第十六話 不安になる必要なんてないはずなのに(中)

 なんて苦しそうに聞こえたか。

 空しさの上に降り積もり、心さえも凍らせるようだ。

「兄ちゃんに、相談しようかな」

 ラズリルの行動は誰も知らないはずで、家族にもどの好意であるか、分からない。

「リーヴ兄ちゃんは、こういう話、ダメかな」

 引き籠もりは頂天に達し、懇談会は小さい時に出たきりだと聞く。

 女っ気もないし、きっと、そういうのに現を抜かすくらいなら本と結婚したほうがいいと言うかもしれない。

 とぼとぼと歩きながら、やっぱり、告白したのは間違いじゃないはずで、

「ちがう、ちがうちがう……僕は本気でレゼンのことが好きなんだ。将来、レゼンの隣にいるのは僕がいいんだ。レゼンに、幸せになってほしい」

 ぽろぽろと涙が零れてきてラズリルは驚いた。

 一生懸命、あの国はダメ、レゼンが危険、なら僕の全てで止めよう。

 レゼンは真面目で、きっと行くって言っちゃうから。

 変身石を取りだして、いつものラズリルになる。

「ひっく、ひう、僕は、レゼンが」

 昔、

『将来、結婚してくれませんか』

 あの言葉を紡いだ少年の目は輝いていた。

 男と知ったら意気消沈として、あの輝いた瞳は失われたけど、時間が経てば、またあの瞳は帰ってきた。

「好きなんだから、なに、したって、うぅ、すきで、ひっく」

 何でもするというのは「好き」の行動なだろうか。

 泣きながら歩き、リーヴの自室に向かう。それまで泣き止まないといけないのに、涙は止まらず「分からなくなっていた」

 カツンッ

 足音がして顔を上げた使用人なら隠さなければ。

 しかし、紡がれた声は聞き慣れたものだ。

「後継者が泣きながら歩くとは、どういうことですか」

 ラズリルが擦れて赤くなった瞳を上げると、そこにいたのはリーヴで、手に紙束を持ったまま呆れたように立っている。

「にいちゃん」

「……私の『部屋』にいらっしゃい」

 リーヴの部屋は二つある。研究に使っている部屋と王宮に、小さい頃に過ごしていた部屋だ。今も掃除の手が入り、いつでも寝られるようにしてある。

 使用人の動向を探りながら、二人は手を繋いで部屋に着く。

 備え付けのテーブルに、リーヴは紙束を置くとラズリルが持っていた紙束も奪って机に置いた。

「ああ、もう、泣いたのが分かるくらい腫れてるじゃないですか」

 懐から布を出して、まだぽろぽろと零れる涙を拭きつつ、リーヴはため息をつき、あまりしない弟を撫でる、ということをする。

「何を泣いていたんです?」

「僕、レゼンが好き」

「……それは恋愛の好きですか?」

 こくん、と頷くが、またふるふると首を振る。

「分かんなくなっちゃった。僕はレゼンが大好きで身体だって繋がりたい。ハルタ国にも行かせたくない。だから、告白したのに」

 はあ、と小さくため息が聞こえてラズリルは、ひくりと身体を震わせた。

「目的と行動がおかしいんですよ。ハルタ国に行かせたくないから身体を繋げる、は愛情があるようで自己中心的です。好きだと気づいて身体を繋げたい、と考えていたのにレゼンはハルタ国に行くことになった、だから告白した。違うでしょう?」

 リーヴは弟の頭を撫でながら、もっとややこしいですか? と聞く。

「レゼンには幸せになってほしくて、僕、いる?」

「幸せにできると思ったから告白したんじゃないのですか?」

「……隣にいたい。レゼンの隣にいて、たくさん笑って暮らしたい」

 ふう、と何度目かのため息をついてリーヴは弟を撫でる。

 別に浮世離れしているから何も知らない訳じゃないし、兄弟を嫌いになっている訳でもない。ちゃんとした愛情が確かにあった。

「でも、レゼンは凄いからハルタ国の問題を解決しちゃうかもしれない。ずっと離れないの、レゼンが他の人と結婚している姿が」

「確かに問題を解決したら見合いの話は出るでしょうね」

 その言葉に人一倍泣いてラズリルは「わかってる」と口にする。

「子供みたいだって分かってる。でも、僕、ずっとずっとレゼンが好きだったんだ。胸がドキドキして、どんな姿もかっこよくて、笑っている姿が好きで、名前を呼んでくれるのも好き、いっぱいいっぱい好きなのに、なんでこんなに不安になるの?」

