第47話 人身御供にされる少女


「アラカザンヴォアラホートシャザムスヴァー」

「…………」

「駄目だわ、やっぱり呪文が効かない」


 アイダはがっくりと肩を落とした。どんなに試しても、姿を変えられてしまったワイナたちを元の姿に戻す事が出来ないのだ。あの黑い竜が神の使いなら呪文が効かないのも納得できる。豚になったままのワイナたちが剣を握ることは無理だろうし、呪文で回復も出来ないとなると、やはり戦力外だ。ここから先はレイラと二人で何とかするしかない。


「ガアッ」


 その時、アイダたちの前にカラスが舞い降りてきた。


「そういえばあなたも居たわね」

「アイダ様、私にできる事なら協力いたします、ご指示して下さい」


 地上に降りたカラスがアイダを見上げている。


「私が声を掛ければ、一晩でカラスの仲間が大勢集まります」

「分かったわ」

「でも、もうこうなったらあの方にすがるしかないわね」


 レイラはアイダに胸の内を話した。

 風の便りを活用して女神ニンリルに願いを伝えるというのである。今回の苦境を訴え、初めて神の御神託にすがりますと……








 レイラの前に優雅な女性が座っている。空気と同化し、森を流れる風が周囲を覆い、緊張するレイラを静かに見つめているのである。今謁見している女性はニンリル、精霊界では風の女神であり、シュメール神話にも登場する。

 レイラは女神ニンリルの傍にセラムが居る事に気付き、小声で呟いた。


「セラム」

「…………」


 女神ニンリルは静かに話し始めた。


「貴方の願いは分かっています。貴方が私に宛てた風の便りも読みました。姿を変えられた者達を元に戻したいのですね」

「はい、ニンリル様、私は初めてお願いします。どうか助けて下さい」


 ジャガーやゴリラを従えた虹の精霊であるアイダ。そのパーティーに途中から加わったのが、風の妖精から悪魔になった少女レイラである。実は天使にあこがれていたのに些細な誤解から、あろうことか神に反逆する悪魔の手先だとされてしまうという経緯があった。

 女神の傍らには謹慎中のセラムが控えている。セラムは熾天使(してんし)であり、天使の中でも最上とされている階級につく者であって、悪魔の災いを防ぐ存在だとされている。

 セラムは女神ニンリルがレイラに守護天使として遣わされた過去が有り、その守護する対象に対して善を勧め悪を退けるようその心を導くとされる。悪魔と認定された妖精に守護天使が付くとは、一体どういう事になるのか。悪魔の見習いに落とされたレイラと、その守護天使セラムとの過去の会話では。


「私は自由に生きたいのに、それが悪い事なんでしょうか」

「貴女はアザゼルの話を知っていますか?」

「いいえ」


 セラムは諭すように話を始めた。


「アザゼルはもともと神から人間を見守るように使命を受けた天使でした。でも、人間の女性の美しさに心を奪われ交わるという禁を犯してしまい、神の怒りに触れて堕天使になってしまったの」

「…………」


 天使に性別は無いという事になっているが、アザゼルはそこも犯してしまったという話である。


「でも男となったアザゼルにとっては、人間の女性と恋に落ちる事は、とっても自然な行為だつたのね」

「…………」

「悪い事だとは思っていなかったんです」


 しかしレイラは食い下がって引かなかった。


「じゃあ天使は禁欲しているのですか?」

「禁欲は欲を持った者がする事ですが、天使に欲は有りませんから禁欲も存在しません」

「本当かなあ」

「…………」


 天使に憧れている妖精のレイラではあったが、本心は自由に生きたい。ところが天使にそれは許されないようである。天使になる前から堕天使とみなされ、あろうことか悪魔にされてしまった。


「ねえセラムさん、じゃあ悪魔だって良い事をすればいいんでしょ」

「……そんな話は聞いた事がないわ」

「だったら先例を作ればいいのよ。私はこれから良い行いをする悪魔になります」

「…………!」

「悪魔という呼び方が誤解を生んでいるのです。これはきっと天使さんたちの側から、悪魔なんて勝手に付けた名前なんじゃないのかしら。一方的な発想です。私は自由に生きます」


 風の悪魔となった少女レイラは爽やかな顔でそう言い切った。




 女神ニンリルは、助けて欲しいと願い出ているレイナに皆を救う方法を話し出した。


「どうやら村では大変な災害が起こっているようですね」

「はい」

「ではその問題の起きた村々から北に向かって進んでみなさい」

「…………」

「山々を幾つも超えると、年に一度だけ湧き水により池が現れる土地が有ります。その池の水を飲めば皆元の姿に戻るはずです。そこは人の気配がない鬱蒼とした森の奥ですが、かっては人間が住んでいました。その場所で年に一度だけシャガの花が咲く時期に水が湧き、青々とした池が出現するのです」


 シャガの花言葉は反抗や抵抗、決心といった芯の強さを感じさせるものだが、その花は純白で青い斑点があり可憐である。女神はそのシャガの群生している池の水を飲ませれば、皆元の姿に戻れ、疫病に冒された者たちも治るはずであると言うのだ。レイラの顔が歓喜に変った。


「有難うございます」

「セラム」

「はい」


 さらに女神は脇に控えるセラムに向かい声を掛けた。


「貴方の謹慎は解くことにします、再びこの者の守護天使となりなさい」

「ニンリル様」

「ただし、あのような事が再び有った時は……、分かっていますね」

「分かりました」


 悪魔と合体するなどというような事は、二度と有ってはならないと言うのである。

 



