第十話 愛の重さがあるようですよ(下)
『外』の空気が吸いたくて中庭へと歩いて行く。
何が変わる訳ではないが、堂々巡りの思考は『何も考えない』を選び、ぼんやりと空を見ていた。
東屋まで来て座る。
これから自室に戻ってラズリルの許可がいる仕事の下準備をしないといけないのにレゼンは身体を椅子に預けたまま、目を瞑った。
「大丈夫でしょうか、レゼン様」
何も考えないなら誰かに声をかけてもらう方が楽だ。
瞑っていた目を開けるとロプレトの『使用人』がいる。
「ええ、すみません」
そういえば『様』付けが嫌だった日があった。
ラズリルの側近みたいなことをし始めた日のことである。
レゼンは王子だが、ここにいる間は何か別のことがしたくてロンダルギアたちに、お願いしたことがあった。
『できるなら』そう言われてレゼンはラズリルの補佐として『敏腕』なる力を見せた。その時だ。使用人のみなに「様付けは止めてほしい」と言ったのだが、ロプレトだけは「申し訳ありませんが」と断ったのだ。
他国の王子ならば王族として振る舞いなさいませ。
もう捨てられたというのに、まだしがみつかないといけないのか。
そうロプレトに言い放つと、
「同情されたくなければ、そのようなことをいいなさますな。ラズリル様への侮辱ともなりますぞ」
小さいレゼンは、少し分からなかったがラズリルが悪く言われるのは嫌だった。
だから『手伝い』の形で収まり、ロプレトは、
「何かあれば
そこから『様』付けはそのままに、王族と同じ服装をしながら、ここにいる。
「なにか冷やしたものをお持ちしますか?」
言われて首を振る。
「もう戻るので」
使用人は不安そうな顔をしていたが、断ると渋々という形でさがった。
見てレゼンは立ち上がると、自分の自室へ歩いて行く。使用人は一礼をして去り、ロプレトに報告しに行っただろう。
歩きながら執務室に行けたらいいな、と思ってしまった。
かぶりを振って思考を飛ばす。
ラズリルがいる場所に行くなんて、母が恋しい子供のようだ。
自室についてベッドに飛び込む。外は青空なのにレゼンが見る空は天蓋の黒。
今の心も、少しばかり黒い。
第一、ラズリルが恋心を隠してくれていれば、こんなことにならなかった。
男同士だなんて不毛なこと。何故、そうなるんだ。
こんなののどこがいいのだ。敵国の王子だぞ。
あの『約束』を持ち出すなんて、子供が駄々をこねているに近いじゃないか。昔は昔、今は今だ。
ラズリルは将来があるんだ。
ぐらぐらと怒りが沸いたり悲しみが襲ってきたりする。
「ダメだ!」そう言うとラズリルの悲しい顔が見えた。そして堪えるような顔で「ごめんね」という姿が見える。
断ることも進む一歩だ。そうだ、そうに違わない。
レゼンは息を整えながら、手紙を思い出していた。
『愛しいレゼン』
何が愛しい、だ。十年間も何もしてこなかったくせに。俺がこちらで駄々をこねたら迎えに来てくれたか?
