第29話 奇襲

マヌスへ向かうよう命令が下されたのは、当日の朝になっての事だった。

「話が違います陛下。マヌスへ向かうのは次月という話だったではありませんか!」


 食ってかかるハイタイを、騎士団長は制止して向き直る。

「すぐに出発とはまたどうして」

「敵の動きが活発になってきた。どうやら向こうもマヌスを狙っているようだ。だったらこちらが先手を打つべきであろう」

マヌスをバステラ軍の拠点とすべく、国そのものを乗っ取り手中に収めろ、というのが国王の言わんとしていることだという事は理解できる。

「マヌスの民はどうするのです。彼らは武器を持たないのですよ」

 切羽詰まって前のめりになるハイタイを横目に、騎士団長は努めて冷静に、国王を見据える。

「捕らえて我が国に連行しますか。気性が穏やかでよく働く国民だと聞いています。であれば、こちらの織物産業での働き手にでも」

「ぬるい事を言うな」

「は」


 こけた頬の上で大きな目玉がぎょろぎょろと動いている。

常にせわしなく目玉を動かすのはこの国王の癖なのか、意図せず勝手に動いてしまうのかは分からない。

「極めて信心深い奴らだ。神なんて実体のない存在を信じ、国のために祈る。マヌスという国を皆愛している。愛する地を乗っ取った国で粛々と働く馬鹿などおらん。そうだろう」


 忙しく動く目玉がふと止まった。

騎士団長でもハイタイでも、豪華な装飾でも窓から見える派手な街でもない、どこでもない空虚をじっと見つめてこう言った。

「民は残らず消せ。我が国にとっての危険因子は残しておくべきではない。よいか、一人残らず消すのだぞ」




 ざっと数えるだけで何十もの兵士が横に列をなしてやってきた。

先頭には馬に乗った騎士、その後ろには槍や剣を構えた兵士が寸分狂わずに列を整えている。

蹄の音を轟かせてやってくる一行を待ち受けながら、グイドは後ろで肩を震わせる民達に「逃げろ。皆にも伝えるのだ」と一言呟いた。

その声に反応して民たちが一斉に散らばる。


が、反対側の山道からも、道とは言えぬ森の向こうからもバステラの兵士は攻めてきていた。

そうやって民を誰一人逃がすことなく、いとも簡単にマヌスは包囲されてしまったのだった。


「マヌスの王に告ぐ。我らバステラ帝国国王の命により、只今よりこの国を占拠し我が国の配下に置く。話し合いには応じず、いかなる要求も不承知とする。以上」

「ようこそマヌスへ、バステラ軍御一行様。しかし少しばかりやり方が強引ではありませぬか」

「いかなる要求も不承知と申したはずだ」

「国が欲しいならどうぞご自由に。しかし民は逃がしてやってほしい。戦利品が欲しいなら国王である私の首を差しあげます」

「これ以上御託は聞かぬ」

「マヌスの民は何も持ちません。戦いません。だからどうか」

 言い終わらぬうちに、騎士の鋭い剣がグイドの喉を貫いた。

「民家を焼き払い民を始末しろ。良いか、一人も逃すな。これは国王陛下からの命令である!」


兵士を乗せた馬が草木を蹴って走り出し、松明を民家や畑につけて回る。

老若男女の悲鳴が響き渡り、家畜は慌てて飛び上がった。

「国王様……」

 若い女が床に突っ伏し、泣きながら祈りを捧げる。

喉に穴が開いたグイドの亡骸は、目を開いたままそこに横たわっていた。




 街の異常を察したフィオリアがやってきた時には、既にマヌスはマヌスではなくなっていた。

街の大半は焼け、青々と茂っていた草木や樹は黒煙を上げて燃え盛っている。

街のあちこちで血を流した人が倒れて、生きている人間は兵士に見つかればその場でとどめを刺され結局、血を流して動かなくなる。

 フィオリアはその場から動くことができなかった。

民は皆、目をひん剥いて逃げ惑う。

目線の先で燃え盛る家から出てきた女と目が合った。

マグダだ。


 寝間着を着たまま飛び出したマグダはしばらく辺りをウロウロとすると、血の滴る剣を持った兵士を見て金ぎり声をあげた。

「マグダ!」

 フィオリアがそう叫ぶと、マグダは一瞬目を見張って、慌ててフィオリアの元に走り出す。しかし足がもつれてうまく走れず、しまいには寝間着の裾に足を取られて派手に転んだ。

すぐ後ろを、甲冑の軋む音を立てた兵士が近づいている。

フィオリアは思わず後ずさった。

マグダは倒れたまま起き上がることもできず、もぞもぞと顔を上げてフィオリアを見る。


人々の叫び声と家屋が燃える音にかき消されて何を言っているかは分からないが、マグダはフィオリアに向けて必死に何か叫んでいた。

すぐそばには兵士が迫っている。

兵士がぐっとマグダの襟元を掴むと、そのまま柔らかな背中を剣で一突きにした。

みるみるうちにマグダの顔色が青くなり、叫んでいた口からは血が流れる。

マグダの顔を見て、今度はフィオリアが叫び声を上げた。

頭で思うよりも先に足が動き、踵を返して走り出す。

しかし既にフィオリアの目の前に兜を被った巨大な兵士が立っており、フィオリアは半狂乱になって叫んだ。


自分はマグダのようにはなりたくない。まだ死にたくない。

その決死の想いの中には、国を救いたいだとか、民を助けたいだとか、そんな慈愛めいた感情は露ほどもなかった。

ただ死ぬことが怖い。

何を差し置いても助かりたい。それだけだ。

汗が吹き出し、全身を引きつらせて逃げようとした、その時だった。

「待ってくれフィオリア。僕だ!」


 威圧感に似合わぬ挙動でフィオリアをなだめた後、騎士は兜を慌てて脱いで顔をさらした。

血相を変えたハイタイだった。

「あなたは」

「こんなことになってすまない。襲撃の日が早まったことを、僕も今日知ったんだ。こうなってしまってからでは遅いが、僕がなんとかして君だけでも助ける。だから僕の言うことを」

「裏切者!」


 ハイタイが言い終わる前に、フィオリアは金ぎり声を上げてハイタイの肩を力いっぱい押しのけた。

「攻めてくるのは次月だなんて言って私たちを騙したのね。無防備な民たちに手をかけるなんて!」

「違う」

 鉄に覆われた手でフィオリアに触れようとしたが、彼女はその手を汚いもののように払いのけた。


「フィオリア」

「マヌスが好きだなんて言って、結局はあなたもマヌスを壊している。バステラ人はみんなそうなんだわ。野蛮で薄汚くて大嫌いよ!」

 美しい翡翠色の瞳が怒りと焦りで燃えている。

近づいてくる蹄の音にビクつくと、フィオリアは街の奥へと走っていった。

「なにやってんだハイタイ。女だろうが子供だろうが殺せ!」

血だらけの剣を振り上げながら兜の男がハイタイの肩を小突く。

しばらくその場に立ち尽くした後、ハイタイは燃え盛る街と転がっている民を見て、ゆっくりと兜を被った。

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