第27話 苛立ち

マヌスの周辺を兵士がウロつき始めたのは、ハイタイが去ってすぐのことだった。

彼が纏っていた甲冑よりはいくらか簡素な仕様で、国の紋章や彫刻もない。

やってくるときにすれ違った行商人の話では、挨拶をしただけで槍で威嚇されたそうだ。


「いやはや、物騒だねぇ」

「しかし襲撃がくるのは次月ではなかったかね」

「そもそもなにが目的でウロついているんだか」

 畑のそばに突っ立って世間話をしている男女のそばを通り過ぎようとすると、そのうちの一人がラントを見て手を上げた。

「ちょいとラント、あんたはあの兵士達の正体を知らないのかい?」

「そうだ。お前は世界中を旅してきたんだろう。あの兵隊さんはどこの国の人か分かるかい」


 ラントは立ち止まって、首を横に振る。

すると、そうかい、そりゃそうだよねぇと、口々に共感して、人々は平和を確かめ合うように笑った。

「気の毒なくらい能天気ね。もうすぐ死ぬかもしれないってのにさ」

 ティアの悪態にもうんざりしていたが、さすがにこれには同調せざるを得ない。

バステラ軍が攻めてくると聞いた直後は悲壮感に満ち神に祈りを捧げ、貴重品の選別や非常食の確保に勤しんでいたのに、その緊迫した状況に慣れると、再び元の平穏さを取り繕う。


バステラ軍は攻めてこない。この国はいつまでも平和に決まっている。

マヌスを愛しているからこそ、無理にでもそう思いたいのだろう。

この国の人間はどこまでも能天気で、悲しいくらいに危機感に欠けていた。

「兵士がまた増えているわ」

 緊張感を持った声が、遠くの方から聞こえる。

この状況を唯一理解して、たった一人で運命を変えようとしている少女が走ってきた。


「おやフィオリア。ヴェリデ様のお告げはあったかい」

「いいえ、ヴェリデは最近出てこないの。でも、この状況はヴェリデのお告げがなくたって異常だって分かる。そうでしょう?」

「確かにそうかもしれないな」

「だからみんなは早く逃げて」

「もっとお祈りをしないと」

「そうだ。それがいいね」

「祈りなんか役に立たないわ!」


 フィオリアの尖った声に一同が目を見張った。

はっとフィオリアの表情は固まり、そして声を落とすと、努めて穏やかに再び話し始める。

「だから、すぐにでも逃げてほしいの。できればしばらくこの国から出ていってほしい。それが一番安全だから」


 フィオリアが注意深く淡々と話す。が、それとは対極に話し終わると皆が一斉に声を上げた。大笑いする者、不満げに口を尖らせる者、フィオリアをなだめようとする者。反応は三者三様だったが、フィオリアの伝えたい意図が全く伝わっていないことは、部外者であるラントにも十分理解できた。

「それはできないよ。この国を捨てるなんてできる訳がない」

「いいかいフィオ、身の安全を守ることは大事だがね、この国は命よりも大事なんだ」

「それにマヌスを出たところで頼るあてなんてないしね」

「そうだ、兵士さんに草団子でも持っていこうかね」

「そりゃあ良い。もしかしたら腹が減っているかもしれないし」

 輪の中にいたうちの一人が、なだめるようにフィオリアの肩を軽く叩いて微笑んだ。


マヌスの民が誰しも持ち合わせているその優しさや気遣いが、今のフィオリアにはどうにも苛立たしい。

どうしてこうも鈍感で、危機感がないのか。そう苛立って目くじらを立てる自分にも嫌悪感を抱き、下唇を噛んだ。

もういい、小さな声で言って、フィオリアは走り去っていく。

唯一この国の運命が見えている少女。自分一人の力では何もできないことを痛感し、あがいている。

肩を怒らせたその様が、ラントには哀れに見えて仕方がなかった。




 街の外れの山道を歩き、いつもの湖にたどり着く。

ヴェリデの周辺は相変わらず鳥のさえずりと湖の流れる音が粛々と鳴り響き、静かで荘厳な空気を醸し出している。

「ヴェリデ」

しかし、フィオリアがそう呼びかけてもヴェリデは出てこない。

喧騒はそのままに、風や大地に同化してただ静かに見守っているだけだ。


「いるんでしょうヴェリデ」

 フィオリアは焦れて生い茂る葉を見上げた。

フィオリアの呼びかけに、ここまでヴェリデが反応しないことは初めてだった。

「兵士が辺りをウロついている。様子がおかしのよ。襲撃はもう少し先だと言われていたのに……。このままでは皆が危ない。マヌスが隣の街みたいに、本当になってしまう。ねえヴェリデ。あなただってそんなこと嫌でしょう。私はどうしたらいい? 私だけが逃げるわけには行かないの。お願い、出てきてよ」

ヴェリデがそこにいることは分かっている。ヴェリデはこの大樹そのもので、着の身着のままどこかに行けるはずなどない。分かってフィオリアの声を聞いて、その上で反応をしないという事がつまりどういうことなのか、フィオリアはヴェリデの心情が理解できないでいた。


「いい加減返事をして!」

 思わず叫んで木の幹を叩くと、金ぎり声は小さな草木を震わせ厭わしい余韻だけをいつまでも残し、彼方へ消えていく。

煩わしい、不快だとヴェリデに、それはつまりマヌスの全てに拒絶されているような気配がして、フィオリアは空を見上げた。

「時間がないのよ」そう呟く言葉でさえも空へ溶けて消えた。

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