『大好きだよ』
何が大好きだ。十年間、その身に宿していた想いを隠し続けて、駄々をこねることなく笑っていた。
つらい、つらくてしかたない。
再度、国に帰るか帰らないかを決めないといけない。
もう一度、ラズリルを好きか好きでないかを決めないといけなかった。
できれば綺麗な道を歩いてほしい。
この気持ちでさえ、ラズリルに『好きだ』と伝えられて思った言葉だった。本当に甘ったれだったな、とレゼンは空笑う。
「バカだな、俺は」
父上や母上が永遠に生きている訳じゃない。兄上たちも生きているかいないか、結婚するかもしれない。ラズリルが、ずっと隣にいる訳がない。
先ほど考えた未来のラズリルの姿が頭の隅で繰り返し上映されている。
レゼンは、その場にぼぅと突っ立っている人形か。笑って拍手するだけの存在で、
『ありたかった』
いまだに空は黒い。
「レッゼーン!」
ノックもなしに扉が開け放たれ、こちらが寝ているのを確認すれば、それを覆い被さるようにラズリルが上から降ってきた。
「うッ」
そのまま胸をぶつけて、お互いに寝転んだ。
「いたたた。意外に平気かなあって思ってんだけどなあ」
ラズリルが笑い、けらけらとレゼンを見ている。
「どうしたの、レゼン。なにかつらい?」
元凶だと言いたくなかった。元凶は何も考えず、無関心に生きてきたレゼンなのだ。
暖かな手がレゼンの手を掴んで頬ずりする。
「ちょっと冷たいね」
ぎゅっと温める為にラズリルは、手を抱きしめた。
その柔らかな笑みに、どきりとする。
愛しい、そんな気持ちを抱えてラズリルはレゼンの手をとっているのだ。
そして、それを振りほどけないバカな自分がいるとレゼンは頭の中で自分をバカにする。
「仕事終わったから、リーヴ兄さんのとこ、いこ!」
言われて起き上がった。
「じゃあ、まずはキッチンだな」
彼の大好きなマドレーヌを手に入れて研究室に行かねばなるまい。事前に行くとは言っていないのだが、少し嫌な顔をする兄弟が目に浮かぶ。
それでも、ちょっとした手がかりを持っていけば耳くらいは貸してくれるだろう。
仕度しながらレゼンは、まったく変わらないラズリルを見る。
告白した前も後も、何も変わったように見えない。
天真爛漫で、面白いことが好きで、街に行くのが好きで、寝るのが好きで。
レゼンから見て、ラズリルの姿は『生きている』そのものだった。
「ねー、どの味がいいと思う?」
「ん、ああ」
マドレーヌの種類を見ながらラズリルが首を傾げている。
「プレーンでいいんじゃないか。あとは二つずつで」
「じゃあ、普通のを六個で、あとは二つね。量がすごいけど、リーヴ兄さんの主食みたいなもんだし、いいよね」
木の籠に入れて布をかぶせると「これでよし」とラズリルが言うので、いつも通りにレゼンは「俺が持つ」と手を差し出して、取り上げるように持つと、ラズリルの瞳が爛々に輝いて、空いている腕に、自分の腕を絡ませる。
「おい」
今までしなかったことをされると、一言いいたくなるが、本人が本当に嬉しそうなので放置してしまう。
そのまま手を繋ごうとしたので、流石に「ダメだ」とレゼンは軽く拒否をした。
「ちぇー、けちんぼ」
男同士で手を繋ぐのは、ケチじゃないだろ。そう言いたいレゼンは黙って一歩、先を歩く。
研究所は王宮にくっつく形であるので、少しの長い道のりを行けば、すぐに着く。
「起きてるかなー」
ラズリルは兄弟が何をしていようが楽しそうに言う。
冒険なら冒険を、研究なら研究を、余所の話ならそれを。
何がどこでおこって、どうなっているのか、知識欲が凄いのだ。
そこで「あ」とレゼンは思う。
色々と考えてくれたからラズリルはハルタ国のことを調べてくれたのである。
何も考えていなかった自分が恥ずかしくなってきたところで研究所につく。普通の木製扉に、少しの薬品か何かの匂い。
ラズリルは、こんこんと扉を叩くと返事を待ちながら、ゆらゆらと嬉しそうに動いている。本当に楽しみなんだろうな。レゼンは遠くを見る感覚を覚える。
「はーい」と声が聞こえて居住まいを正す。
「こんにちはー、ラズリルですー、リーヴ兄さんは起きてますか」
