第26話 行かないで

自分の能力に疑問を持ち始めたのは最近の事だった。死人を生き返らせるという行為が、必ずしも「善い行い」であるとは限らないのではないか、と自問するようになったのもあのミイラの息子の一件以来の事だ。しかし、世間はラントが思っているよりも早くそして深く、ラントの能力や行いに疑問を抱き、また怯えていたのだということに今更気付いたのだ。


そして、気づいた時には全てが遅かった。

まさか指名手配されるような行いだったとは。もし捕まったらどうなるのだろう、僕は、お母さんは――。

「ラント、逃げないと!」


 ティアがそう叫び、ラントはパチンコ玉が弾けたかのように飛び上がった。

急いで中に入り、何か話しかけてくる兄達を押しのけ、母の細く骨ばった手首を掴む。

「逃げようお母さん」

「ラント」

「ここにいたら捕まっちゃうよ。そうなったら何をされるか分からない。早く行こう!」


 ラントが肩をゆすると、虚ろな母の瞳にうっすらと生気が宿った。

慌てて立ち上りよろけた母の腰を支える。

信じられないくらい身体はやせ細っていた。

「そんな奴は放っておけラント! 行くぞ!」

 大荷物を抱えた父と兄は母には目もくれず、さっさと正面玄関へと走っていく。

母を支え後に続こうとすると、短い叫び声が聞こえ外はより一層騒がしくなった。

「離せ! 俺が何をしたってんだよぉ!」


 父と兄達が捕らえられたのだとすぐに分かった。

正面玄関からは出られない。だったらと、母の腕を引っ張りラントは身一つで裏口から出て、そのまま森の奥に逃げ込んだ。

「ラントとその家族を必ず捕まえろ! これは王からの命令である!」

 森へ逃げても、叫び声は絶え間なく耳に入りこんでくる。

音が消え辺りが静かになったと思ったら、すぐそばで馬の駆ける音がして何度も飛び上がる。


この怒号や蹄の音が現実のものなのか、それとも気が動転したラントに聞こえる幻聴なのかは分からない。どちらなのか考える余地もなく、ラントは一目散に走った。

この森を抜ければ何があるのかラントは知らない。けれどもここにいては捕まるだけだ。


しかし母は少し走るだけで息が上がり、木陰へとへたり込んでしまう。

そうこうしているうちにいよいよ森の中も騒がしくなってきた。

無数の松明が悪魔の眼のようにゆらゆらと揺れて、ラントと母を喰らおうと魂を燃やしている。

その眼から逃げたり隠れたりしているうちに夜が更けて、方向感覚を失い、母を連れて街から遠のいたつもりが、気が付くと街外れの広場に出てしまった。

息が上がって、寒いはずなのに全身から汗が流れ落ちる。

と、ぐったりしていた母が突然広場を見て大きな叫び声を上げた。

何事かと母の目線の先を見る。


殺風景な広場に木で作った簡素な台と柱があり、父が真ん中、そして両端に兄二人が、首にロープを括られてぶら下がっていた。

後ろ手に縛られた両手からは血が滴り落ち、肩や脇腹、足には抉られたような傷がある。

おそらく抵抗したところを剣や槍で刺されたのだろう。

ラントも母と同じようにへたりこんだ。


「ああ……なんてこと」

 ふり絞るように母が言って、泥まみれの地面に突っ伏して丸くなる。

「あらラント、あなたなら生き返らせることができるでしょう?」

 状況にそぐわない飄々とした声が聞こえて、母とは逆の方向を見ると、すぐそばでティアが笑みを浮かべてしゃがみこんでいた。

「傷は深いけどまだ死んだばかり。試してみる価値はあるんじゃない」

そうだ。見つからないようにこっそり三人を下ろして、生き返らせることは可能かもしれない。


今なら傷もまだ生々しいし間に合う。そう思い動き出そうとして、ふと足を止めた。

「どうしたの? なぜ助けないの?」

 父と兄達を助ければ、また同じ日常の繰り返しだ。

それに、ラントが一度に生き返らせる人数には限りがある。今この三人を助けてしまえば、しばらくは誰も助けることができない。

