第四話 愛ってすごいのですよ
「あぁ、終わったぁ」
机に向かう仕事を終えてラズリルは背を伸ばす。
ラシャへの手紙、古くなった橋の改修、病院への新しい治療機器、養護施設の予算の捻出、魔核の受注、他にも必要なものはあるが、ここで一日の一区切りだろう。
「だいたいのものは調べ尽くしたものだからな。お前の承認があれば、すぐにでも、とりかかれる。魔核は早くしないとな」
レゼンが紙の束をまとめながらまぶたを下ろす。
水の核の調子が悪いということは、全世帯に影響がでる。
「僕、魔核なら水が好き。色が綺麗だから」
乳白色のそれは北にある国からだ。なんでも百年かけて魔核を作り上げた天才がおり、それ一代で、だいたいのものは誰でも使えるものとなった。
その中で大きな魔核は、川の上流と下流に設置され、飲める水と汚水を綺麗な水に戻す役割をしている。
今、調子が悪いのは下流の魔核だ。
どうも、汚れが落ちきってないらしい。
下流と海に混ざる時に、綺麗な水でないと漁や養殖に害がでる。
「この魔核、今はどうなっているの」
「だましだまし使っているらしい。街には汚れ物を流すのを自重するよう布令がでてる。が、長くは持たないだろうな」
「たとえば、今ある小さな水魔核を使って、一時的に綺麗にできない?」
んん、とレゼンは唸る。
できなくはないが、魔核は人の大きさに相当していて、一時的な魔力の付与はでききることはできるが、現状を打開するには小さすぎた。
「確かに安価な水魔核を使えば多少は良くなるだろうが、先に新しいのを待っている方が現実的だな。無駄に魔核を使うのははばかれるし、予算もある」
受注して、北の大地から来るまで目算、一週間くらいだろうか。
その前に小さな魔核を使うと、大きな魔核と小さな魔核を購入することになるから、やはり、待つ方が早い。
ぎぃとラズリルは椅子に寄りかかる。何かを考えているようで、首を回しながら、何かを思っている。
「大きな魔核と小さな魔核を注文するのと、大きな魔核を二つ受注するのと、予算的にはどう?」
「どうしてだ?」
「上流の魔核の魔力量を半分使って下流の魔核に力を渡す。これなら、かなりの時間をかせげるよね。で、新しく二つの魔核を変えることで新品の綺麗な魔核と入れ替わるじゃない」
なるほど、と思いつつ、手元にある予算書を見る。
捻出できるだろうか。行き帰りをバウンドのギルドに護衛を頼み、設置するには魔術に詳しい、うちの専門家に頼まねばあるまい。
「変えた魔核は小さく加工して家庭用や畜産とか水が必要なところに売ればいいよ」
レゼンは、ここまで言われてしまうと「その方がいいかも」と思ってしまう。
「予算がなあ」
「あそこは? ウレルック砦の改修工事。レンガを多めに作って輸出してみない? ここだったら西のピリオン国かな。この間、魔獣に襲われて、一つ砦が壊れたって聞いたよ」
ちょうどいいじゃない、とラズリルは笑う。
それなら先にレンガを売り、二つの魔核の購入が可能になる、か。
よくもまあ他国の情勢に詳しいことだ。こういう時、ラズリルがこの国の後継者であることを思い出させてくれる。
五男という立場で「王」になるには珍妙だ。上の兄たちが自由に生きているから、とも言えるが、それに文句をつけないのがラズリルだ。
まさしく、王になる為に生まれて来たような人間。
「ねえ、レゼン。僕、その魔核を見に行きたくなっちゃったなぁ」
うっと詰まる。
つまり、外に出たいのだ。
「あとレゼンは着替えないと」
はっとレゼンは首元を触って、あれから着替えてないのを気づく。
それに抱きしめられた感覚が少しだけあり、ラズリルに対して借りを作ってしまっている。
一応、主君のわがままに付き合わされる理由は、そこにあった。
時と同じく「失礼致します」と声が聞こえてラズリルが「どうぞ」と答える。
開けられた入り口にいたのは家令のロプレトだ。
頭を下げて、手に何かを持っている。
「お困りと思いましたので着替えをお持ち致しました」
それはレゼンの服だった。また喉元に手をやり、苦渋が溢れた。
「……俺は」
「こちらにお着替えください」
