高山 遥 02
ゼロニーとの生活は、思っていたよりもずっと楽しかった。
『IF』に対して汚い言葉や下ネタなどを何度も言わせる、意図的に暴力行為をさせようとするなど一部の危険な行為はさすがに禁止されているようだったが、それを除けばゼロニーはいたって普通の純真無垢な青年だった。
ある程度は放っておいても、ゼロニーはテレビやインターネットで知識をどんどん吸収していった。私が普段見ないような番組やWebサイトにも興味を持つので、ゲーム実況者の配信や決まったジャンルの映画しか観ていなかった私にとっては新鮮だった。子育てのような苦労をすることもなく、まるで新しい友達ができたかのようだった。
「ねえねえ、ゼロニー」
私はゼロニーに右腕の二センチほど離れている二ヶ所のほくろを見せ、左手の指でその間の皮膚をつねった。
「象さん」
「……ほんとだ。アンドロイドにはほくろがないから、全然気付かなかった」
ゼロニーが目を見開いてすごく感心したようにそう言ったので、私は笑い転げた。私が笑っている意味はわからなかっただろうけど、ゼロニーも不思議そうな顔をしながら私に合わせて笑ってくれた。
「私たちって、なんか夫婦みたいじゃない?」
私はできるだけさりげない風を装って、ゼロニーに尋ねた。
「夫婦ではないよ。だって俺たち、子供は作れないでしょ」
すげなくそう答えられたので、私は少し落ち込んだ。
ゼロニーの言う通り――なのだ。
箱の中では全裸だった彼を見てわかってはいたことだが、あくまで人の精神状態を安定させるためだけに作られた『IF』たちには、生殖機能が存在しない。もしかしたら、少子化に対する配慮もあるのかもしれない。
だけど、私にとってゼロニーは、今まで接してきた他の誰よりも気兼ねなく話せるような安心感があった。ひょっとしたらそれは、ゼロニーがアンドロイドだとわかっているからかもしれないけど。
あらためて現実を突き付けられたような気がして、しょんぼりしながら夕食を食べていると、ポケットに入れていたスマートフォンが振動した。画面を見ると、綾子からの着信だった。
『遥、明日ライブの日だって覚えてる?』
綾子にそう言われて、私は慌てて日付を確認した。何日か前、確かに綾子からLINEのメッセージで誘われた気がする。だけどその時はゼロニーもいなかったし、ここ数日は『IF』関連で色々調べたりしていてすっかり忘れていたのだ。
――いや、本当は、忘れてたなんて嘘だ。本当はちゃんと覚えていた。私は綾子と義人にゼロニーを会わせたくなくて――というか、ライブなんかに行くよりゼロニーと家にいたくて――このまま忘れたふりをしていれば綾子が声をかけてこないのではないかと、淡い期待を抱いてしまっていた。
『こないだ言ってた「IF」、ちゃんと動いてるんでしょ? 良かったら連れてきなよ。義人くんも喜ぶよ、きっと』
ソファに座っていたゼロニーのことが気になり、スマートフォンを耳に当てたまま私は廊下に出た。
「……『IF』の話って、義人にはまだしてないよね?」
『してないけど? 私、義人くんとメッセージのやり取りとかしないから』
「だったら、今は秘密にしてほしいの」
『え、なんで?』
「ううん、なんとなくかな。あとで私から話すから」
『そう? でも義人くん、新しい物とか好きそうだけど……』
綾子がさりげなく『IF』のことを物扱いしたことに気付いて、私の胸はずきりと痛んだ。だけど、綾子に悪気はない。『IF』と関わりがない人にとっては、彼らは人間のお助けロボットでしかないのだ。
「ライブに行かない……っていうのは、無しだよね?」
『いや? 行きたくないなら、私が適当に理由を作って伝えとくけど……』
私は
――私がライブに来ていないと知ったら、義人は私に失望するだろうか。
そんなことを考えると、自分の胸がちくりと痛んだ。
「――ごめん、やっぱり行く。駅で待ち合わせしよ」
電話を切ったあとも、私はしばらくスマートフォンの画面を見つめていた。
自分以外の人――例えば綾子とゼロニーを会わせることにですら抵抗があるのに、相手が義人となると、それはなおさらだった。私が『IF』と暮らしていると知ったら義人がどういう反応をするか、私には少し想像がついていた。だからこそ、ゼロニーのことは知られるべきではないと思った。
だけど、綾子とゼロニーを会わせたくなかったのは――義人のそれとはやや違う理由だった。
私はゼロニーと一緒にいる自分の姿を、綾子に見られるのが恥ずかしかったのだ。
外ではまともぶっている自分も、ゼロニーと二人きりになると普段よりずっと解放的に振る舞える。家の中で変な踊りをしたり、友達には絶対に言わないような冗談を言ってみたり……綾子と話している私とゼロニーと一緒にいる私は、おそらくほぼ別人だろう。
だからこそ、私の大人しい姿をゼロニーに見られるのは嫌だったし、ましてや綾子にゼロニーと一緒にいる自分の姿を見せられるわけがなかった。まあ、たとえゼロニーが普段の私と違うことを多少疑問に思ったとしても、しつこく聞いてきたりはしないだろうし――よそ行きの自分でいれば良いかと、私は思うことにした。
リビングに戻ると、ソファでウマを追いかけるライオンが映っている教育番組を見ていたゼロニーが、ドアの音に気付いて振り返った。
ゼロニーは、私のことをじっと見つめている。いつもそうだ。私から何かを話さなければ、ゼロニーのほうから私について尋ねてくることはない。
「ねえ、ゼロニー。音楽のライブって興味ある?」
ゼロニーの隣に腰掛けて、私は尋ねた。
「ライブって、誰かの演奏を聴くこと?」
私はうなずいた。ゼロニーは首をかしげて、
「……さあ、わかんない」
と答えた。
これも『IF』の仕様なのか、ゼロニーだけがそうなのかはわからないが、ゼロニーは私に向かって自分の主張をまったくしない。それをわかっていて、それでも今度こそは何かが返ってくるんじゃないかと私は期待して、いつもこうやって尋ねてしまう。
「じゃあ、私と一緒に行ってみよっか」
私がそう言うと、ゼロニーは黙ってうなずいた。
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