第32話 美しい国と人
業火は全てを焼き尽くし、樹と湖に守られていたマヌスは一帯が白と黒の灰になった。
逃げ惑う人々の命はバステラ軍により簡単に奪われ、樹の陰や家の地下、畑の隅に隠れていた人々もネズミを掻き出すように引っ張り出され殺された。
一人残らず、綺麗さっぱりと。
現に今この爛れた土地に立っているのはラントただ一人だ。
「あーあ、全部なくなっちゃったね。まぁ、私はこういう景色の方が好きだけど」
ケラケラと笑って灰の塊を蹴り上げるティアの向こうで、見慣れた背中が転がっていた。
多くの民が寄り添うように集まって死んでいる、その中心にいる老人の亡骸はグイドだ。
顔は煤だらけではっきりとは見えないが、しかし、皺だらけのその顔に苦悶の表情はそれほど見て取れない。実直で毅然と、そこに転がっていた。
「ふふ、ジジイも死んでる。ねえ、あの女はどこにいるのかな」
あの女、というティアの卑しい呼び方は、つまりフィオリアの事を指しているのだとすぐに分かった。
「どうせならあいつの顔見てからこの国を出ない? あんなに調子に乗っていた女がどんな無様な姿でいるのか興味があるの」
何もなくなった街でくるくると踊っているティアを一瞥すると、ラントはかつて山道の入り口であっただろう灰の小道を指さした。
「多分、その向こうだと思う。あのヴェリデとか言う樹にいるだろう」
さっさと歩き出すラントを見て、ティアの表情は強張った。
「ラント、そこに行くの? あの女の元に?」
質問に答えずにラントは歩き続ける。
灰と砂と泥と死体で溢れた道を迷いなく進んでいく。
「……」
ティアも小走りでラントの後に続いた。
底が見えるほど青く澄んだ湖は仄暗く不気味で、灰やゴミが虫のように水中を漂い、異様な雰囲気を醸し出している。
ヴェリデの元までやってきて、ラントは言葉を失った。
荘厳で立派な葉は全て焼け落ち、樹もただの真っ黒な灰の塊と化している。
一目見ただけでは、これが樹とは到底分からない。
そんな灰の塊にしがみついて突っ伏している背中に気づき、ラントの胸はずんと重くなった。
そこに、フィオリアも横たわっていた。
おそるおそる近づき、固く緊張した肩に触れる。
いとも簡単に振り返ったその顔に生気はなく、薄く開いている目元からはかつて翡翠色に輝いていた瞳が覗いていた。
「いたいた、やっぱり死んでた」
ティアの下品な笑い声が退廃した世界に響く。
「ふふ、間抜けな顔して死んでるわ。ああせいせいした。さぁラント、次はどうする? どの国に行くの? 私次こそは都会へ行きたいなぁ」
ティアが振り向くと、ラントはフィオリアの唇に手をかざしていた。
口元に近づき静かに息を吸う。
「やめなさい!!」
空気がピンと張りつめて、ラントは振り向いた。
ティアが曇った瞳を吊り上げて肩を怒らせている。
「なんでそんなことをするの? 今までのこと忘れちゃったの? その力はね、間違えてあんたに授けられたものなのよ。いい加減気づきなさいよ。これ以上神の力をいたずらに使っては駄目。自然の理に背いては駄目なの!」
一気に言ってティアは胸を苦し気に揺らす。
ラントはティアを一瞥してからもう一度フィオリアに向き直った。
「彼女だけを助けるつもり? 他の人間は? 全員を助けることはできないのよ」
フィオリアの青白い唇にふうと息を吹きかけた。
途端に肌は赤みがかり、貫かれた胸元は上から下へと縫われるように閉じていく。
ゆっくりと、まるで自然が治癒をしてくれているように。
フィオリアが目を覚まさないうちにラントは立ち上がり、千鳥足でティアの脇を通りすぎた。
「どこに行くのよ!」
「他の人も助ける」
「他の人って?」
「うるさい」
「言ったわよね。全員は助けられないって」
「できるだけ助ける」
できるだけ、と念を押して発した言葉に力はなかった。
今回のバステラ軍による襲撃で、ラント自身も体力を消耗している。
現にフィオリア一人を助けたことで、既に足元がおぼつかない。
最後にこの力を使ったのは何年前だっただろうか、という思いがふと頭の中を巡った。
確かまだオネーロにいた頃、五年以上も前だった。
すぐにフラつく頼りない足をなんとか支え、もたもたと進む。ティアはラントをじっと見ていた。
「……人間の命を選別するなんて、難儀ね。生き返る方の気持ちも考えなさいよ」
ぶつぶつ文句を垂れ、頼りない青年の後を追った。
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