いますかじゃなくて「起きてますか」と聞くのは面白くて、ふっとレゼンは笑う。
「あはは、主任なら起きてますよ」
扉を開けたのは若い青年、だろうか。白いローブみたいなものを着てラズリルとレゼンを迎えてくれる。
入って見えるのは、まず机と椅子だ。誰かを迎える為にしつらえた、客間と言うべきところだろう。その先にも部屋があり、今度は書架が並ぶ。さらに奥に行けば、よく分からない器具が並ぶ部屋に到達して、また奥に部屋が……と繰り返していけば、
「主任なら歴史を調べると言って、ずっと缶詰ですよー。リーヴ主任ー、ラズリル様とレゼン様ですよー」
「…………入れ」
ものすごい沈黙のあと、許可を得た二人は、本の山にいるリーヴを見て「あ、これは寝てないな」と思う。
ほしい情報が出てこないのだろう。
「お茶入れてきますね」
「あ、これ、マドレーヌです」
マドレーヌです、と言ったところでリーヴが顔を上げる。
少し、隈があるようだが食欲はあるようで安心した。
「なんのようですか。この間のことなら、まだですよ」
「それー! 下街でさぁ、マリーおばあちゃんが昔、住んでた人たちがいたっていう話を聞いてリーヴ兄さんに話そうと思ってきたんだー」
ぴくりと動いて、立ち上がると客用の椅子にまで積まれた書類をどかしながら、
「早く座りなさい」
そう言ってラズリルとレゼンに席を空けるが、いかんせん足元にも書類が転がっているので、二人して片付けながら席に着く。
「で?」
「住んでたって話。マリーおばあちゃんが若い頃だから六十年?くらいだと思うんだけど、なんか不思議な人たちみたいな」
「で?」
「そんだけ」
「……菓子を食べたら出ていけ」
これでも優しい方なので、マドレーヌを持ってきてよかった。
「でもさあ、森の中で住むのはいいよ? 何するんだろうね?」
「それが分かれば苦労はしない」
リーヴは歴史書をひっくり返しても何も出てこないことに辟易しているようで、まあ、それでラズリルたちを受け入れたところもあるだろうが、
「碑文があるなら、何か奉ってたのかな。大きな魚の用心棒もいて」
「これなら住人たちも魚の餌になっていると思いますけど、考えることはいっぱいですよ? その住人がどこのものか、何故、一枚岩の碑文を残したのか、そして奥に、湖を作り守護者らしき魚がいるのか。魚に住人は食われたのか、住人がどこにいったか」
考えるだけで思考がまとまりません、と言ったところで茶が運ばれてきて、ほうとリーヴは口をつけ、大好きなマドレーヌの一つを取り、口に含む。
無表情の彼だが、一口食べただけで雰囲気が変わったので、持ってきて良かったとラズリルとレゼンは思い、安心する。
「だが、一つだけ言えることはありますよ」
「なに?」
「それを残すほどに、大事にしていたのでしょう」
洞穴を隠すくらいに、とリーヴは締めくくる。
「……大事だと隠したいものですか」
レゼンが言うと、その場にいた二人の視線が集まった。
「あ、え、すみません、リーヴ兄上。気にしないでください」
「隠したい、ですか。その思いが永続的なものであれば隠すかもしれません。あそこの住人が人目に触れぬよう隠したのなら、何かしらの魔術があるかもしれませんし」
永続的、とレゼンは口にして黙る。
「でも、バウンド兄ちゃんは中に入ったんでしょ?」
「結果、見つかってしまったしまいましたが、いつかはあった結果ですよ」
いつかは、でも隠すこともできたのだ、永続的に。
それがラズリルを指す言葉なのか、愚かで無関心だったレゼンを指す言葉なのか。
考えているレゼンは、ただラズリルのことが気になっていた。
ここで「なんでラズリルは俺に想いを伝えたんだ?」と聞いたら、どうだろう?
『大好きだから』
困った顔で言うラズリルの姿が想像できてレゼンは泣きそうになった。
想いを何度も伝えていた時、ラズリルは、どんな気持ちで伝えてくれたんだろう。
レゼンはリーヴと話すラズリルを見ながら、考えると言ったのだから、一番に考えるべきなのはラズリルのことだと思い直して息をした。
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