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 『先生』は、箭内に出会って、その時自分が本当にゲイなんだと確信し——つまり先生は一目惚れをした訳だ——、そして今までの人生で抱いていた諸々の違和感の理由がわかり、自分が解放された気がしたらしい。

 例えそれがマイノリティであったとしても、自分が何かに分類されるというのは、やはり安心するものなのだろうか。

 何かに名前をつけるという行為。引きこもりが、引きこもりと呼ばれるようになって増加したように、うつ病が、うつ病と名付けられて増加したように、人は分類されたがっているのではないか。何者でもない自分、何物でもない感情を持って生きるというのは、多分とても辛いことだ。

 ——お前はゲイだよ。

 僕は思い出す。口の中に入ってきた箭内の舌の感触。微かに香った箭内の汗の匂い。無骨な手が僕の股間を撫でたこと、そしてしゃぶったこと。味わったことのない、脳が痺れて腰から力が抜けるような快感。

 それを思い出したら、僕の股間が再び力を持ち始めた。

 僕はパソコンを立ち上げ、グーグルに検索したことのないワードを入力する。

『ゲイ 18禁』

 見慣れないサイトが表示される。ビデオメーカーと書いてある。僕はそれをクリックする。

『あなたは18歳以上ですか?』

 ——はい。

 ゲイのサイトでもこのやり取りは変わらないのだな、と思う。トップサイトでは、爽やかな男性、高校生くらいにも見える二人が親しげに肩を組んでいる。下の方には、やはりずらりとパッケージが並んでいる。裸のものもあれば、服を着たものもある。中にはサッカーのユニフォームを着て、泥だらけでボールを抱えて微笑みかけて来ているものもある。何かレザーの、いわゆるSMと呼ばれるもので使うようなものを身に纏ったものもある。僕はそれらを見て、あの『罪悪感』みたいなものを覚えない。

 僕は肩を組んだ二人の写真をクリックする。

 いきなり二人がキスをしている。僕は驚くが、すぐに冷静になる。ここはそういうサイトなのだから、当たり前のことだ。どんなに自分の奥深くを探っても、嫌悪感は見当たらない。『サンプル画像』には、二人が様々な体位で絡み合っているものが掲載されている。再び僕の股間が熱を帯びる、僕は『サンプル動画』をクリックする。音は出さない。街中で二人が仲良さそうに歩くシーン、キスシーン、そして服を脱がせあって、僕は自然に、今までで初めて、自らオナニーがしたいと思った。股間はもう限界だった。僕は興奮している。二人がやがて絡み合い始める。僕は着ていた部屋着のズボンを下ろす——

 その時、スマホが震えた。

 僕は反射的にスマホを手に取った。

 雪穂からのメッセージだった。

『やっぱり、付き合ってみることにした。相談乗ってくれてありがとう』

 僕はパンツ丸出しの間抜けな服装のまま、しばらくその画面を凝視していた。やがてゆっくりと視線を動かすと、動画は終わっていて、最後の、二人が結合しているのを真横から写したシーンで止まっていた。

 ——お前はゲイだよ。

 まるで呪いの言葉のように頭の中に声が響く。

 僕には『先生』のような解放感が無かった。何も解決されていないと思った。雪穂に彼氏ができる。雪穂が誰かの彼女になる。それは変わらず、僕の胸を締め付けた。僕は名前をつけて欲しくなんてなかった。僕は分類されたくなかった。違う。僕はその分類を、正しくないと思っているんだ。僕は雪穂が好きだ。僕は雪穂の彼氏になりたい。雪穂は女だ。だから僕はゲイじゃない。僕はパソコンの画面を見た。だけれども僕は、どうしようもなく(傍点)これに興奮する。

 頭がこんがらがりそうだ。普段だったらその解消にオナニーをするのだけれど、もう僕にとってそれは性的欲求と結びついてしまった。正しく、オナニーとはそういうものだ。

 パソコンの画面を閉じた。ズボンを履き直した。先走りが少しパンツに滲んでいた。

 雪穂にメッセージを送ろうと思った。『おめでとう』。その五文字を打つことができない。

 この感情に名前が欲しかった。

 僕はベッドサイドに置いてあった、雪穂から借りた漫画を手に取った。

 それは灯台が近くにある学校が舞台だった。女子生徒に人気の教師が、もう一人の教師に女装をさせて、カップルであるカモフラージュをする話だった。その女装させられる教師のことが、好きだという男子生徒が出てきた。自分はゲイなのだとその男子生徒は言った。僕は先生のことが好きなのだ、と男子生徒は思う。だけれどその男子生徒は、先生とセックスしたいとは思わない(傍点)。

 僕は寝転がっていた姿勢を正し、胡座に座りなおした。

 結局教師二人はお互いに結ばれる。女装も止める。男子生徒は遠く離れた学校に進学することになる。男子生徒は、仲の良い女子生徒に打ち明ける。

『好きだけど、セックスはしたくない。こういう感情って何なのかな』

『うーん……家族愛、じゃない?』

 その後の漫画の展開は、ほとんど頭に入ってこなかった。思わぬところからあっさりと与えられた名前。家族愛。僕が雪穂へ抱いている感情の名前は、それで正しいだろうか。僕は娘を嫁に行かせたくない父親と同じ感情を抱いているということなのだろうか。僕が子供の頃、お姉ちゃん子だったとき、姉が友達と遊びに行ってしまうときに感じた寂しさ、それと今の感情は同じものだろうか。家族愛。

 ——なんなら家族だって『特別な人間』だからなあ。

 僕が雪穂のことを『特別な人間』と言ったとき、箭内がそう言っていたことを思い出す。

 やはり、箭内が正しいのだろうか。

 けれど。僕は思う。

 『ノンセクシャル』の人たちもまた、セックス抜きの恋愛感情を抱いているというではないか。セックス抜きに、恋愛感情は成立する。だとすれば、僕の抱いている今の感情は、やはり恋愛感情なのではないか。

 でも僕は——僕は画面の真っ暗になったパソコンを見た。僕は、男性に性的に興奮するのだ。

 僕の愛は一体どこにあるんだろう?

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