第145話

頭を抱えてうなだれた様に座る父親の前に立つ。






「これはどう言う事?」




自分でも信じられないぐらい低く静かな声が出た。





「・・・・・。」



父親はゆっくり顔を上げると、悲壮な面持ちで俺を見た。





「黙ってたら解らない。状況を説明して欲しいんだけど?」



あんたしか分かんない事実を聞かせてくれよ。




そんな風に視線を投げかけた。






「ピ・・・ピアノを弾きたいと言い出した。」



静かに口を開き出した父親。




「・・・・・・。」



あの汚れてしまった部屋にお母さんを連れていったの?




怒りに眉が寄る。






父親が家政婦と淫らな事をしたあの日から、あの部屋は鍵を掛けて封印したはずだったのに。





「昔の様に楽しげにピアノのを弾く彼女を隣で見つめていたら、突然・・・彼女が忘れていたはずの過去を思い出したんだ。」



父親が膝の上で握り締めていた拳に力が入るのが分かった。




母親は俺達を忘れてしまったあの日に、父親以外の記憶を全て無くした。




だから、俺達は悲しみが和らぐなら思い出さなくてもいいと、記憶を思い出させる様な事は一切しなかったんだ。







あの部屋で、あのピアノを弾く事で封印していた記憶が蘇ってしまったに違いない。





「・・・どうして・・・どうしてピアノのなんて弾かせたんだよ。」



悔しさに血が滲む程下唇を噛み締めた。




「・・・すまない。昔の様に微笑む彼女を見たかったんだよ。俺が取り上げてしまった笑顔を彼女に返してやりたかった。」




「・・・・・。」




自分があの人から笑顔を取り上げた自覚はあったんだな?




こんな時なのに、皮肉な笑みが口元に浮かぶ。






「そしたら、彼女が思い出してしまった。私があの場でした行為を・・・。」



カタカタと震え出す父親の肩。





あの日が俺の中に鮮明に蘇る。





母親も見てしまったであろう父親の情事。




自分の聖域で行われた行為を見て、母親は壊れてしまった。




それをまた再び思い出し、今度は完全に我を失ってしまったんだろう。

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