不信の時
結局、“アイ”は昼休憩の間ずっと帰って来なくて、それは午後の授業が始まってからも同じだった。
岸田ゆり子ちゃんは特に気にした様子もなく、“アイ”について何も触れないからあたしも何も言わなかった。
だけど違う形で耳に入ってくるのは、多分“アイ”の事。
それが絶対じゃないのは、「ナガハラくん」とか、「ヨウタのやつ」とか、アイツの事を誰一人“アイ”って呼ばないから。
「ヨウタどこ行ったの?」
「アイなら渡り廊下だよ」
こうやって岸田ゆり子ちゃんが答えるから、やっぱり“アイ”の事なんだろう。
「昼休憩の時、ナガハラくん渡り廊下に居たんだけど!」
「え?マジで!? 相変わらず先輩と仲良いよね!」
朝と変わらず隣の席の女子も、“アイ”の事を話していた。
“アイ”が居なくなってわかった事がある。
アイツはどうやらクラスの人気者らしい。アイツが居ないとおもしろくねぇって顔してる男子が大勢いる。だから皆、“アイ”を探して、“アイ”の居所を確かめている。
平気な顔をしているのは、あたしを除いて何もかも知っていそうな岸田ゆり子ちゃんだけだ。
——迎えた放課後。
約束通り、「帰ろっか」とあたしの席にやって来た岸田ゆり子ちゃん。
2人並んで教室を出る時、昨日は感じなかった視線が追いかけてくる。教室を出る間際で振り返ると、何人かの男女と視線が重なり、すぐ逸らされた。
それは気分の良いものではなく、あたしの中に不快感が広がる———
「感じわる…」
吐いて出た言葉は本心で、この時のクラスメイトの態度が意味するものを…あたしはまだ知る事はない。
「うわ…」
見えてきた渡り廊下を遠目に、「人数増えてない…?」と、岸田ゆり子ちゃんに視線を向けた。
「ほんとだね」
シレッと言ってのける彼女に溜め息吐くと、その向こうに見知った姿を発見して、更に溜め息が漏れた。
「何でアイツまで加わってんの…」
「アイは仲が良いから」
普段から落ち着いた話し方をする岸田ゆり子ちゃんだけど、「仲が良いから」って微笑んだ顔が寂しそうに見えた。
「…昨日より緊張する」
やっぱりこの場所は苦手だと思った。
更に人数も増えて、もはや何かの集団か…?と言いたくなってくる。
ドクンドクンと震える心臓が、その憂鬱さを増して…
「大丈夫?」
岸田ゆり子ちゃんの声が耳に届いた時は、天使の囁きにすら聞こえた。
「あたしダメなんだよね…この空間、やっぱり苦手だ」
ふぅ…と息を吐いて隣に居る彼女へ視線を向けると、吐息混じりの声が聞こえ、
「ッアハハハハハハ!」
気づいたら大爆笑に変わっていた。
何が何だか状況を理解出来ないあたしを置いて、岸田ゆり子ちゃんがお腹を抱えて廊下の壁を叩いている。
こんな子だったかな…?と、あたしの中で勝手にイメージダウンしてしまった岸田ゆり子ちゃん。
「だ、だいじょうぶ…?」
逆に心配になって声をかけると、「いやぁ…こんなに面白いの久しぶり!」と目に涙を浮かべていた。
そりゃもう、すれ違う生徒達も吃驚だ…
「…ごめんごめん!行こ?」
「…うん」
戸惑いを隠せないあたしは曖昧に頷き、その隣では、「はぁ、良く笑った」と岸田ゆり子ちゃんが満足そうにしている。
「長谷川さんって、ほんと好きだわ」
だけどその告白は、どうもバカにされてる気分になる。
「あっ…ごめんね!」
そんなあたしの心中に気づいたのか、岸田ゆり子ちゃんが気まずそうな表情を浮かべるから、気にしないでと首を横に振った。
それよりも…もうすぐ渡り廊下に突入してしまう。
覚悟を決めて、視線を前に…意識はその先にある靴箱へ集中した。
一歩一歩近づくにつれ、周りの生徒達も、さっきまでの笑い声はどこえやら…隣を歩く岸田ゆり子ちゃんでさえ、沈黙を守っている。
先輩方の姿が鮮明に見て取れる距離に近づいた時…
「やべぇウケる!!」
場に似合わない下品な笑い声が響いた。
「はぁ…」
聞こえて来た溜め息は岸田ゆり子ちゃんのだとすぐにわかる。
「えー!!俺もそこ行きてぇ!!」
勝手に行って来いよ…と、話しの内容もわからないのに毒づいてしまうのは、
「おー!!ゆり!帰んのか!?」
コイツの存在がやけに浮いて見えるからだろう。
「アイ…」
気まずそうな、嫌そうな表情で、岸田ゆり子ちゃんが呟いた声はとても小さなものだった。
