日常

高山 遥 04

 久しぶりに来たライブハウスは、以前来ていた頃と何も変わっていなかった。

 薄暗い会場内に流れているBGM、準備中の出演者や客の話し声……。

 収容人数はスタンディングで百名あまりの決して広くはない空間に、人々がひしめき合っている。


 もともと私は、この場所が苦手だった。会場内に立っているだけで心がざわざわして、まったく落ち着かない。自分が出演していた頃も楽屋に引きこもるか、ロビーでただぼんやりとしていたことを思い出す。


 ライブハウスに到着すると、綾子は武志と話すために楽屋へ向かった。一緒に来る? と聞かれたが、義人と会うまでの時間を少しでも引き延ばしたかった私は首を横に振った。


「どう、新鮮?」

 初めての環境で戸惑っているのか、会場の隅に立ってぼうっとしたままのゼロニーに、私はカシスオレンジを手に持って声をかけた。


 思えば、私が買い物以外でゼロニーと出かけたのは初めてのことだ。外出が禁止されているわけでもないし、もっといろんな場所に行ったほうがゼロニーも楽しめるのだろうか。


「……なんか、すごいね。ぎらぎらしてる」

 ステージを見つめながら、ゼロニーはそうつぶやいた。それは出演者か、それともこの場所に向けて言ったのかを尋ねる前に、会場内の照明が完全に落ちた。SEが流れ始め、客席からステージに向けて掛け声や口笛がわずかに飛んだ。


 ――が、私が辺りを見回すと、先ほどまでいたはずの客はほとんど姿を消していた。残っていたのは義人の友達とおぼしき何人かの出演者たちと――私と、ゼロニーだけだった。


 このライブは義人と武志のバンドの結成企画のはずなに、主催のバンドよりも対バン相手のほうが客を呼んでいる。かつて出演する側だったこともあって、私はそんな野暮なことまで考えてしまっていた。


 ――やがて、義人と武志と残り二人のバンドメンバーがステージ上に姿を現した。

 私が最後に会った時と、義人はまったく同じ格好だった。黒いTシャツに、同じく黒いズボン。全身真っ黒だから、短めの金髪がそこだけ明るく光ったように目立っている。お金がなくて服に頓着もないから、義人は毎日似通った全身黒色の服装だった。


 あれほど会うことを嫌がっていた義人の姿を、私はまだ目で追ってしまっていた。

 義人はステージ上を歩き、左端のベースの定位置についた。

 ふと、義人が顔を上げて客席のほうを見たので、私は慌てて顔を背けた。――目が合ってもどんな顔をすれば良いのかわからなかったから。


 義人が客席に向かって軽く手を上げ、曲が始まった。私たちのバンドが解散してから、義人はボーカルも担当しているようだった。


 かろうじて形にはなっているが、耳をそばだてようとは思えないぐらいの素人っぽさが残っている演奏。盛り上がっているように見える客はおそらく全員身内で、チケットのノルマも達成できているか怪しいぐらいに客も集められない。それなのに――その現実を目の当たりにしても、義人はまだ音楽をやりたいのだろうか。


 義人はいわゆるワンマン気質で、作曲、作詞を共に担当していることを盾に取って、私たちに無茶な指示をすることも少なくはなかった。そのこだわりの強さが原因で、私の前にいたボーカルや、ドラムのメンバーが嫌気がさして辞めると言い出した時も――勝手にすれば、と冷たく言い放っていたのを覚えている。


 無意識のうちに、私はベースを弾く義人の手を目で追っていた。白くて細長い指が滑らかに弦を弾くのを見つめながら、歌声と手の綺麗さだけは変わっていないんだなと思った。


 二ヶ月間、私は義人と関係を持っていた。私たちが大学を卒業して半年ぐらい経ってから――つまり、半年前のことだ。どちらが告白したとかいうよりは、あくまで成り行きでそうなった関係だったから、今となっては付き合っていたと言えるのかすらもよくわからない。


 義人は気まぐれで私の家に来ては性行為をして、とりとめのない話をしてからふらりとどこかへ出かけて行った。何もかもが曖昧だったのに、私も義人もあらためて話し合おうとはしなかった。


「俺、テレアポのバイト始めたんだ。今度は続くと思うからさ、応援してよ」

 義人は時おりそう言って、新しいバイト先に出かけて行っては――体調不良で遅刻したり、職場で揉めたりして辞めた。


 結局、最後まで仕事が長続きしないまま、義人は転職を繰り返していた。その頃には綾子も引っ越しや結婚式の準備で忙しそうで、義人についての相談はほとんどできなかった。


 最初は義人の夢を応援したい、ベースを弾いている姿が格好良いと思っていた私も、メッキが剥がれていくかのように義人に魅力を感じなくなっていった。恋人がいなかった私にとって、義人との関係は惰性で続いているとしか言いようがなかった。

 そして、義人は――来た時と同じように、またふらっと姿を消した。


 私はどうして、ここに来てしまったのだろう。


 曲が盛り上がるにつれて義人は激しく頭を振り始め、とうとう観客席にダイブした。何人かに支えられてフロアに落ちた義人は、照れたように笑いながらステージ上に戻って行った。それは、小さなライブハウスでは決して珍しくない光景だった。


 やがて演奏が終わり、照明が明るくなった。新しく結成されたバンドのはずなのに新曲は一つしかなく、それ以外はどれも大学時代に私が歌っていたものだった。


 会場内には準備中に鳴っていたBGMがふたたび流れ始め、私は隣にいたゼロニーを見た。

「どうだった? 初めて見るライブは」

 努めて明るく振る舞いながらそう尋ねると、ゼロニーは無表情で、

「……よく、わからなかった」

 と、首をかしげながら答えた。

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