第28話 この意気地なし
「いつまでフラフラしてるのよ。この意気地なし」
黒革のキュロットスカートが擦れる音すら、怒っているのが分かる。
目を吊り上げて責め立てるティアと、ラントは務めて目を合わさないようにして歩いていた。
「さっきから畑の周りをぐるぐる、それに飽きたら今度は水車の周りをぐるぐる、一体どういうつもり?」
どうもこうもなかった。
国王であるグイドにすら出ていくよう言われたのだ。ここにいる理由などないし、いたってできることもない。それが重々承知している。
「やっぱり……」
鬼の形相で怒っていたかと思えば、今度は目じりを下げて憐れむような表情を見せると、ティアはそばにあった木の陰にしゃがみ込んだ。
「あんたって、子供の頃からなんにも変わっていないのね。非力で弱いくせに情に脆い。そんなだから利用されるの。まったく、最低よ」
木陰で丸くなっている華奢な背中を、ラントはしばらく見つめていた。
じきにこの地は戦場になる。戦場と言ってもただ力のない者が一方的に虐げられるだけの惨劇の場だ。ここから逃げなければいけないが、逃げ出すこともできない。だからと言って、フィオリアのように「人々を救うために自分ができること」を考えることもしない。
分かっていて何もしないのだ。全くティアの言うとおりだと思った。自分は最低だ。
「おや旅人様。こんなところで何を」
穏やかな声がして振り向くと、大荷物を抱えた行商人が立っていた。
「この地も物騒になってくるとかで、私もそろそろ帰ろうと思っていました。いやしかし、お世話になっている国なので名残惜しいですが」
額に汗を浮かべ、張り付いた髪をかき上げて華奢な男は笑う。
この行商人は行商人でありながら、マヌスでは便利屋のようなことを引き受け礼拝所にも足しげく通っている。
当然民からはマヌス国民同然に受け入れられ、それはラントですら知るところであった。
新芽を連想させる若葉色の髪に焦げ茶色の瞳。風貌はマヌス人の特徴とは違うものの、マヌス人と同じくシービアを纏いワシャルを加工した装飾品を指や腕にあしらっている。
「子供達が巣立ったら妻とマヌスに移住する」とパドラに話しているのを聞いたこともある。
それ程までにこの国を愛しているのだ。
「名残惜しいのは、私も旅人様も同じですね。しかしここは早く出た方が良いでしょう。お互いに守る存在がいるなら尚更、ね」
行商人は上半身を少し揺らすと、木の陰に向けて笑いかけた。
「……え?」
「いやぁ、私もいつか妻をマヌスに連れてこようと思っていたのですがね、旅人様に先を越されてしまいました。それではまた、この地で」
よっこらせと荷物を担ぎなおすと、男は背中を向けて歩いていく。
身体の芯がゆっくりと冷えていくのを、ラントは感じていた。経験は何度もある。しかしこの国でそんな経験はしたくなかった。
ああ、なぜもっと早くマヌスを出なかったのだろう。
「非力で弱いくせに情に脆い」その結果今までどうなってきたのか、自分はなにも学習していなかったのだ。
「それではまた、だって。またなんて無いのにねぇ」
傍らで細くしなやかな身体が、その繊細な指が、いたずらに足元の草木をブチブチと抜いていた。
ティアは楽しそうに笑っている。
「お兄ちゃん、お外にいると危ないんだよ。マヌスにずっといるなら、ぺブルと一緒に帰ろう」
爛々と鳴る鈴のような声がして、ラントは慌ててと振り返る。
薄茶色のおさげ髪の、見慣れた少女が満面の笑みを浮かべていた。
「ぺブルもね、お外で遊びたかったんだけどダメだって。でもラント兄ちゃんがいてよかった。マヌスにずっといてくれるんだよね」
柔らかい草餅のような頬がふにゃりとたわみ、天使のような笑みをラントに投げかける。
そうしてこちらに駆け寄ってきたかと思えば、突然あっと歓声を上げて木陰を指さした。
「綺麗な瞳のお姉ちゃん!」
小さな指がティアをさす。
一瞬のことだった。ラントの人生で想像しうる中で最悪の出来事は往々にして、やはり、現実になるのだ。
「やめろ!」
どうしようもないこととは分かっていても、反射的にラントはぺブルの指を振り払った。
ティアの背中が揺れる。艶やかな黒髪が波打ち、踊るように愉快に、身体を揺らして大笑いする。
「お姉ちゃん楽しそう。ねね、お兄ちゃんのお友達?」
もう声にならなかった。
ティアが見えるとはどういうことか、それは、あってはならないことだ。
ラントがぺブルの目を片腕で覆うと、鈴のような声がキャッと華やいだ。
「へへ、なんの遊びなの? お姉ちゃんも一緒に遊ぼう」
自分にできることはもう、本当に何もないのか。
国を守れずとも全てを救えずとも、せめてこの手に収まるほどの命は守りたい。
「へぇ、その子が死んだらまた生き返らせてやる訳だ。まるで神様だわ。泣けちゃう」
引っこ抜いた雑草を揺らしながら、ティアがラントの元にやってくる。
そのまま赤髪を撫でその首に絡みつくと、雑草にまとわりついていた泥がラントの頬にべったりとついた。
「でも誰かを生き返らせていい事なんかあった? 恨まれて蔑まれて、それで終わりだったでしょう。それにそもそもこのガキが、綺麗な状態で死ぬとは限らないし」
「やめろよ!!」
腕を振りほどいてティアを思い切り突き飛ばした。
が、ティアは尻もちをついたまま笑っている。そのうち寝転がって手足をバタつかせて笑い出した。絞り上げるような低い笑い声が忌まわしく響く。
「お兄ちゃん、なんで怒ってるの? 綺麗な状態でしぬってどういうこと?」
両手を胸元で握りしめて、ぺブルはラントを見上げる。そばで寝転がって馬鹿笑いをしている女を見て怯えていた。
ぺブルをなだめようとした瞬間だった。
はるか向こうで女の悲鳴が折り重なった。
「大変だよ! 誰か来てちょうだい!」
声を聞きつけると、家々から誰もかれもが飛び出して走っていく。
そしてことの顛末は人から人へと伝えられ、幸か不幸か、すぐにラントの耳にも入ってきたのだった。
マヌスの入り口で行商人の死体が見つかった。
聞けば、剣で切りつけられたような傷がいくつもあったそうだ。
「あの兵士がやったんだよ」
「可哀想に……痛かっただろうに」
風が強くなっていた。薄暗い雲がとぐろを巻いて近づいてくる。
どこからかゴゴゴ、と地鳴りのような音が聞こえ、動物は焦れて騒ぎ始める。
「ラント兄ちゃん」ぺブルがラントの襟元にしがみついて顔を埋めた。
その時、街の外れで見張りをしていた初老の男が全速力で走りながら叫んだ。
「バステラが……バステラ軍がやってきた!!」
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