 レイラと共に戻るセラムであるが、天界での謹慎が解かれた事はなるべく話題に出さないようにすることにした。隠す訳でもないが、自然に知られるまではあえて話はしないでおこうと決めたのだ。なにしろ悪魔と天使が一緒に居るのであるからだ。やはり話がややこしい。セラムはあくまでレイラの守護天使であり、アイダと行動を共にする戦力ではないのである。それに他の仲間と違って、人間の姿をして現れているわけでもないからである。

 戻ってきたレイラから話を聞いたアイダは早速その地に行って池を探してみる事にした。カラスには先に行って見つけて置くように指示が出された。そしてレイラが、


「改めて調べてみたのですが、その地には白い竜に関する言い伝えが残って居ました」

「白い竜の……」

「はい」


 レイラの話はこうであった。山奥にひっそり暮らすそこの村人たちは、貧しかったが穏やかな日々を過ごしていた。だが唯一の悩みが有った。その地域には昔から四頭竜という竜が棲んでおり、毎年一度人里に姿を現しては悪行の限りを尽くした。村人はこれを山の神が生贄を求めるのだと考えた。暴風雨を起こし、土石流で住民を殺傷するなどして暴れまわる四頭竜を鎮めるため、いつしか村には毎年春になると若い生娘を生贄に捧げる風習が生まれた。人間にとって、最も重要と考えられる人身を供物として捧げる事は、神などへの最上級の奉仕だという考え方からである。

 しかし生贄として神に捧げられることとなった場合、13歳程度という若さでこの世を去ることになる。今年の生贄にと名指しをされた少女は、儀式の直前に酒を大量に与えられる。池のふちにあつらえた龍神を呼びだす祭壇を前に、意識が朦朧となった状態で地中に埋められるのだ。


 明日は生き埋めにされると決まった娘は、家族が寝静まった深夜、木戸のつっかい棒を外してそっと家を抜け出た。風もなくぬるっとした物陰の闇が、息をひそめ娘の行動を見張っている。見上げる裏山には、険しい岩肌がむき出しとなった山頂に龍神が祭られているのだ。人を容易に寄せ付けないその社に向かい歩き始めたのである。昼間でさえ大の男が難儀をするような道のりである。だが娘の顔には決意がにじみ出ている。


 ――どうしても龍神様にお聞きしなければ――


 満月の晩であったが、太い木々の生い茂った狭い道、周囲は闇に包まれている。いつ獣が現れてもおかしくない寂しい参道で、若い娘が怖くない訳がないはずなのに、真っすぐ前を向き黙々と歩いている。裸足のままでゴロゴロとした岩場も一心に歩みを進めて行く。やがてめったに人の訪れない参道は途切れがちになり、急な山肌が迫ってくる。落石さえある危険な個所を横切り、時には手も使い、滑り落ちると、割れて鋭く尖った岩が娘の柔らかな肌を傷つける。ついに手も足も、さらに両膝からも血が滲み始めたようで、裾をめくって見ると月の明かりに脛が黒く染まっている。だが、痛みを感じているようには全く見えない。再び歯を食いしばり黙々と何処までも登って行く。こんな深夜に、うら若い女子がたった一人草履もはかず、髪を振り乱し一心不乱に登っているのである。そして、ついにそのまだ幼げな口から娘の思いのほどがほとばしり出た。


「龍神様、私は明日生贄として埋められてしまいます」


 やっと岩山の頂、天空に祭られたような社にたどり着いた汗みどろの娘である。乱れた髪もいとわず、ひざまずき、泣き出しそうな顔で両手を合わせ祈り始めると、疑問を口にした。


「村の衆は山の神がお怒りだから、私を人身御供に捧げるのだと言っています。貴方様は何をお怒りなのですか。お願いですから、せめて生き埋めにされる前に貴方様の声をお聞かせください。本当に私の命を望んでいらっしゃるのですか?」


 すると社の面で必死に訴え続けている娘の前に、巨大な白竜が現れた――


「娘子よ」

「…………!」

「儂はなにも怒ってなどおらぬぞ。毎年村に災いをもたらすあやつらは悪霊であり、神ではない」

「龍神様……」


 娘は放心したように竜を見つめている。


「だが安心するがよい、お前の命は儂が居る限り誰にも取らせわせぬ。明日は儂の言う通りにするのだ」


 龍神の御神託を聞いた娘はやっと笑顔を取り戻したようにも見えたが、時折後ろを見やりながら、半信半疑の様子で社を後にした。



 翌日である。村の全員が池のほとりに集まると、生贄と決まった少女に酒を飲ませようとしたその時、娘が声を上げた。


「山の神様はお怒りなどではありません」

「……何を言い出すんだ!」


 驚いた村の衆は娘に無理やり酒を飲ませようとした。


「わたしに近づかないで」


 娘は昨夜の御神託で龍神に言われた通り、片手に握ったシャガの花束を高くかざすと、社のある岩山に向かって声を上げた。


「龍神様、貴方様は本当に私の命を欲しいと思っていらっしゃるのですか。それならこの花束を池の底に沈めて、皆に見せて下さい」


 そう言った娘が花束を池に投げると、周囲に出来た波紋の先、みなもに白い竜が浮き上がり現れた――


「おおっ!」


 村人は驚愕し、皆呆然と立ちすくみ、腰を抜かすものまで現れる始末である。

 そして龍神の厳かな声が響く。


「罪なき娘子の命を奪う事など二度と有ってはならぬ、未来永劫、なんびともこの儂が許さぬぞ」


 浮かんだままの花束は沈まず、代わりに竜の姿が再び静かに沈み消えて行くではないか。娘の命は助かり、それ以来村では人身御供の風習も無くなった。


 やがて時が経ち住む人は絶えたが、シャガの白い花咲く季節になると、今も豊かに湧き出る水で青い池が出現する地なのである。夕暮れ時に白く浮き上がるように見えるシャガは、この地で人身御供にされた娘たちの生まれ変わりではないかと言い伝えられている。

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