷な言葉をあたしに伝えた。
あたしが適当に選んで“アイ”の誕生日プレゼントになってしまったハンカチは、本当に普通のハンカチだった。
四つ折りにされた布を広げると、正方形の淵にブランドのロゴがプリントされている。
薄い紫色のシンプルなハンカチ。
“アイ”みたいな調子にのってる感じの奴がハンカチなんて持たないと思うし、ましてや薄い紫色なんて似合わない…
「ハンカチは思いつかなかったなぁ」
綺麗にラッピングされたそれを見ながら、嬉しそうに微笑む岸田ゆり子ちゃん。
あたしは苦笑いしか出て来ない…
お会計の時に、罪悪感から「半分出すよ」と言ったあたしは、ハンカチのくせにハンカチらしからぬ良い値段のそれに、言った事を少し後悔した…
適当に選んでしまった事への罪悪感じゃない。
適当な気持ちで選んでいた事への罪悪感だった。
「アイ絶対喜ぶよ!」
そう言いながら喜んでいるのは岸田ゆり子ちゃんのように見えて…
「すずが選んでくれたから!」
そんな事を素で言う彼女に、あたしの表情筋は引き攣るばかり。
“アイ”がこんなの喜ぶ訳がない。
ましてやあたしが選んだと聞いて、いらないと言うかもしれない。
最悪…怒り狂うかもしれない。
そのハンカチは、それだけ適当な自分を象徴してるように見えた。
“アイ”には、こんなあたしの醜い部分が全て見破られてしまう気がした。
初めてのデパートは、苦い思いで終止符を打ち、初めてあげるプレゼントは、思い出したくない記憶となった。
用事が済んでデパートに居る意味もなくなり、「どっか見たいとこある?」と言う岸田ゆり子ちゃんに、正直帰りたいとは言えず…
「喉乾いた」
とりあえず、休憩をしたいと思った。
デパートを出て駅へ向かって歩くと、岸田ゆり子ちゃんが「あそこで良い?」と指差した先には、コーヒーショップがあった。
初めて入ったその場所は、あたしの中で“いつか行ってみたいランキング上位”の有名なお店で、また少しドキドキと鳴り始める鼓動を感じながら、店内を眺めていた。
どこに座るんだろう?と見渡すあたしに、先々前へ進む岸田ゆり子ちゃんは、レジらしきカウンターへ向かうと、メニューを見ている。
「先に頼むの?」
不思議に思ってそう聞くと、「え?」なんて逆に不思議そうな顔をされ、「…先に頼むんだね」と、自己解決して自分もメニューに視線を落とした。
隣からは岸田ゆり子ちゃんの視線を感じ、前からは店員のお姉さんの視線を感じて、その2人の目から逃げるようにメニューを一心に見つめた。
だけどコーヒーの飲めないあたしに、この店はとても意地悪で…
「あたしはキャラメルマキアート」
岸田ゆり子ちゃんは、そんな名前の飲み物を注文した。
「すずは?」
変な名前の飲み物ばかりで、どれがどうゆうのかわからず…
「あたしはココアで…」
小さな声で、唯一わかったそれを指名した。
「アイスとホットどちらが宜しいですか?」
笑顔で聞いてくる店員に、それくらい分かると意気込んで、
「アイスでお願いします」
と、満足げに答えた。
…だけど違った。
このお店はどうもあたしを落胆させたいらしい。
出来るまで隣にズレて待っていると、
「お待たせ致しましたー!!」
店員さんの大きな声と一緒に、カウンター越しから2つのドリンクが手渡された。
それを受け取ったあたしは、
「2階に行こ!」
岸田ゆり子ちゃんの声に誘導され、意識を取り戻した。
…なんだこれは。
「飲まないの?」
目の前に座る岸田ゆり子ちゃんがマジマジと見つめてくる。
「…どうやって飲むの?」
「…え?」
駅前の景色を一望できるガラス張りの手前に、向き合って座れるソファーがあり、あたし達はそこに腰かけている。
「えっ?」
ポカンとしてた岸田ゆり子ちゃんの顔が困惑に変わり、
「え?え?」
まだ「え?」を連発している。
「すず…?」
「なに?」
「それ本気で言ってんの?」
「言ってる」
頷いたあたしに、何度か瞬きを繰り返した岸田ゆり子ちゃんは、
「…その、グラスに入ってる棒で…」
「ストローぐらい知ってるよ」
あたしを相当なバカだと思ったらしい。
「えっ…あっ…だよね!」
即答したあたしに安心したのか、岸田ゆり子ちゃんの声が明るいものに変わった。
「じゃあ何?」
「…何か乗ってんだけど」
「えっ?」
「ココア頼んだのに、上に何か乗ってる」
あたしがグラスを向けると、彼女も視線をそこに落とし、
「生クリームの事…?」
