第31話 嘘ついちゃった。ごめんね。
バステラ軍がやってきてから、ものの数刻で翡翠色のマヌスは真っ赤に染まった。
炎と立ち込める煙で視界は霞み、幻想のように見える世界で横たわるのは無数の屍。
焼けるような熱さと樹木や生き物が燃える匂いが、否が応でもこれが現実であることを思い知らせ、それはまさに、生き地獄と呼んで遜色のない光景だった。
シービアの袖を口に当て転がる屍を避け、広がる光景にフィオリアは絶望していた。
このままではいずれマヌスが隣街のようになる、などと危機感を募らせていたが、その見通しは随分甘かったのだと悟った。
見慣れた景色は炎で焼かれ、見慣れた顔は、それも老若男女が玩具のように死んでいるのだ。
足が震えておぼつかない。踏ん張っていないと気を失ってしまいそうになるのを、何とかこらえて歩き続けた。
救えなかったという後悔よりも、その何倍も恐怖が打ち勝っていた。
怖い。逃げたい。殺されたくない。
バステラの兵士に捕まれば自分もすぐに殺される。
まだ燃えていない民家に身を忍ばせながら、擦り切れて今にもなくなりそうな神経を極限まで尖らせて歩いた。
どうなっているかとひやひやしたが、ヴェリデはまだ無事だった。
しかし黒煙は既にこちらまで充満しており、怒号や叫び声が段々と近くなってきている。
ここも見つかりすぐに燃やされるだろう。
「ヴェリデ。いるんでしょう」
この状況になってもヴェリデは姿を現さない。
フィオリアは太い樹の幹を抱きしめた。ひんやりとして気持ちが良い。
「お願い出てきて。お話しましょう。きっとこれが最後よ」
ヴェリデを抱いて目を閉じると、緩やかな眠気がやってきた。
極限様態も度を超すと、その糸は切れてしまうのだろうか。
こんな時に眠くなるなんてどうかしている。しかし兵士に殺されるのは怖くてたまらないが、どうせ死ぬなら、この樹の下でこんな風に穏やかに死にたいと思う。
「珍しいね。君に抱きしめられるなんていつぶりだろう」
嫋やかな声が降ってきて、フィオリアは目を開いた。
枝の上で葉と同化するようにヴェリデが腰かけている。
「ヴェリデ。今までどうして出てこなかったの」
「気分さ。僕はただの樹だけど、感情はあるからね」
片足をブラブラさせて、樹の上から街を見下ろしている。その口元が緩やかに上がっていることに気づいてフィオリアは戦慄したが、それでもヴェリデの冷ややかで神々しい笑みは美しかった。
「酷いことをするわよね。人間は」
「どうしたの急に」
「あなたは絶対に怒っていると思って。勝手に住み着いて勝手に争って、勝手に破壊する」
「それはそうだけど、別に君が謝ることじゃない」
燃える街を見ながら、ヴェリデは目を細めた。
「実はこんなことは初めてじゃないんだ。それなりに年月を過ごしていると色々ある。だから僕は人間を信用していないんだよ。……君以外の人間は」
フィオリアの目頭がじんわりと熱くなった。自然と恐怖は薄れ、眠気はどんどん強くなる。
「君は僕が見える唯一の人間だからね。目を見て挨拶をしてくれた時は嬉しかったな。でもだから僕も、いつの間にか君を独占したいなんて思ってしまったのだと思う。まったく、人間的で呆れるよ」
言葉とは裏腹に、ヴェリデは無邪気な声を上げて笑った。
つられてフィオリアも笑ってしまう。煙は充満して既に視界は霞んでいるというのに、今この空間だけは元の美しいマヌスのように思えた。
「ねぇヴェリデ、ひとつ教えて」
「君が望むことならなんでも」
「この国を滅ぼすっていう異国の青年は、結局誰だったの? ラント、それともハイタイ? 本当にその人のせいでマヌスはこうなってしまったの?」
少し間を置いて、ヴェリデは乾いた笑みを浮かべた。
その穏やかでありながら人を小馬鹿にしたような笑いは、今まで見てきたどの人間よりも人間らしく狡猾で、フィオリアは目を見張った。
「あれは嘘だよ」
「……嘘ですって?」
「だって君が僕を見てくれなかったから。僕を友達としてではなく、この国を救うための道具としか見てくれなかったから。それが面白くなくて、つい意地悪をしてしまった。ただそれだけだよ」
ごめんね。といたずらをした子供のように無邪気に笑う。
呆然とヴェリデを見上げるフィオリアの背後には、無機質で簡素な人影が迫っていた。
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