差し出された服を、脱いで破れている服と交換する。
きっちり、合っているレゼンの服は王族と着るものと同じものだ。
これに文句をつける人は誰もいない。
まるで当たり前のように、最初からそうであったように振る舞うのだ。最初こそ、何故だと思っていたが、彼らはレゼンを人質の「王子」として迎えたのだから、それ相応の礼を持っているのだろう、が、同じ王族の服を着ている人質はなんというか、批判されてもいいと思う。
ますます先ほど言い放ってしまった言葉が重くなり、謝れるだろうかとレゼンは、思った。
「うんうん、レゼンはかっこいいね」
いつのまにやら近づいていたラズリルがレゼンの周りを歩きながら笑う。
慈愛にも似ている声に、またぐっと堪える。
「じゃあ、街いこー!」
両手を上げてラズリルは、どこにあったのかロプレトから、お忍びようの灰色のマントを着て、にこにこしていた。
「護衛はいかほど」
「レゼンだけでいいよ。何か情報あった?」
情報とは刺客やらなんやら面倒くさいことの輩である。
「いえ」
ロプレトは短く答えて「いってらっしゃいませ」とポイッと城から二人を出した。
「屋台の焼き串食べたいなあ」
「そうやって、あれもこれも食べて。毒とか気にしないのか?」
「パンも食べたい」
城の食事でいろいろと食べているのにラズリルの腹は……。
と、レゼンは考えたところで昼近くなのかと思い出した。
朝、ラズリルからの告白に、父上と母上のこと、そこから仕事をしたから、ちょうど昼なのだ。
上流の魔核を確認する為に川に寄っていくと、太陽の光りで輝く乳白色の丸い玉が、ふわりと浮いて流れてくる川に「魔法」をかけていく。
「こっちの色は綺麗だね」
「あとは下か、いくぞ、ラズリル」
「うん」
交わしながら、降りると屋台が並ぶ大通りは賑わっている。
大きな声で果物を掲げる主人、肉を進める女主人。
「おっ、第五の」
「こんにちは、おじちゃん」
商店街でラズリルを知らないのは旅人くらいだ。フードも被らず、明るい髪を揺らしながらラズリルは、あっちこっちの屋台に顔を出す。
「五の君じゃないか。食べてくかい?」
「そうやぁ、食堂でいい肉が入ったって言ってたぜ」
みなが知っているのは新年の祝いには「祝福」として街を神輿で回るのだ。
ラズリルから上の兄たちは出ないのが通例になりつつあるが、次の君主としてラズリルは参加する。ので、みんな、顔を知っているのだ。
「あー! 第五のにいちゃんだ! 遊んでー!」
「遊びたいんだけど、ちょっと用事があるんだよー」
「えー!」
「こら! 第五さまを困らせるんじゃないよ!」
子どもの後ろから母親らしき人が出て来て、ぽかっと頭を叩く。
「おばちゃん、やめてあげてよお、僕、遊ぶのは好きだし」
「いつも遊んでるもんねー」
その言葉に母親もため息をつく。民と近すぎると威厳も何もなくなってしまう、と危惧しているのだが、そこも民から慕われている部分であるとレゼンは思っている。
「ほら、視察にいくんだろ」
「と、ごめんねえ。また遊ぼ!」
「うん、またねえ!」
話がまとまったところで引き上げて、海に続く道を歩く。
「やっぱり、僕、この国が好きだなあ。みんな笑ってて細道にいる人にも、職を与えられるように父上が対処したし、今のところ文句がないんだよね」
「……ラズリル」
「あーとーはー、レゼンが僕のことを好きになってくれることかな」
先に歩いていたラズリルが振り向く。少し困った顔をして笑うのは同じ答えが返ってくるのが分かっているからだろう。
「俺は、やっぱり、家族としか思えないんだ。その、ラズリルによ、欲情、はできないんだ」
「むふー、よく言えました」
でもね、とラズリルはレゼンの腕に身を寄せる。
「絶対、好きにさせるから。もう僕なしじゃおかしくなるほど、僕の身体に欲情してもらうから」
「だ、だから、よく、欲情とか言うな!」
抱きついてきたラズリルを離し、レゼンはずんずんと歩く。
「ふっふー」
ラズリルは背中から抱きつくと、まら「や、やめろ!」という声がするが、当分の間は、ずぅっと、こうするつもりだ。
ぺろりと舌なめずりして獲物を狩る顔になる。
