第20話 情けないマヌケ

何度か訪れた国王の家も、久しぶりに来ると今までとは違う緊張感を孕んでいた。

瑠璃色の石がはめ込んである鮮やかな廊下を抜ける。

木でできた簡素なドアを開けると、同じく簡素な椅子に腰かけていたグイドがラントを見て目を細めた。


「よく来たなラント。さぁここへ」

 細く窪んだ眼で合図し、向かいの席へと促す。

グイドのすぐ隣にはぎこちない笑顔を浮かべるフィオリアが立っていた。

思わず緊張してラントは席に着く。

「調子はどうだ、と世間話でもしたいところなんだがな、単刀直入に本題から入ろう」


 蓄えた広いひげを撫で、くぐもったしゃがれ声でグイドは滑らかに話した。

「ラント。この国から早く出なさい」

 一瞬の静寂が走る。

言われなくてもこんな国、さっさと出て行ってやる。

そう思えない自分がもどかしく、腹立たしい。グイドの言葉の後に真っ先に思い浮かんだのは、ぺブルやパドラの顔であったことが腹立たしさに拍車をかけた。

「バステラからの襲撃があるからか」


 ラントの言葉に、グイドよりも先にフィオリアが反応した。

「どうしてそれを知っているの」

「さっき聞いた。それに、聞かなくたって見てりゃ大体のことは分かる」

 フィオリアが何か言おうとして、それを遮るようにグイドの笑い声が響いた。

朗らかな笑い声や普段よりも物腰の柔らかい所作は、努めてそうしているようにも見えてくる。


「そりゃそうだ。一晩にして状況が一変してしまったのだからな」

愉快とばかりに髭を撫で笑うと、グイドは古ぼけた椅子に深く座りなおした。

「つまりはそういうことだ。バステラの騎士によると襲ってくるのは次月。もう時間がない。好きなだけここにいろなどと言っておきながら、ろくにもてなすこともできなかった。本当にすまないねラント。我が国の有事に異国の君を巻き込みたくはない」


 掠れた声が切なく響いて、フィオリアが口元を固く結んだ。

「できるだけ早くここを出なさい。いいね」

 穏やかながらも有無を言わせないグイドの口調は初めてだった。

「言われなくたってそうするさ。お前らみたいな弱虫と一緒に死にたくなんてないからな」


 自分が感情的になっているのが分かる。

しかし感情的になっているのはラントだけではなかった。

フィオリアが足早に近づくと、ラントの頬を叩いた。

「なんてことを言うの!」

 叩かれた頬の痛みで頭がくらくらする。


勿論、先程の言葉は本心ではなかった。

だからと言って素直に本音など言える訳がない。今更ながら、自分の本心が分からない。

自分が一体なぜこんなに動揺しているのか、出て行けと言われて苛立っているのか分からない。

だから、思ってもいない言葉のみがするすると口をついて出てくる。


「敵が襲ってくるってのに戦わない。存在しない神に祈ってばかり。お前達は弱虫だろう。違うか?」

 フィオリアの瞳から激しい憎悪が見て取れる。裏腹に、透き通るような白目は真っ赤になり、うっすらと涙が溢れていた。

胸の奥がヒリヒリして訳もなく自分まで悲しくなってくる。

できることならもう一度ひっぱたいて、今の自分を止めてほしい。


「君の言うことは正しいよ」

 穏やかな声が睨みあう二人を制止するように滑り込んできた。

グイドは宙を見て笑っている。子供たちに言い聞かせるようにも、自分自身に言い聞かせるようにも聞こえた。


「ラントのように沢山の危機を逃れてきた者からしてみれば、我々は弱虫に見えるだろう。しかし、マヌス国は武力で争うことはしないと決めている。理由は神がそれを嫌がるから。それだけだ。我々は、そうやって暮らしてきたんだ」




 グイドの家を出ると、畦道の真ん中でパドラとぺブルが立っていた。

「あんたは食が細いから」となにやら膨らんだ手提げ袋を無理やりラントに持たせると、力強く肩を叩く。

「みんなに伝えるとまた大騒動になるから、あたしたちだけで見送るようにって国王様に言われたのさ」


 パドラが言い終わると、目を真っ赤にしたぺブルがラントの足元にしがみついた。

「お兄ちゃん、もしバステラに行くならぺブルのお父さんに会ってね。ぺブルたち元気にしてるって!」


まだ小さな少女とは思えないくらい目いっぱいの力でラントの足にしがみついて、離れない。ぺブル、おいで。パドラがそう言ってもなかなか離れず、結局大きな手に引きはがされてようやくずるずると離れた。

パドラがぺブルを抱き、その胸元に埋もれた小さな身体は震えている。


「早く行きな。陽が沈むと獣が出るよ」

 そう言われてしばらくして、ラントはゆっくりと死の森の方角に歩き出した。

「この国を好きになってくれてありがとう、ラント」

 そう言葉を投げかけられても振り返らずに歩く。

誰かから名前を呼ばれることの心地良さ、みたいなものをこの国に来てから感じていたことに、今更ながら気付いた。


そして気付いた瞬間にその心地良さを失ったということも。

少し歩いて街の景観が様変わりしたところで、ふと足を止める。

漂う空気がひんやりとしている。マヌスを抜け、死の森に近づいている合図だった。

少し歩いては足を止め、また少し歩いては立ち止まる。

やがて陽の光が傾いてきて、ラントはうんざりしてしゃがみこんだ。

誰にも頼らず生きていこうと決めていた。

情が湧くなどもってのほかだ。


国を逃げて放浪の旅を続けてから約五年、それを守ってきたつもりだった。このままうまくやれると思っていたのに、たった五年でこの様だ。

マヌスの民を戦わない弱虫などと言ったが、誰よりも意志が弱くて弱虫で、今だって結局マヌスを出る決断も、残る決断もできずこうして狭間でくたびれている、自分自身のなんと情けない事。


「ほんと、あんたってどうしようもない間抜けね」

 耳元でねっとりとささやく声が聞こえた。

ふと顔を上げると、ティアが眉を下げて笑っている。

「そんなだからいつまで経っても弱いままなのよ。いい、ここに残ったってまた利用されるだけ。それでもいいって言うの」


 ふふ、と含むように笑って、ティアもラントの目線にしゃがみこむ。

どこかから焦げた匂いが漂ってきた。

よく嗅ぎなれた虚無の香り。


「人の焼ける匂いがする」

 ぽつりと呟くと、垂れたラントの赤髪を白く細い指が耳にかき上げる。

「焼けた人間はあんたじゃ無理」

 額から耳にひんやりと柔らかい感触が伝って、ラントは顔を上げた。

生気のない紫の瞳がラントを捉えて笑う。

「また死人を生き返らせて神になるのね。本当に馬鹿よラントは」

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