第9話 ストーリーテイラー


「ぐすん……」


 僕は鼻を啜りつつ、微かに溜まった涙を手の甲で拭き取る。


 第2巻を読了どくりょう

 胸中には切なさだけが残っていた。


 一哉が云う、を特に感じる章だった。


*


 後日。


「お……」


 いつもの公園には一哉の姿があった。


「居るな」

「一颯か」

「昨日、2巻を読み終えたよ」

「どうだった?」

「最後の方は思わず、涙腺が緩んだよ」

「ほぉ……。一颯は良いやつだな」

「そうなの?」

「小説で泣ける奴は良いやつって相場が決まってる」

「一哉は泣いたことないの?」

「ないな。感動はしても、泣けない。俺は薄情な奴かもしれないな」

「……それは無いよ。一哉をよく知る人間はそんな風には思ってないさ」


 確かに一哉は人に比べて、感情の起伏が少ない。

 しかし、彼はその鉄仮面の裏で、熟慮し、他人に配慮して行動している。


 本当に薄情な人間は、そもそも他人を含めて物事を考えたりはしないものだ。


「そうか……」


 彼の表情は少しだけ口角が上がった様に見えた。


「それにしても、2巻は随分と物語が進んだね。一哉の言った通り、時代の流れを感じ取れる描写が多かった」

「多分、2巻の進行が早かったのは、作者がそこをメインで見せたくなかったからじゃないかなって思ってる。下地の土俵を固めて、今後の展開に繋げる為の構成なんだろうね」

「それは3、4巻を読んでの感想?」

「そうだね。実際に魔法世界として、当たり前の様に登場人物が魔法を使い、各国の発展と世界情勢が描かれ始めてるからね」

「へー。僕はあんまりこういうタイプの作品に触れてこなかったから、新鮮なんだけど、この作品って明確な主人公が居ない感じ?」

「あー……。どちらかというと群像劇だね。世界に影響を与えた人物に主観を置いて、章ごとに物語を展開してる。実際に2巻まででも、ルクス→リヒト→イリスで動いてるだろ?」

「……確かに。だとすると、3巻でも又、次の主人公が出る訳だ」

「そうなるね」


 僕はまだ未読の巻数があるが、一哉に最新刊までの考察を含め着眼点を質問してみることにした。


「この作品、今後の展開で気になる点はある?」

「んー……。難しいけど、軽くネタバレいいかな?」

「どうぞ」

「一番は結末かな。今の展開だと争いの後に、国が一定の平和を手にして、ハッピーエンドって予想だけど」

「ほぉ……。その感じだと、2巻の終わりで書かれた闇の魔導書を敵国も解析して、魔法を使える様になる展開か!」

「ご明察」


 “各国の発展”、“世界情勢”、彼の先程の単語を含味し、僕はもう少し踏み込んで先の展開を考察してみる。

 

「一哉の発言的に、残りの属性も踏まえると魔都だけじゃなく別の国も同様の展開で発展するんじゃないか?」

「……」


 彼は眉を上げて、その考察への言及を控えた。

 そのリアクションがどんな意味を示したのか、答えは次巻にある様だ。


「一哉は、この作品、ハッピーエンドが良いと思う?」

「先に、一颯の答えが気になるな」

「僕からか。そうだね……。主人公達が紡いできた歴史を考えると、そうあってほしいと願ってるよ」


 彼は、僕のそんな願望にも似た答えに共感した様子で、小さく頷く。


みなみな、報われない物語は後味が悪いからね。……俺もそう思うよ」


 僕は彼と同じ価値観を分かち合えたことに安堵し、次巻の展開に期待を寄せる。


「明日にでも、近所の本屋で3巻を買ってくるよ」

「また感想会になりそうだな」


 その後、僕等は夕刻になると定時を迎え、いつものルーティーンで解散する。


「それじゃあ、また」

「また」


 一哉は振り向きをせず、小さく手を上げて答えた。

 当然の様に次の機会を迎えると信じて、さり気ない挨拶を交わす。


 この時の僕は知る由もなかった。

 

 これが最後の別れになることを。


 公園から離れ、帰路につき、自宅まで数百メートルの道沿い。


 向かいから、一人の少女が歩いてくる。

 パーカー姿で帽子を深く被った黒髪の女の子は持ち帰りの牛丼を袋に下げ、片手でスマホをいじりながら、ボソッと独り言を呟いていた。


「ったく、お姉ちゃんは……」


 画面に夢中の少女にぶつかりそうになると、僕はしなやかにそれを回避する。


「おっと……」

「はっ――! ごめんなさい」


 少女はようやくその状況に気付き、申し訳なさそうに小さく一礼した。


「大丈夫です」

「では……」


 僕もそれに返して会釈すると、彼女はすたすたとその場を後にする。


「……ん?」


 顔を合わせた少女の姿に、僕はどこか面影を感じるも、その疑念は晴れぬまま自宅に到着するのであった。


*


 年季の入ったアパートの階段を一人の少女が上がる。

 彼女はマジカルナンバーの作者、黒野綴くろのつづり

 自室のドアを捻ると、帽子を脱ぎ、リビングで待つ姉の前に手持ちの牛丼を置く。


「綴。待ってたよ」


 妹同様の容姿に少し大人びた彼女は姉の黒野燕くろのつばめ

 こたつで丸まる燕の姿は、常時、凛とした彼女の様相とはかけ離れていた。

 

「お姉ちゃん、夕飯ないならもっと早く連絡してよ」


 ぐぅと腹の音を鳴らしながら、妹の帰りを待ちわびた彼女がすぐに箸を手にして、牛丼を食し始めようとしていた。


「頂きます」

「もぉ……お茶入れるから、待ってよ……」

「……分かった」


 彼女はお湯を沸かすと急須から茶を抽出し、二人分のコップを机に置いた。


「はい、どうぞ」

「ありがとう。では、頂こう」


 ボロアパートでむしゃむしゃと牛丼を食べる姉を見て、綴は呆れた様に言い捨てる。


「嘗ての剣聖がこの姿とはね。王国の人が見たら、なんて言うことか……」

「牛丼は、王宮の食事にも引けを取らないぐらい美味びみだ」

「そういうことじゃなくて……」


 綴は壁に掛けられた高校の制服を見て、心情を吐露する。


「お姉ちゃんにあれは無理がある様な……」

「そんなことはない。同級生に指摘されたことはないぞ。私はユーコのめいをしっかりと果たしているつもりだ」

「女神様も自由に生きてって言ってくれたのに……堅物なんだから」

「良いんだ。私にとって、今の正装があれなのだから」


 二人は会話を交えながら、夕食を終えると、リビングで寛いでいた。

 綴は仕切りで区切られた作業場のPCに電源を付けると、姉に向かい、質問する。


「お姉ちゃんさ……私の小説読んでる?」

「読んでない」

「そっか……」

「読んでほしいの?」

「いや、いいよ……。“私は、私のやり方で頑張るから”」


 綴はこの異世界に来た当初と同じ言葉を口にしていた。


 妹が何をしていようとも、彼女には彼女の役目がある。

 燕は無関心を装いつつ、その一途な意志を尊重し、深く言及することを避けた。


「……そう」


 燕は寝際に綴に確認を取る。


「寝ないの?」

「今日はもう少し頑張ろうかな」


 そして、彼女の返答を得ると、部屋の明かりを落とした。


「それじゃあ、おやすみ」

「うん。おやすみ」


 アパートの一室でデスクライトだけが小さく灯る。


 綴はその中で一人、今日の執筆を始めた。


 自分の役目を果たす為に。

 

 


 


 


 


 



 


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