もし今逃げきれず、母が捕まったら……。


「偉くなったものね。一丁前に人間が救う命を選ぶだなんて。そんなことしていたら神に嫌われちゃうよ」

 ティアが吐き捨てて含み笑いを浮かべる。


「そんなことないわ。ラントは大丈夫」

 唐突に母が顔を上げ、涙で濡れた顔に貧相な笑みを張り付けた。

「神はラントを愛してくださっている。だからその力をお授けになったのよ」

きっとそうだわ。と言って母は、ラントの隣にいる少女にも笑みを投げかけた。

またしてもティアは怪訝な表情を浮かべる。


「お母さん、ティアが見えるの?」

「もちろん。瞳の綺麗な美しい子だね。ラントはその子と逃げなさい」

「お母さんはどうするの」

「ここに残って、時間を稼ぐわ。その間に逃げて。いいね」


 馬鹿なことを言わないで。そう食って掛かろうとするラントを、母は穏やかに静止して首を横に振った。

「このままではラントもお母さんも捕まるだけよ。それにお母さんは一度死んでいる身なの。これはラントに生かしてもらった命。もう十分だわ」


母の言葉を聞いて、ラントは苛立った。しかしまだ手はある。

自分の持っている特別な力で、もう一度母を助けられる。

「分かったよお母さん。でももしまたお母さんが捕まって殺されてしまっても、僕が助けるからね」

「なんですって?」

「一度生き返らせた人間をもう一度生き返らせるなんてやったことがないけど、きっと大丈夫。だから安心して、お母さん」


 ふっと母の表情が曇る。

眉尻が下がって、肩を丸めてうなだれる。まるで生き返ってから生気を失った今までの母に戻ったようだった。

「もう十分だよ」呟いて、母はラントの頬に触れた。

 精一杯の笑顔を取り繕っているのが分かった。ありったけの悲しみをひた隠しにした笑顔。


「お母さんはもういいの。自分の運命を受け入れたいの。ごめんねラント……。もう死なせてちょうだい」

 後ろから心臓を貫かれたような鈍く激しい痛みが胸を裂いた。

ふらついて、思わずティアがラントの腕を掴む。

「見つけたぞ! やっぱり家族のとこに来ると思ったんだ!」


 低く威勢のいい声が聞こえて、無数の松明が足音と共に迫ってきた。

まずい。逃げようとしたその時、母がラントの背中を押した。

「逃げなさいラント。早く!」

 母が走り出し、追手達の前に立つ。

「見つけたぞ、女だ!」

「母親だ!」


 あっという間に母は複数の男に羽交い絞めにされ、地面に突っ伏していた。

お母さん、と叫び近づくが、母の顔を見るなりラントは呆然と立ち尽くす。

母は笑っていた。高熱に喘ぐ幼いラントに笑いかけるように、穏やかで愛情に満ちた笑顔。

そこには一寸の苦しみも後悔も見えなかった。ただ笑ってラントを見て、小さく頷いた。


「行くよラント。もう時間がない」

 ティアに急かされてもまだ動けなかった。踏ん切りがつかない。つくわけがない。

「逃げなさい!」

 聞いたことのない母の叫び声を聞いて、やっとラントは広場に背を向けた。

ただフラフラと歩いて、ティアに引っ張られてようやく走り出す。

全力疾走を始めた頃には、同時に情けない叫び声も上げていた。


自分がしてきたことは、自己満足だった。

ただ最愛の母を苦しめていただけだったのだ。

あなたは神に愛されているからこの力を授かったのだ、と母は言ったが、そんなはずがない。

この力を授かったことは、きっとなにかの罰で、呪いだ。


オネーロから逃げた先の国で行商人の世間話が耳に入り、そこでラントは自分が大罪人として指名手配され、賞金首をかけられていると知った。

国中の民が自分が死ぬことを望んでいる。

これも死んだ人間を生き返らせ冒涜したことの罰なのかもしれない、とラントは理解した。

そうして放浪を始めたのは、ラントが十二歳の頃からだった。

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