 リーヴに抱きつきながらラズリルは大きな粒を瞳から零し、今まで誰にも言ったことのない言葉を吐き出した。

「……好きすぎるのも怖いことですね」

「怖い?」

「ずっと誰にも言ったことがないのでしょう?」

「うん」

 止めどなく流れる涙を、布で拭いてやる。それでも足りなくてリーヴは苦笑した。

「レゼンには言ったのですね?」

「うん、最初はびっくりしてたけど、今はちゃんと考えてくれるって。でも、抱きついてもキスしても、なんか慣れちゃったみたいで」

「それは真摯にラズリルの言葉を受けとめているからでしょう?」

 考えてくれているんですよ、とリーヴは言うがラズリルはいまいち理解ができないようだった。目的と行動が違う。そう言われて自分はどうしたのかと思う。

「誰だって、急に攻められたら怖いでしょう? だからレゼンはびっくりした。誰よりも近くにいた貴方からだから」

 間を置いてリーヴは静かに言う。

「愛していると言うのは怖いものです」

「愛してる?」

「なるほど、貴方たちは互いによく分かってないのですか」

 疑問を投げかける瞳を寄越すラズリルにリーヴは小さく言う。

「好きは相手を奪うものです。でも、レゼンは考えてくれている」

「分かっているよ、レゼンを困らせてるの。確かにいやなことから目をそらせて僕を頼りにしちゃうぐらい好きになってほしい」

「では、課題を与えましょうか」

「課題?」

「よく、話し合うこと」

 ラズリルは目を潤ませながら、リーヴの朱の目を見た。

 そして久しぶりに微笑むのを見て、涙が止まる。

「私からの提案はそれだけです。よく話し合うこと」

「ん」

 腫れた目が痛々しいがリーヴはそれ以上のことはしない。

 弟の頭を撫でて、人差し指を唇に持っていくと、

「人には会話があります。私は会話を煩わしく思ってしまった人間ですが、まだラズリルとレゼンは言葉があるではないですか」

 ちゃんと話し合いなさい、と、またリーヴは言い、最後の涙を拭ってやった。

「今じゃなくてもいい、でも、時間はありません」

 できますか? とリーヴは口にして「できます」という言葉を待つ。

 ラズリルは考えていたようだが「怖いよ」と口にして、

「怖くても、好きはついてきてはくれないんですよ。できますか」

 人を愛することの前に発生する「好き」に人はいつだって戸惑う。こんなにも好きなのに、どうして怖いのだろうか、と。見返りがないなら、いくらだって「好き」でいられるのに、見返りを期待してしまうと「どうして」がつきまとう。

「どうしてこんなにも好きで、こちらを見てくれないのだろう」

「なにも貰えないと分かっているなら、好きを止めればいい」

 それが、どんなに痛く苦しくとも。

 好きの押しつけは、答えがいらないと言っているようなものだ。

「お前は馬鹿ですね。レゼンが貴方を放っておくと思ったのですか?」

 リーヴはラズリルを抱きしめた。

「ううん、レゼンは、いっぱい考えて、くれる」

「行動が分かったなら、ちゃんと結果をだしなさい。どんな結果になろうとも」

 弟はいつまでも弟なのだとリーヴは再確認する。

 いい歳なのに、というのは他人事だ。自分は家族を愛している。

 困っているなら、力になりたいというのは当たり前だろう。

 二、三度、背を撫でて、

「私が見てきたラズリルとレゼンなら、ちゃんとできるはずでしょう?」

「ん、うん、できる」

「ほら、いつまで泣いているんですか。私の研究所に向かってきたということは何か成果があったでしょう?」

 小さい子をなだめるようにリーヴは、ラズリルの空色の瞳を覗き込む。

 それに落ち着いたのかラズリルはテーブルの紙束を指して、

「見つかったかもしれない」

 と、口に出した。

 その言葉にラズリルをあとにしてリーヴは確認する。

「シスロク国、ホンタル教ですか」

 分かりました、と口にしてから「お前は、ここに泊まって行きなさい」と言った。

「でも」

「その顔で皆の前に出る気ですか? お前が大丈夫でも他は気になって仕方がありませんよ。なんせ、愛しているので」

「……愛してるって何?」

 ラズリルの疑問に、リーヴは答えなかった。

「ロプレトには私から伝えます。ここでよく眠りなさい」

 小さく「うん」と聞こえて、リーヴは薄暗い部屋の電気をつけて、

「ご飯の前に、少し寝なさい」

 そう言い残してラズリルをそこに、部屋を出て行った。

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