「長谷川さん、行こ…」
そしてあたしに届いた声も小さなもので…
「おい!ゆり!」
岸田ゆり子ちゃんは足を止める事なく、“アイ”を無視してそのまま進んだ。
「えっちょっ…と、」
てっきり立ち止まると思ったあたしの足は、既に“アイ”の前で停止していて…
岸田ゆり子ちゃんの後を追いかけるように地面を蹴った。
「おい待て」
だけど足は進む事なく…掴まれた腕が痛い。
視線を上げると、“アイ”があたしの腕を掴んでいて、声同様にその表情にも怒りが見える。
ピリピリした空気があたしを包み込んで、通り過ぎる生徒達はこの光景を見ないようにしていた。
訳がわからず、心臓がドクンドクン…と再び大きく鳴り響いた。
焦りと不安が入り混じる中、周りに居る先輩方の視線をヒシヒシと感じる。
だけど見る事は出来ない。
“アイ”から目を逸らさず、先輩方の視線を意識しないように、強く拳を握り締めた。
「おまえ何なんだよ?」
“アイ”は睨むような視線を向けてくる。
「ゆりと“お友達”になってどうしたいわけ?」
フッとバカにした笑みを浮かべて、
「おまえみたいな奴嫌いなんだよ」
“アイ”は悲しい怒りをあたしにぶつけた。
「おいヨウタ…」
あたしはただ黙って、“アイ”の言葉に耳を傾けてた。
「その辺にしとけって…」
“アイ”の目を黙って見つめた。
「この子泣いてんじゃん…」
その声が聞こえた時には、掴まれていた腕が離されてて…目の前には、昼休憩の“あの人”が立っていた。
「…大丈夫?」
見上げると歪んで見える視界に、自分は泣いてるんだと…気づいた。
瞬きをすると目から涙が零れ落ち、視界がクリアに広がっていく。
ハッとした時にはもう遅くて…周りの注目を一新に浴びていた。
物珍しさに見ているのか。可哀相だと同情の目を向けているのか。 “アイ”と同じようにあたしに怒りを覚えているのか…
人の視線に、ここまで心が折れそうになるとは思わなかった…
「ヨウタがごめんね」
だからかもしれない。
昼休憩の“あの人”の言葉が、やけに優しく聞こえてしまう。
思ってる程、時間は進んでなかったらしい。凄く短い時間だったらしい。ほんの何十秒とか?
あたしにはとても長く感じた瞬間だったけど、
「長谷川さん!?」
向こうから走って来る岸田ゆり子ちゃんの姿が見えたから。
…あ、居たんだ…って思った。
「どうしたの!?」
駆け寄って来た岸田ゆり子ちゃんは、あたしの顔を覗いたあと「何したの!?」と、その視線を目の前に居た “あの人”に向けた。
「えっ?いや、何って…ゆりちゃんが先々行っちゃうからじゃん?」
「はぁあ!?」
「ふざけんな!!」
…その怒鳴り声が渡り廊下に響き渡った。
フーだかハーだか肩で息をする岸田ゆり子ちゃんに、ここに居る全員が動きを止めた気がした。
乾いた涙が頬に張り付いて、さっきまで泣いていた自分が嘘みたいに感じる。
「…これ……」
俯き加減で呟いた岸田ゆり子ちゃんの声はひどく小さなもので、
「………だから…」
あたしを含め、先輩方も耳を澄まして近づいている。
「どした?ゆり?」
ずっと黙っていた“アイ”が声をかけると、
「これだから嫌いなの!!」
岸田ゆり子ちゃんの悲痛な叫び声が響いた。
「やめてよ!何なの!?あたしに関わらないで!あたしの友達に関わらないで!やっと見つけたのに!友達になれたのに!いっつも邪魔ばっかりする!」
誰も何も言わず…とゆうより、何も言えない感じで。あたし自身…驚きを隠せない。
だって大声を出すような子じゃない。
人前で取り乱すような子じゃない。
…と言っても、それはあくまであたしの中の岸田ゆり子ちゃん像なだけで。
実際は違うのかもしれない。
彼女の事、何も知らないから…
「ゆりちゃん?」
昼休憩の“あの人”が優しく問いかけると、岸田ゆり子ちゃんは鋭い目をその後ろへ向け…
「…大っ嫌い」
吐き捨てるように呟いた。
“あの人”に向けられた言葉じゃないとわかったのは、皆が “言われた本人” へ、一斉に視線を向けたからで…
それは、“アイ”でもなく、その集団の中でひっそりと埋もれる見た事のない人物だった。
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