第十一話 そろそろ冒険の予感です?

「言い間違えた。何かを奉ってたんだって」

「さっきは奉ってたのかなって言ってましたよね?」

 思い出したのかラズリルは、ぽんっと手を打ってリーヴに言う。

 それに呆れる。今さらだろう、朱の瞳が細められてため息をつく。

「えへへー、僕、これでも寝不足で」

「朝、俺のベッドにいただろ」

「それは愛の力で、身体を引き摺りながら」

「待て待て待て待て」

 レゼンはラズリルの口を押さえて、リーヴに対して、ぶんぶんと顔を振る。

「……なんですか? ラズリルが忍び込むのはいつものことでしょう?」

 それにレゼンは固まり「そう、ですよね」とラズリルから手を離す。

「もー! レゼンってばー!」

 柔らかく怒るラズリルは、目の前にあったマドレーヌの一つを囓って、じろりと、レゼンを見た。

 その、じろりは怒っている訳ではなく、むしろ周りにバラしたいという視線である。

「二人は、この後はどうするのです?」

「んー、決めてない。けど、公務があるから、それする」

「そのあとは?」

 リーヴが探ってくるのでラズリルは、くるりとした目で言う。

「あと、あとはー、多分、公務で一日終わるでしょ? あ、その前に父上のところに行ってー提出してー、先は決めてない。そんなに予定が入るとは思わないよ」

 いつものことをやっていれば、いつものことで終わる。

 明日はどうだろうか。午前の公務を終わらせ、午後……。

 どうだったかとレゼンは思い出そうと首を傾げた。

「なにかあるの?」

「いえ、時間があるならバウンド兄上のところに顔を出してくれないか、と」

 パッと聞いてラズリルの顔が明るくなる。

 そして消える。

 バウンドは、彼の率いるギルドの大部分が「王子」だということを知らないのだ。

 顔が割れているラズリルが長兄の元に行くには、少々手間がかかる。

 と、言っても変身石を使って見目を変えればいいだけの話なのだが。

 リーヴは立ち上がり、二センチぐらい厚い紙をラズリルに寄越した。

「なあに、これ」

 書かれていたのは、見知らぬ文字に出身地の名前だけだ。

「ジプシーや吟遊詩人、もちろん学者を含めて「知っている」文字の一覧です」

 ぱらぱらと捲っていくと知らない文字ばかりで「おお」と二人で声を出す。

「まとめたのは、それだけですが。まあ、今のところは小休憩というものです。前に言っていた、斥候の方に見せてほしいのです。似たような文字があれば、そこから、どこからの移住者か、だいたいの見当はつきますので」

