第三話 信じてもいいようです

 歩く。歩いて忘れようと思った。

 でも、忘れようとする度にラズリルの瞳が頭に浮かび、告白ともとれる情欲の吐露に心が早くなる。


 レゼンは、自分はどうするべきかと、これから会う時になんて顔をしていいのか、わからなくなってきた。

 受け入れられない。ラズリルをそんな目で見たことがない。


 いつでも兄弟のようで育ってきたのだから、同じ場所で同じ時間で、仕事に精を出し、たまに城下街におりてみたり、それを怒ったりしては笑い声が絶えなくて、ラズリルの声は、レゼンにとって幸せの象徴みたいなものだ。


 こんな人質の自分でも幸せを得ていいのかという証明である。

「ラズリル」

 歩いてた身体を止めて、壁にもたれた。

 名前を呼ぶ。

 呼んでも「なぁに? レゼン」と答える人はいない。


 ダメだ、俺はラズリルの欲に答えることはできない。帰ったら、ちゃんと話そう、そう思い、居住まいを正すとロンダルギアの執務室まで歩を進めた。

 歩いていたら鳥の声が聞こえる。

 この王宮は小さい。使用人も少ないし、見た目は綺麗と言えるが、小ささに諸国の王たちは驚くだろう。


 昔から「豪華」という言葉は忘れている。

 調度品はできるだけ豪奢なものに見えるが端々は、長年使用してきた年期があるとわかった。

 それは質素で、国民と変わらず、ただ「王」という肩書きだけであるという意思表明でもある。


 レゼンは、こういうところが好きだった。自然体でいれる。

 あの祖国のぎらぎらとしたところより、鳥の鳴き声が身体に染みわたるような、この「家」が好きだ。


 しばしして王の執務室前までくれば、護衛の兵が立っている。

 レゼンの姿を見て「よう」と軽口を叩くのは、レゼンがそれだけ、ここに馴染んでいるということだ。

「どうしたよ」

「聞いてないのか? 俺、呼ばれてるんだよ」

「ホントか? 国王陛下も言ってくださればいいのに」


 と、身体を反転させ「陛下、レゼンがやってまいりました」と扉から部屋に声をかける。

 間を置いて「入りなさい」という言葉が聞こえ、護衛兵はあごで行けよと言い、

「失礼致します」とレゼンは扉を開けた。


 「呼びつけてすまないな」

 部屋にいたのはロンダルギアと側近の二人、そしてキャト・リューズの四人。

 なぜキャト・リューズ王妃が? とレゼンが疑問に思っていると、座っていたキャト・リューズが立ち上がって、直接、レゼンに手紙を渡してきた。


「これは?」

「あなたの、ハルタ国から届いた書状です」

「は?」


 もうなきものであると思っていた国の名前にレゼンは目を見開いた。

 今さらなんだと言うのだ、とレゼンは手紙の中身を見る。

 そこに書かれていたのは「レゼンを返してほしい」という言葉が含まれた長い手紙だった。


 もうそちらの国に対して敵対意識はないことと国土が安定したこと、それ故に人質に出していた「愛しい」レゼンを返してほしいとのこと。

 カッと身体が熱くなった。

 十年も放っておいて、今さら綴られた媚びにレゼンは歯を食いしばる。


「帰りません」と言う前に身体は止まる。ああ、これをラズリルに見せたくなかったのか。今のラズリルなら確実に嫌がるだろう。嫌がる上にハルタ国に何かを仕掛けようと言うかもしれない。


 手紙を手にしながらうなだれる。

 ここにレゼンの意思はあるだろうか。

「レゼン、お前が何故、人質なったのかは分かるな」

「はい」


 ハルタ国とは敵対していた。いがみ合うだけならよかったが、戦場の火蓋は切って落とされた。

 結果はハルタ国の惨敗。多くの損失と王家に対する責任の所在に、また兵を集めた際の村々の男たち、臣下の子や何もかもとは言わずとも、国は荒れ、このまま、この国に支配されるといった時に「助けてほしい」と懇願し、シャリュトリュース国からの援助で国を再建すると誓った。


 そう願い、できなかった場合の人質としてレゼンが預けられたのだ。

 もちろん、もう戦争をしないという旨趣もあっただろう。

 レゼンから見れば捨てられた、と言えた。

 しかし彼からしたら「抜け出した」に近い。もうあの気持ち悪い、ぎらつく国から出れるのであれば、不安はあれど、心の底で安心感があった。


 そのあとのことは、帝王学を学んだり、武術を学んだり、いいこと尽くめ。

 本国より充実した日々だった。

「これ、は、その……本当のことなのでしょうか」

 ハルタ国が再建できたということだ。

「表ではそう見える」


 ロンダルギアは、少し突き放し気味に言うと俯くレゼンを見る。

「おれ、わたしが本国に戻ったとして、何が変わるのでしょう?」

「それはお前次第ですよ、レゼン」

 黙って聞いていたキャト・リューズが口を出す。


 帰ったとして、待っているのはあの両親だ。苛立ちすら思える生活を変えたのだろうか。臣下たちには何を話したのか、村々への援助はどうしたのか。

 もう十年経つのだから、大体のことはできているはずだ。

 だから? だから、戻ってこいとのことなのだろうか。


「お前は、今、ラズリルの側近の真似をしていますが、本当は人質なのです」

「なら、何故、よくしてくださったのですか!」

 キャト・リューズの言葉にレゼンは声を荒げた。


 それに真似じゃないと言いたかった。本気でラズリルの補佐をしていたのだから。

わたくしたちは、お前を迎えた時にハルタ国で生きていけるよう躾けたのです。あの時のハルタ国は国内でも血で血を洗うような現状でしたから。そんな中、役目を終えたと、お前の手を離しても死が待つだけだった」


