家庭の事情

誰の家庭にだって、それぞれ事情があると思う。


人に言えるか言えないかは置いといて。


それはあたしの家庭にも言える事…



今までその“事情”を何とかしようと思う事はなかった。


だってどうにもならない。


そんなの、やってみなければわからない。と言われるかもしれない。


だけど本当にどうにもならない。



あたしがどうにかしようとして出きるならとっくにやっている。



やって何かが変わったなら、「またね」と言ってくれた友達と今も遊んでいたんじゃないだろうか。


「また明日」と言ってくれたあの子に、何か伝えられたんじゃないだろうか。



それが実現していないのだから、どうにもならないのは理解してる。



…だけど、その“事情”を、どうにかしたいと思った。




学校を出て数十分とも歩けば、自宅が見えてくる。自宅と言っても、ここは父親の母…つまりあたしのおばぁちゃんの家だ。


そもそもあたしに自宅と呼べる場所なんてない。



二段程登ると、あたしの胸下ぐらいの位置に古びた門扉もんぴがある。


門と言っても、どこかの豪邸ごうていにそびえ立つような物ではなく…敷居しきいを区切るだけの扉と言った方がしっくりくる。


そこを抜けて小さな庭を通り抜けたら、あっとゆうまに玄関へと辿り着き、鍵を開けて家の中へ入ると、静まり返ったその場所は冷んやりとした空気に満ちていた。



古い一軒家のここは、廊下を通る度にギィギィとその存在を主張している。



辿り着いた部屋のふすまを開け、室内へ足を踏み入れると、畳と湿気の入り混じった匂いが鼻をかすめた。


一日中閉め切られていたのだからしょうがない。


六畳の部屋は薄暗く、外からの明かりが部屋の中を照らしていた。



迷わず足を進めるのは仏壇の前。



あたしが5歳の時、母は亡くなった。だからあたしは父に育てられた。母が亡くなるまで、あたしには父との思い出がない。


あったとしても覚えてない。それぐらい父は家に居ない人だった。



その理由を知ったのは、母が亡くなってからすぐの事。



母との思い出が詰まった家はすぐに引き払われ…あたしは父に連れられ、色んな場所を転々とした。



転勤ばかりが続いて、その度にあたしも連れて行かれる…それは突然決まる事もあれば、期間が決められている事もあった。


そんな生活が嫌だった。

友達と離れたくなかった。


だけど嫌とは言えなかった。

離れたくないとは言えなかった。


母が亡くなって悲しいのは、父も同じだから…


仕事から帰ってくると、幼いあたしにしがみついて寝る父を知っているから…




「またね」と言ってくれた友達に二度と会えなくても。


「また明日」と言ってくれたあの子が、次の日の朝「今日転校します」と、みんなの前で挨拶をしたあたしから、目を逸らした事も…



父の寂しさを知ってるから、あたしを一人で育ててくれてるから。



全部、“しょうがない”と言い聞かせた。




仏壇の前に置いてある座布団の上に正座して、母の写真の前で手を合わせた。



「…ただいま」


写真の中の母に呟く。


場所が変わろうとも、時が過ぎようとも、母の写真の前で言葉をかけるのは変わらなかった。



あたしが知ってるのは、この写真の中と記憶に残る母だけ。



女の子は父親に似る。と良く言われてるけど、あたしは日に日に母に似てきているらしい。


…それがちょっと嬉しかったりする。


父に似てなくて良かったとかじゃなくて、母と親子である証のような気がして…


今はもう顔を見る事も、言葉を交わす事も出来ない。


だから、似ていると言われる度、遠くへ行ってしまった母を近くに感じられた。



電気も点けず、ぼんやりと母の写真を眺めていたら玄関の方で物音が聞こえた。



「ヤッバ…!」


どれくらい仏壇の前に座っていたのか、外もすっかり薄暗くなっている。急いで立ち上がろうとしたら、足が痺れて言うことを聞かない。



「痛っ!い…」



ジンジンと足に伝わる刺激に耐えながら、明かりが灯っているリビングへ急いだ。



「ごめん!まだ晩御飯作ってない!」