生真面目なレゼンは「いやだいやだ」と言うだろうが、ラズリルは逃がそうなんて思っていない。
そんな風にじゃれている内に下流についた二人は、少し遠くにある魔核を見に来られた。確かに乳白色から黒が漏れ出している。
今も落ちる水の中に黒いものが、とぷんと落ちていく。
「思ったより事態は深刻だね」
「だな。お前が言ったように上の魔核から魔法を移そう。こっちは早急な案件だな」
レゼンは紙とペンをを取り出すと、さらさらと現状を書いておく。
二つも大きい魔核の購入ならロンダルギアの了承も必要だろう。
「はあー」
「なにしてるんだ」
「空気吸ってる」
「ここでしか味わえないものもあるからな」
潮の独特な臭いが鼻を通って身体にしみる。
魚や養殖しているワカメやカキなど、シャリュトリュース国の特産品はたくさんある。森にも海にも面した好立地のここは名産品も多く非常に豊かだ。
あとは境界の辺境伯たちが仲良くしてくれればいいんだが、手を繋ぐというのは、難しい。
第三王子のラシャが辺境伯でも小さいヴィフェル辺境伯に婿入りしたことで小競り合いは減り「譲り合い」が多くなった。
ラシャの一目惚れは激震が走ったが、キャト・リューズが、例の「できる、できない」の問いに、ラシャは「やります」と答えて、本当に辺境の問題を解決してしまったのだから、愛の力はすごいと一時期、噂となり、誰もが憧れたという。
レゼンは、愛の力かと思う。それさえあればなんでもできるみたいな言い方だ。
でも、本当のところもあるのだと思う。陛下たちが自分を愛してくれたように。
「何考えてるの、レゼン」
「ん? ん、ああ。ラシャ兄上のことを思い出してた」
ぱちりと目を見開いたラズリルに、小さく笑って「すごいなと思ってただけだ」と言うが、言われた相手は不思議そうにするだけだった。
ラズリルの本当の愛は、そこにあるのだろうか。
依存だったりしないだろうか。
ちゃんと、生きていけるだろうか。
俺がハルタ国で、どんな目にあっても……。
レゼンは遠くを見た。この先にハルタ国はある。
十年で、どんな風に変わってしまっただろうか、先に情報がないせいで、両親も、兄弟も死んでしまったのかと思ったりしている。
いや、その方が「王族」として間違いはないはずだ。
だが、レゼンを寄越せと言われている以上、最期はそこになる。
「なあ、ラズリル」
「ん? なに?」
一陣の風が二人の髪を揺さぶって通り過ぎていく。
「……お前は、どこまで俺のことが好きなんだ?」
欲情とかそれはなしだぞ、と告げて、レゼンはラズリルを見た。
「いつからかな。ある時にレゼンを見て、身体がかぁとして、見ているとドキドキして、どうしていいか分からなくなったんだ。それが恋だって分かるのに時間がかかったなあ。だって、レゼンは家族なんだもん」
ラズリルは腕を上に伸ばして「んー」と背を伸ばす。
「我慢しよう、我慢しよう、て思う度に好きになってく。好きすぎて、これだよ? レゼンは早く諦めて僕を愛しちゃえばいいんだよ」
「お前なあ」
「損はさせないよ」
ラズリルはレゼンに身を寄せて、くちびるを合わせた。
ただの小さなキスだったが、レゼンは身体は固まり、ラズリルは切なそうに笑う。
「ふふ、まだ、分かってない」
「……外だぞ!?」
「あ、帰ってきた。外じゃなければ、もっと深いのしていいの?」
「そう、そ、そう、そういことじゃ」
「大好き、レゼン」
くるりとラズリルは反転して、帰るべく歩を進め始めた。
それに慌ててついていくレゼンは、くちびるを触りながら、身体が熱くなるのが、分かる。
口づけなんて初めてした。
初めて、
「ラズリル、初めて口づけしたのか?」
それに、顔だけレゼンに向けてラズリルは笑う。
「寝ている時にしたって言ったら、どうするの?」
「……今は、分からない」
「へえ、いつか分かってくれるんだ」
「そ、そういうことじゃないっ」
ラズリルは鼻歌をしながら道を歩いて行く。
気づいて離される前にレゼンはついていった。
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