 少しでも、とキャト・リューズは瞳を伏せて椅子に座る。

 情けで育ててもらったと、レゼンはロンダルギアを見て、口を開いて閉じた。

 どこかで愛されているんじゃないかと勘違いしていたのか。

 なら最初から人質として扱ってほしかった。


「レゼン」

「聞きたくありません!」

「待て、レゼン」


 乱暴に服のフックを外して、そのまま第二ボタンまで引き千切る。

 床にボタンが落ちて、それさえも憎く思えてきたレゼンは蹴り上げると、そのまま部屋を出ていった。


「お、おい、どうしたよ」

 突如、荒々しく開け放たれた扉に、護衛はレゼンに声をかける。

 何も言う気がないレゼンは、無視をして廊下を歩いて行った。


   *   *   *


「キャト・リューズ」

 彼女を呼ぶ声が部屋に響く。

 座った王妃は、目の前の机を見ながら瞳を潤ませていた。

「最初から、間違っていたのでしょか」

 彼女は、あの国から来る人質と聞いて「悪評」をそのまま受け止めていた。

 しかし現れたのは、王族とは思えない服装で、目の死んだ子ども。

 八歳とは思えない小さな身長に、これは「諦めた」表情なのだとキャト・リューズは、すぐに理解した。

 人質にしたことで、こうなったのか、最初からそうなのか。

 分からずとも、キャト・リューズは、他の王子と同じ教育をしようと決心した。

 これから生きて行くには、武や知が必要だ。現に、このレゼンと言った子どもは、読み書きもできない。

 恐れさえ感じた。本当に王子だったのかと思うほどだ。

わたくしは、情けで育ててしまったのでしょうか」

 ぽつりと部屋の中で言うと、ロンダルギアは首を振り。

「あの子は思った以上に成長してくれた。生真面目なところは悩みどころだが周りを明るくする力もある。これからハルタで起こるであろうことも乗り越えてくれる。ただ、そうだな。やはり、我らはあの子を自らの子と育てすぎたのかもしれん」

 キャト・リューズは涙を流し、席を立ったロンダルギアは彼女に寄り添う。

「大丈夫だ。強い子に育ってくれた」


   *   *   *


 怒りで歩いていたレゼンは、だんだんと心の臓が痛くなるだけで、部屋の近くまで来たときには、憑きものは落ちて手紙を見た。

 そういえば持ってきてしまったな、と胸元を触りながら思う。


 酷いことも言ってしまった。

 でも、情けだったのか。それが心を締め付ける。

 しかし、敵国の子どもに、あんなにもよくしてくれたのは。

 笑う声が聞こえる。ラズリルとは近い歳だから、よく勉強をした。読み書きができないから、そこからの練習で悪戦苦闘したっけ。


 上のバウンドたちとは剣の稽古をしたし、それをロンダルギアもキャト・リューズも見てる。

 あの笑い声を、嘘だと言ってしまったことにレゼンは自分自身に対して落胆した。


 今日は、ぐるぐると感情が回転してしまう。

 泣きたい気分になると、何故かラズリルを思い出した。

 あの瞳を見ていたい。青空をはめ込み、少しばかり色をつける。そうして白銀の髪に顔を寄せたい。


 ぶんぶんッとレゼンは首を振る。

 もっと別のことを考えなければ。

 いつ出立するのか聞きそびれたが、準備をしておくに限る。


 その前にラズリルのところに行ってラシャ兄上に出す書状を書いて、オルーチの件は一旦置いておくとして、前に下街の水路の魔核の調子が悪いと聞いていたから、


「レゼン」

 すがりたい声が聞こえた。

「どうしたラズリル」


 普通に答えたつもりだが、とレゼンは思いつつ、だがラズリルは分かっているようにレゼンに抱きついた。


「ラズリル!」

 引き離そうとも、意外に強い力に困惑する。

「大好きだよ、レゼン。世界で一番好きだよ」


 今のレゼンにほしい言葉をラズリルは分かっているように言った。

 見透かされているのか、そう思うほどに。


「好き。大好き」

「……ラズリル」

「真面目なところが好き。僕を起こすレゼンも好き。そばにいてくれるだけで幸せ」

「ラズリル、分かってたんだな」


 ハルタ国がレゼンを呼び戻そうとすることを。

 あの時の「時期」というのは、こういうことだったのだ。

 レゼンに何をさせたいのか分からないが、きっと碌でもないのだろうな、と分かる。分かるから、そうか、この頃、甘えていたのは。


「仕事をしよう」

「え?」

「仕事だ、仕事」

「ええ!?」


 こんなにも怒ってしまったのは、やはり愛されていると思っていたからだ。そしてそれは本当のことなのだと思う。

 こうやってラズリルが好きだと言うように。

 甘えていたのは自分だ。切り替えなければ。

 レゼンは抱きついていたラズリルをひっぺはがして歩く。

 首元に手をやって、謝らねばと心に決める。


「い、いま仕事なのー」

「今だから仕事なんだ」


 ラズリルは「うへえ」という顔をするから、レゼンが手を取って執務室まで連れて行く。

 それに少しは回復したのか、ラズリルの歩が早くなる。

「こういう時に仕事は必要なんだ」

 まだ出来る限りの恩返しはしよう。

 そんなレゼンの背をラズリルは射止めんと瞳を細くした。

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