第二話 愛の告白は大事ですよ?

 席を立ってすぐに、

「レゼン、あとでわしの執務室まできてくれんか」

 蓄えた髭を撫でながら、にこりとロンダルギアは言った。


「いますぐにでも向かいますが」

 妙な言い回しにレゼンは首を傾げて問うが、かの初老は首を振り、


「今からだとラズリル、お前も来るだろう?」

「当たり前ですし、だってレゼンと僕は一心同体ですから」


 くらりと目が回る気がして、一、二歩下がる。

 最近のラズリルの甘えは過剰の一途を登っていた。

 こんなんだったか、とレゼンは思い、でも、すぐに頭を振る。

 ベッドに潜り込むのはいつものこと、着替えさせるのもいつものこと、こうやって食事の間につれてくるのも、仕事も、一緒だなと思った。


 それでも後ろについてくる数が多い気がするし、手洗いに行くにも「どこにいくの」とか聞いてくる。

 まるで傍にいさせたいかのようだった。


「わかりました。件の開拓の話を進めてからまいります」

「時間は、いつでもよいからの」

 そのまま礼をして二人だって食事の間をあとにする。


 ちらりとレゼンはラズリルを見た。

 自分とラズリルの身長差は、ちょうどレゼンの顔半分までくらいだが、お互いに、身長が低い訳じゃない。


 レゼンが大きいのだ。それでもバウンドほどの巨躯ではないが。

 大きすぎない大人になりかけの瞳が、前を向きながら、先とは違い、しっかりと歩いている。

 と、言ってもレゼンは十八、ラズリルは十六。

 まだまだ成長途中だ。これから、もっと伸びるだろう。


「おーい、二人とも」

 声の方を向くと、食卓を共にしていたバウンドが手を振りながら、こちらに来る。

 黒の糸に白の服。フックは締めずにボタンもひとつ外して、とても楽な格好だ。


「兄ちゃん、どうしたの」

「ちとな」

 と、言ってバウンドは、レゼンとラズリルを見た。


「さっき言っていたオルーチ村って、あのカラガハル領とバシマ領の境にある村じゃないか?」

「うん、アタリ」

 ラズリルは首を縦に振って答えると、バウンドは困った顔をする。


「さっき『村長』て言ってただろ? 領主じゃねぇのかと思ってな。それも絡んでるんじゃねぇか?」


 さすがだ。武を極めんと自ら跡目を破棄したものの、幼い頃は帝王学など、色々と手にしてきたのだ。事情が分かる。

 はっきり言うなら、この二つの領内の支配者は仲が悪い。

 何故か、と言われたら、もう長いこといがみあっているので、何故は愚問だった。


「あそこは魔物も弱いのばっかだし、盗賊の話も聞かないし、ラシャのおかげで境界線上は整ったからなぁ。そっちから話は出さないのか?」

 バウンド的には必要な問題でもないのに、やけに聞いてくるなと二人は思った。

 顔を見合わせてから、またバウンドを見ると、髪を豪快に掻きながら黒の瞳を彷徨わせる。


「うちのギルドに、そこ出身のやつがいてなぁ。なんでも、どこかと貿易みたいなことをしたいんだと。別に村に何かあったわけじゃねぇんらしいが。急に里帰りしてこいと言われて聞いたってんだ」


 貿易? と言われ、二人して顔を合わせる。

 そんなに税や食に困っているとは聞いていない。

 ただ「育ててみたい」から入った話だ。


「貿易相手は誰なのですか、兄上」

 レゼンは聞くとバウンドもため息をつく。

「出入りしている商人相手らしいが、その商人がどっから来てるかわからんでなぁ」


「謎だね、兄ちゃん」

「懸念するところはよぉ、カラガハル領とバシマ領が知ってるか、それともどちらかの商人なんだかってなぁ。どっちにしろ、揉め事の臭いしかしねぇ」


 ふむ、とレゼンは考える。ここでどっちの領の商人かは問題ない。街道があるのだから、あーだこーだと揉めないだろう。ただ不思議な米というものと村自体が商人と手を組んでいるのが気になる。


「ラシャ兄ちゃんからも話を通して見るよ」

「おぅ、頼むわ。なんなら開拓にオレんとこのギルドから呼ぶか?」

「そっちの洞穴の探索は?」

「うちはなぁ、人数が多いしな。アイツ里帰りっていやあ、帰さすこともできるし、少しはそっちにさけるんだわ」


 川からの用水路、必要な土、また崩壊しないように作る水のはけ口、なによりも、土地がいる。

 それは森を切り開いて作らないというし、人は何人も欲しい。


「じゃあ、村出身の人を中心にして何人かお願いしてよ」

「おう。商人の件も含めてやるわ。ごめんな、引き留めちまって」

 バウンドの声にレゼンとラズリルは笑う。


 久しぶりの兄弟の会話だ。楽しいに決まっている。それがどんなものであろうとも中々会えないのだから、笑みがこぼれるというものだ。

「兄ちゃん、今日は泊まっていかないの?」

「ああ、わりぃけどな。このままギルドの方に戻る」

「よかった、顔見れて。一年に二回くらいしか見れないもんね」


 二回とは国王ロンダルギアと王妃キャト・リューズの誕生日のことである。

「んなこと言うなよ。ちゃんと連絡してくれりゃあ、顔くらい出すぞ?」

 くすくすとラズリルは笑い、バウンドを見上げるとキャト・リューズに似た穏やかな笑顔を見せて、バウンドも笑い、レゼンとラズリルの頭を撫でると「じゃあな」と手を上げて背を見せた。


