高山 遥 03

「ウマの目は横に付いてて、ライオンの目は前に付いてるんだって」


 綾子と待ち合わせた新宿駅に向かう電車の中で、隣に座っていたゼロニーが突然、そんなことを言った。

 あまりにも唐突だったので、私はしばらく反応ができなかった。少し時間が経ってからようやく、昨日見た教育番組の話をしているのだと気が付いた。


「それ、小さい頃に学校で習った気がする。理科の授業だったかな」

 私が答えると、ゼロニーは首をかしげた。 

「人間は目が前に付いてるから、草食動物を追いかける側ってこと?」

「そうなんだろうね。人間は肉食動物だから……」


 そう言いながら、なぜか私の頭に義人の姿が浮かんだ。

「でも、私は追われる側かもしれないな」

 ぼそっとつぶやくと、ゼロニーはまだ首をかしげたまま私の顔を見た。


「じゃあ、遥はウマってこと?」

 あまりにも真剣な顔でそう尋ねてくるので、私は思わず吹き出した。

「……うん、そういうことなのかも」

 ゼロニーはまだよくわかっていなさそうだったけれど、私が笑っているのを見て曖昧に微笑んだ。



 駅前に着くと、既に到着していた綾子はゼロニーを見て豪快に笑った。

「なんだ、これ。その辺にいそうな男の子じゃん。私、もっとSFっぽいのを想像してたよ」

「うん、だと思った」

 綾子につられて笑う私の隣で、ゼロニーはきょとんとしていた。


 綾子はゼロニーを見つめながら、

「っていうかごめん、もともと言ったのは私だけど、この子って外に連れ出して良いものなの?」

「禁止事項には書いてなかったし、大丈夫だと思うよ。他の人がどうしてるかは知らないけど」


 そもそも私は、他の『IF』を連れ歩いている人を今までに見たことがなかった。

 試験運用されている『IF』は、合計で百体のはずだから――四十七都道府県に均等に振り分けても、一つの県で多くて三体。たとえ均等でなかったとしても、『IF』と暮らしている人と出会う確率が低いことは確かだろう。


「ゼロニー、この人は、私の友達の綾子。えっと、綾子は……義人の前ではこの子のこと、二郎って呼んでくれない? 東京に来た私のいとこだって紹介するつもりだから」


 綾子は何か言いたげな顔をしていたが、わかった、と小さな声で返事をしてくれた。


 ライブハウスに向かって、私たちは歩き出した。私と綾子は横に並び、ゼロニーは私の後ろからついてくる。

 初めて見る都会の街並みに好奇心をそそられるのか、ゼロニーは物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回していた。


「最近、義人くんと連絡取ってるの?」

「……ううん、取ってない。連絡とか、気分でする人なんだと思う」

 うつむいたまま私が答えると、綾子は困ったような顔をした。


「ねえ、遥。私、今回のライブって良かれと思って誘ったんだけどさ。武志にも、遥を誘ってみたらって言われたし……」

「わかってるよ。綾子はいっつも、私の話を聞いてくれてたんだから」

 私は綾子に向かって笑いかけたが、綾子はまだ複雑そうな表情をしたままだった。


 今から約四年前、大学二年生の頃に、私は綾子に誘われて義人がいるバンドに加入した。綾子はギター、義人はベースで、私はギターボーカルだった。私は自分の歌は下手だと思っていたし、歌だったら義人のほうが上手いと思っていたからボーカルなんてやりたくなかったけど、華があったほうが良いと言われて渋々歌っていた。


 綾子と武志は同じライブハウスでの共演をきっかけに付き合い始め、そのまま結婚して子供ができた。大学生の頃には綾子とお互いの恋愛相談をよくしていたけれど、近頃の綾子は子育てで忙しそうで、私からは声をかけづらい。


 私は大学を卒業してから、あっさり音楽をやめて就職した。そもそも気まぐれで始めたサークル活動だったし、メジャーデビューを目指す気なんてさらさらなかった。私と違って高校の頃からギターを弾いていた義人は音楽をやめず、武志とバンドを組んでライブを続けている。狭い界隈かいわいだから、バンドが解散してから友達同士で違うバンドを組み直す、なんてことはざらにある。


「――ねえ、遥。笑わないで聞いてくれる?」


 もういつのことだったか忘れてしまったが、義人がいつになく真剣な顔をして何かを言おうとしている姿が私の脳裏によみがえった。あれはたしか、カルビが三百円台で食べられる激安焼肉屋での出来事だった。


「俺、メジャーデビューを本気で目指そうと思ってるんだ」


 七輪が出す煙の中でまっすぐに私を見据え、真剣な眼差しで義人はそう言った。それから義人は誰もが知っている有名音楽番組の名前を上げ、いつかはそれに出演したいと思ってる、と言った。


 思えばあの時から義人はギターの練習もろくにせず、ライブがない日は飲み歩いてばかりだったのに――自分に将来の夢を打ち明けてくれるなんて、と舞い上がっていた私を、今は心の底から馬鹿だと思う。


「遥、着いたよ」

 綾子の声で私は我に返り、顔を上げた。


 『麻雀』と書かれた電飾看板が入り口に立っている、縦に細長い古びた雑居ビル。左右には個人営業の中華料理屋と、同じく麻雀の店が入ったビルが建っている。


 この辺りは夜になると暗くて人気も少なく、立ちんぼをしているような女性もちらほら見かける。バンドのことを知らなければ決して来ないであろう、怪しげなビルの六階に――今日の目的地であるライブハウスがあった。

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