すぐに答えをくれた。
「やっぱこれ、生クリームだよね」
「うん」
「何で生クリームが乗ってんの?」
「へ?」
「これケーキじゃないよね?飲み物だよね?」
「う、うん」
「何でココアに生クリーム乗っけちゃってんの?」
「……」
「これ、嫌がらせ?」
知らなくて良い事があるってゆうけど、知らない方が良かったって言ってる人もいるけど…
あたしは、無知ほど怖いものはないと思っている。
「ココアの上にね、生クリームを乗せて飲むと美味しいんだよ」
「……」
「だからね、こうやってココアの上に生クリームを乗せて出すお店が結構あるんだよ」
「……」
まるで小さな子供に一から物を教えるみたいに、岸田ゆり子ちゃんは優しく教えてくれた。
「混ぜながら飲んでも良いし、先に生クリーム食べても良いし。飲み方は自由だからね」
「……」
「生クリーム嫌いだったら、生クリーム抜きとかも出来ると思うよ」
「……」
「ココアに生クリーム乗ってるか、先に聞いてれば良かったね…」
「……」
「…すず?」
「……」
ショックだった。
知らない自分が凄くショックだった。
サンタクロースなんて居ないよって言われた気分だった。
サンタを信じてる訳じゃないけど、居ないって断言されると居ない事を認めざるを得ないみたいな…そうゆうショックと似てた。
自分がここまで付いていけないとは思ってなくて、
「…あたしも知らない事いっぱいあるよ!」
「……」
フォローしてくれる岸田ゆり子ちゃんに、苦笑いすら返せない。
変な子だと思われたかもしれない。
あたしの事、不信に思ったかもしれない。
でもしょうがない。
これがあたしだからしょうがない。
友達居なくて転校ばっかりして、遊びに行く事もなくて、コンビニで売ってる紙パックに入ったココアを、一度だけ買って飲んだ事しかない。
こんなお店だって行った事ないし、デパートだって家族で行くようなとこだと思ってた。
高校生が行って何すんの?って思ってた。
カラオケだってゲーセンだって、あたしには未知の世界で…
「ココア、飲まないの?」
岸田ゆり子ちゃんに言われて目の前のグラスを見ると、一度も口にしてないココアは、生クリームが少し溶け出してた。
「…あっじゃあ、これ飲む?」
岸田ゆり子ちゃんが差し出して来たのはキャラメルなんとかってゆう飲み物。
「美味しいよ!」
黙って見つめるあたしに、彼女は言葉を続けてくる。
気をつかわせてるなと思った。
気をつかわせてる自分がガキ臭く思った。
岸田ゆり子ちゃんが大人の対応をするから、自分が凄くみっともない。
「大丈夫。ありがとう」
だからあたしも大人になって、そう笑って返した。
大人な彼女からそれを受け取る自分が、凄く子供に感じてしまいそうだったから。
水滴の付いたグラスを持って、ストローでグルグルかき混ぜて、一口飲むと、生クリーム入りのココアは凄く甘くて…凄く美味しかった。
だけど、目の前でキャラメルなんとかを飲んでる岸田ゆり子ちゃんが、「美味しい」ってゆう度に、ほんとは飲んでみたかったと思うあたしは、やっぱり大人になりきれない。
特に話す事なんてないけど、こうやって向かい合って座ってるのに、会話がないってのは辛い。
何か落ち着かなくて、目の前のココアを飲むペースが凄まじく早くなる。
今は何時なのか、父が帰るまでにご飯の支度がしたいとか、時間が気になるのに確認する事が出来ない。
携帯の画面を開いて時刻を確認したいのに…そうゆう行為をしていいのかわからない。
相手に失礼じゃないか…
気を悪くするんじゃないか。
そんな事が気になって気持ちがソワソワする。
だけどソワソワしたのを悟られないように、手を伸ばすのは、やっぱり目の前の冷たいグラスで…
「このあと、どうする?」
グラスに手を添えた時、岸田ゆり子ちゃんが言葉を落とした。
彼女に視線を向けながらグラスを持ち、ストローでかき混ぜて一口飲む。
「まだどっか行きたいとこある?」
問いかけてくる言葉に、あたしが思ったのはただ一つ。
…帰りたい。
だからストローを加えたまま首を横に振った。
「もう十分。色々見れたし」
少し笑って答えると、岸田ゆり子ちゃんも微笑んで、
「じゃあこれ飲んだら帰ろ?」
と、待ちわびた言葉をくれた。
心の底から「うん」と、笑顔を見せたあたしは、何とも現金な奴だ。
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