「どうする? ラズリル」

「そりゃあ、まずラシャ兄ちゃん側から調べてもらうよ」

 執務室に戻ったら書面を書かなきゃなあ、と言いながら部屋に戻る道を歩く。


 このシャリュトリュース国は雨季がきてから春が来る。

 そして、また雨の日々が続いて夏が来る。そこから秋と冬を越えて、また雨季という一年を過ごす。


 何十年も過ごした王宮から見る景色は、レゼンには当たり前のことだった。

 もう己の国の風景を思い出せない。母と父の顔も声と顔も曖昧で、弟たちのことは心配ではあるが、こちらも心配する、という気遣いはない。


「レゼーン」

「ああ、今行く」


 王宮で王族と似た生活をしていると言ったら、両親はどんな顔をするだろう。

 当初、この国に来た時、どんな仕打ちが待っているかと思い、不安で仕方がなかったが、起こったのは礼儀作法と勉強に武術の稽古、魔力石の使い方。

 そう王族や特権階級が習うような生活だった。


 何故、そうなったのか。

 長年の疑問をレゼンは聞かずにいる。

 大切なのは、今の生活だった。


 父と母と呼ばせる二人、兄と呼べと言う四人、そして幼馴染みである一人。

 レゼンとラズリルは二つ離れているのだが、そこに境はなく、ラズリルはレゼンのことを「レゼン」と呼ぶ。レゼンは「ラズリル」と呼ぶ。

 それ以上の幸せを、今のところレゼンは知らなかった。


「レーゼーンー!」

「はいはい、今行く」


 歩いて行くとラズリルはレゼンの腕に抱きつく。これもこの頃、やり始めた。

 本人は嬉しそうに抱きつくが「ダメだ」と言えば拗ねる。

 使用人や家令のロプレトが見たら怒りはせずとも、目をいさめるだろうに。


「この頃、どうしたんだよ」

「なにが?」

 執務室に向かいながらレゼンは、そのままラズリルに言う。

 「抱きついてくるし、どこに行こうとも一言いわないとダメだし、ベッドは、まあいいけどよ。時計をいじるほどのことか?」

「……」

 ラズリルは押し黙った。そして、


「レゼンはいやなの?」

 と返してくる。

「いやとかそういうのの前提だ」

「僕は、レゼンがどっか行っちゃうのがやだ」

 それに目をしばたたかせた。


「どこって、どこにもいかねえよ。なんだって、そんな話になるんだ?」

「……僕なら、この時期にする」

「時期?」


 ラズリルは拗ねた顔をしてレゼンから顔をそらした。

 その目は水を含んでいるようで、慌てて近くに寄って顔に手を沿わし、潤っただけの瞳に、指で目元を拭ってやる。


「泣くほどかよ」

 何でも分かる訳じゃない。言葉にしてくれなきゃレゼンもラズリルのことが分からない。もう一度「どうしたんだよ」と聞くと、


「レゼンは、約束あの時の覚えてる?」

「約束?」

 頬に添えられた手の上にラズリルは、自分の手で蓋をして、

「僕と結婚するって言ったこと」

「なッ、それはお前を女の子と間違えてだな」

「間違えても何でもいいよ。僕はレゼンのお嫁さんになりたい」

「おまえなぁ」


 まさか「約束」が続いていたなんてレゼンも思いもしなかった。

 あれは、こちらに来た頃、まだ慣れない廊下で中庭を見た時、太陽の下で白のレーススカートを身に着けた髪の長い「女の子」を見て、一目で恋に落ちたのだ。

 誰か分からないがレゼンは必死に中庭に続く入り口を見つけて、そのまま「結婚してください」と小さいながらに、手を取って申し込む、と、


「僕、男の子だよ?」


 一発で玉砕した。それを見ていたロプレトがレゼンに、男の子や王子やらを教えてくれて、二発、三発と衝撃を受けて、その日は枕を濡らした。

 ちょっと恥ずかしい思い出である。


「お嫁さんになるんだってば」

「急になんだよ。今までそんなこと言わなかっただろ」

「ベッドに潜り込んでも手を出さないし」

「普通はそうなんだよ」

 肩を落としてレゼンはラズリルの頬から手を離す。


「レゼンを好きになっちゃいけなかったの?」

「はぁ、俺だってラズリルのことは好きだと思うし、兄弟としてそばにいたいと」

「ちがうっ」

 ラズリルは一歩前に来て、レゼンの手を取ると自分の胸に押し当てる。

「僕の好きは違うよ、レゼン」


 猛攻にレゼンは圧倒された。ラズリルの「好き」が恋愛の好きだとして、それは不毛ではない。男同士だなんて、ましてや兄弟だと思っていた子に対して、その気持ちは分からない。


「ドキドキしてるの分からない? この頃はずっとそう。レゼンを見ていると、胸が高鳴ってしかたない。抱きつきたくてキスもしたくて、それ以上も」

「ラズリル!」

 両腕を掴んでラズリルの世界を、こちら側へ戻す。


 必死だった目は、時間が経つにつれて、いつもの色に戻り、しかし悲しそうな顔になった。

「ごめん」

 レゼンは何も言わなかった。こんなにも劣情と呼べるような心を持っていたなんてあの年下のラズリルが、だ。


 何とも言えない空気があたりを包む。お互いに気まずくて、どうすればいいかと、思っていたら、はたとロンダルギアに呼ばれていたことを思い出して、ラズリルから逃げてしまった。


「先に行っててくれ、俺は父上のところに行ってくる」

「レゼン」

「そんなたいした話じゃないだろ。すぐ戻ってくる」

「……そう、じゃあ、僕、先に行ってるね」

「おう」


 小さなラズリルの背を見る。あんなに小さかっただろうか。

 ふうとレゼンは息を整えると、いざロンダルギアの執務室に向かおうと足を動かした。そしてラズリルと別れるように、くるりと背を向けてロンダルギアの執務室に向かったのだった。

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