 相変わらずリーヴは仕事が早い。出不精でなければ彼が国王になっていた可能性も、ないな。とラズリルとレゼンは小っちゃなため息をついた。

 本に囲まれるのが好きで、自分の好きな分野しか研究しない。

 そんな彼に国王という席は小さすぎる。好きなことしかやらないのだ。

 彼を国王と王妃が容認しているのだから、もう「王」という言葉はない。

「明日に渡すから、少し時間かかっちゃうよ?」

「かまいませんよ。バウンド兄上は、ああ見えても本当に大丈夫でなければ人を近づかせません」

 すっと紅茶を飲んでリーヴは落ち着いている。

 付き合いの長さか、長男と次男との関係だからか、二人ともお互いを信頼しているし、仕事についても一目置いているのだろう。

「わかったー、渡すね」

「お前は仕事が早いですから、父上も楽でしょうに」

「そっかなあ、普通にやってるんだけど」

 隣にいるレゼンは「早いだろ」という顔をしたが不思議な文字に注目しているラズリルには届かない。

 あの公務、三分の二を任されているのだ。十分の一でも、五分の一でもない。

 もうほとんどの書類部分の公務を引き受けているのだ。

 しかも視察も自分でしてしまう。

 レゼンから見て、よい後継者なのだが「自分」で視察やら何やらをするので、護衛の心臓は持たない。

 ついでに自分の心臓も持たない。と思いつつレゼンは危険な目に合ったことがないなと思う。

 それは裏から手を回してくれているのだ、きっと。

 これもそのうちラズリルの私兵たちが引き継ぐだろう。

 空気の入れ換え時かもしれない。

 レゼンは、ああ、ラズリルは王になるのかと実感する。

 隣のふわふわな幼馴染みが……と考えたところで、そのふわふわ幼馴染みが自分に恋心を抱いていたのを思い出した。

 考えると、考えると思ったそばから思考がずれていく。

 でも、ラズリルのいいところばかり浮かぶな、とも思った。

 ここは必死に「ダメだ」と突き付ける部分を探さないといけないのに、まだリーヴとあれこれ喋っているラズリルを見ていると、昔のことでよかったなあと思っていたことが頭の中に浮かぶ。

 今のラズリルを見ないといけないのに。

 レゼンはうなだれながら、手にしている紅茶の水面を見た。

 何も答えてはくれないが、情けない顔なら映っている。

「……レゼン」

「……はい」

「具合が悪いのですか?」

「え」

 自然に受け答えしてしまったことに気づいて、慌ててリーヴを見た。

「ぼんやりとして。ラズリル、あまり困らせてはいけません」

「……うー」

 当たり前だというようにラズリルは叱られて、口を尖らせる。

 困っていることは困っているが、それにラズリルが関わっているかといえばそうだし、何とも言えなくてレゼンは目を泳がせた。

「いえ、あの、個人的な理由なので」

「……なるほど、わかりました。何かあれば言うように。一応、権力はありますからね」

 ぽかんとレゼンは目を見開く。あのリーヴが権力を口にするとは思わなかった。

 確かにリーヴにも私兵はいる。

 しかし、主人が主人なので、実は各々鍛錬をしつつも好きなことをやっていたりする。例えば、街でパン屋を開いたりとか。

「もちろん、兄としての権力もあります」

 ついでというように言って、紅茶に口をつけ、カチンと音を立てて置く。

「むぅ、それってさあ、僕がいけないみたいじゃない?」

「レゼンを困らせるのはラズリルの仕事でしょう?」

「えー! なにそれ!」

 確かに、確かに、そうなんだが、レゼンはここで「好きって言われているんです」と言ったらどうなるだろう、と少しだけ思って、

『確かにラズリルはレゼンのことが好きですね』と返されて、

『なるほど、そっち方面でしたか……二人でよく話し合うように』と面倒くさいから見捨てられてしまう。

 言える訳がない。レゼンは息を正して「そろそろお暇するぞ」と声をかけた。

「え、もう?」

「ラズリル、もうっていう時間ですよ。あとは何も用事がありませんし、とりあえず兄上に渡す件はよろしくお願いしますね」

「はい、分かりました」

 レゼンが代わりに答えて、ラズリルの腕を引く。

「ちょ、ちょちょ、待ってよー、リーヴ兄ちゃん、またねー」

「失礼致します」

「はいはい、また、時間がある時に」

 そのあとは、ぱたんぱたんと部屋の扉を開いては閉め、開いては閉めて、最後に、

「お帰りですか?」

「ええ」

「たまには来てくださいねえ」

 と、出迎えてくれた彼に別れを告げて、ぱたんと閉めた。

 そのまま歩くとラズリルの腕がするりとレゼンの腕に絡まる。

「何を気にしてたの? 困らせてた?」

「う」

 ふふ、とラズリルは笑ってレゼンにくっついた。

「流石に言わないよ。レゼンがこんなに困ってるのにさ」

 レゼンは生真面目だなあ、と言い、ぴたりと身体を寄せる。

「ラズリル」

「兄ちゃんを訪ねる人なんていないって。こうさせて?」

「うう」

「あははは」

 困るレゼンを見ながらラズリルは笑う。

 心の中の葛藤がレゼンをいじめているのだ。

「ちゃんと近くなったら離すから、ね」

「くっ」

 振りほどいたら、多分、いつものラズリルだろう。そうだろうけど、彼の恋心を、一番に考えると言ってしまった手前、何故か拒否ができなくなっていた。

 ある意味、ここから好きか嫌いかを試しているように。

「レゼン、だーい好き」

 そう言いながらラズリルはレゼンの肩に頬を寄せて、あははと笑っていた。

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