ダイニングへ滑り込むように顔を出すと、ソファーに腰掛けてネクタイを緩めている父がいた。



「どうしよ…今日何食べたい?」



エプロンを掛けながら父へ視線を向けると、盛大な溜め息と共に、うらめしそうな瞳を向けて来る。



「…すずは、お母さんには真っ先にただいまって言うのに、父さんには最初におかえりって言ってくんないんだな…」


「え…」


「父さん寂しいな…」


「あっ…お、おかえり」


「うん、ただいま」



父は満足気に微笑むと、スッと立ち上がり「着替えてくるからご飯よろしくー」と、奥の部屋へ消えて行った。



「……」


我が父ながら、本当に掴めない人だ…と思う。



どこかフワフワとしていて、マイペースと言えば聞こえは良いが…



「すずー!やっぱ父さん先に風呂入りたい!」



周りを振り回す傾向けいこうにあるのは、気の所為せいか…



急いでお風呂を沸かした後、晩ご飯の支度に取りかかった。


2人分を作るのにも手慣れてきたものだ…


手早く用意を済ますと、しばらくしてお風呂から出て来た父と食卓を囲む。


6人掛けのテーブルに2人だけとゆうのは、少し広く感じてしまう…


だけどこのフワフワした父との会話は、それを感じさせない。



「今日のお昼は弁当買って食べたよー」なんて、聞いてもないのに言ってくるから、「あたしは食堂で食べたよ」と自分も報告するしかない。


こうやって本当にどうでもいい話を毎晩一方的に振ってこられる。


だけどあたし達親子にとって、晩御飯を食べる時が、こうして会話できる唯一の大切な時間だったりする。



「すずは今日から高校生だもんな…」


「うん」


「早いなぁ…」



正確には昨日が入学式だったけど、父は当然仕事で来れなかった。



「どう?楽しい?」


「まだ初日だからわかんないよ」



あきれたように返すと、「そうだね」なんて父が笑う。



「まぁ、ここから近いから楽で良いよ」


「そっか、すずはそれを理由に選んだんだっけ?」


「そうだよ」



高校受験の時には、既にこの町への転勤が決まっていた。


たまたま父の実家もあるって事で、あたし達はこの家で暮らす事になった。


だから志望校は既にこの町の高校にしようと決めていて、どうせいつ引っ越すかもわからないんだし、この家から近い所を選んだ。



あたし達が色んな所を転々としている間に、元々足の悪かったおじいちゃんと、一人でお世話をしていたおばぁちゃんは、高齢者住宅に移り住んでいた。


引っ越して来た時に、何十年振りかに会いに行ったら、とても喜んでくれた。



「いつまでいるの?」っておばぁちゃんに聞かれて、「暫くは居ると思うよ」って答えたけど…


正直それはわからない。


いつも転勤が決まると、だいたいの期間を教えてくれるのに、こっちに来てからまだ教えられてないとゆう事は、またいつ引っ越すかもしれないとゆう事だ。



「ねぇ、父さん…」


「ん?」


父は箸を持つ手の動きを止めると、聞く体勢に入ってくれる。



「今回はいつまでこっちに居れる?」


あたしには何とかしたい思いがあった。



「…すずがそんなの聞いてくるなんて珍しいな」


父は少し驚き、柔らかい笑みを浮かべた。


でもすぐに、「そうだなぁ…」と困ったように視線を落とし、「今はまだわからないんだ…」と曖昧な返事をくれた。



「それって…また突然、転勤するかもしれないって事?」


「…んー…」


「違うの?」


「まだ何とも言えないから…決まったらすぐ言うよ」


「大体でもわからない?」



珍しく聞き分けのないあたしに、父はまた困ったように「んー」とうなり、「何かあるのか?」なんて聞いてくる。



「何もないけど…」


そう答えるしかなく…



「じゃあほら、ご飯食べなさい」と、いつもは急かす事のない父の言葉に、何だか話を逸らされた気分になった。




だから———



“友達が出来そう” なんて…



———言えない。

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