非通知着信

瀬崎由美

非通知着信

「ちょ、もうちょっと離れろって、歩き辛い」

「無理。やばいって、本当に……」

「いや、だからって服引っ張んなって。野郎にベタベタされても、嬉しくないっ」


 夜二十三時前。真っ黒な山道を、阿久津健吾と山城雄介は身体を寄せ合いながら進んでいた。遠くからは国道を走る車の音が聞こえているが、街の光までは届いてこない。


 ここは地元でも有名な心霊スポット。R市のK山とネットで検索すれば、県内有数の出るポイントとしてヒットするはずだ。

 国道から市街地に入り、少し離れた山の中。傾斜のキツイ坂道を抜けた展望台のある道の駅は夜景スポットとしてもそこそこ人気があり、ついさっき駐車場に停めた時も道の駅の営業時間外にも関わらず、他にも数台の車があった。さすがにこの時間では売店も喫茶店も営業時間外。非常灯が薄ぼんやりと灯っているだけだ。


 周りがカップルだらけの中、最初は若干のむなしさを感じながらも健吾と雄介は二人で夜景を眺めていた。でも、男同士で景色を見ながらロマンティックに語り合うことなんて何もない。健吾が心の中で「なんだこれ、何かの罰ゲームか?」と思い始めた時、雄介が思い出したように言ったのだ。


「ここの奥、マジで出るらしいぜ? な、行ってみない?」


 その展望台の裏にひっそりと続く道なき道。ほとんど獣道になっている斜面を健吾を先頭にして登っていく。この先に何があるのかまでは分からない。心霊スポットというからには、古い墓地か何かが待っているのだろうか。こういう場所に下調べもせずに来るなんて、と健吾は少しばかり後悔し始めていた。


「大体、お前が言い出したくせに、なんで俺が前なんだよっ」

「いいって、いいって、細かいことは気にすんなよ」


 健吾のシャツの後ろを掴み続けている手を乱雑に振り払う。自分が行きたいと言ったくせに、まるで付き合いたての彼女みたいに雄介がずっと引っ張ってくるのが気に入らない。


 進めば進むほど街の光が遠のいていく。そこまで高い山ではないはずだが、歩きにくさと恐怖心からか全く進んでいる気がしない。スマホのライトだけを頼りに、足場を確かめながら登り続ける。枯れ葉が積み上がった不安定な地面は歩きにくく、時折耳に入るパキッという小枝を踏み折った音にすら、いちいち心臓がビクついてしまう。


 予定外の登山に、運動不足の二人は息が上がり始める。互いの荒い息遣いと足音以外には、木々を揺らす風の音しか聞こえてはこない。


 と、ライト代わりに足下をかざしていた健吾のスマホが震え始める。木々の騒めきの中、着信音に設定していたJ-POPが流れる。慌てて確かめるよう、スマホの画面を表返す。


 ――非通知着信中


 番号通知未設定の電話からの着信。あえて番号を表示させない電話なんて、ロクなことじゃない。迷惑電話か悪戯だろうと無視していると、留守番電話に自動で切り替わったらしくスマホはすぐ静かになった。急な着信に驚いたせいで、心臓がバクバクと早打ちしていた。


 道はまだ先まで続いているようだった。来た道を振り返ってみると、さっきまで見えていたはずの道の駅の外灯も見えなくなっていて、徐々に心細くなってくる。何かが出る出ないにかかわらず、こんな夜中に山に登っているだけで十分肝が試されている。


「これ、どこまで行けばいいのか知ってる?」


 さすがに不安になってきて、後ろを歩く雄介に声を掛ける。心霊スポットのネタを出してきたくらいだ、この先に何があるのかは知っていて当然だと。さっさと目的地に辿り着いて、さっさと帰りたい。


「いや……先輩がヤバイって言ってたけど、詳しくは知らん」

「なんだよ、知らねーのかよ……」

「ってか、何も無さそうなんだけど」


 どこまで進むのが正解なのか、二人で首を傾げる。スマホで周囲を照らして確認してみても、木や草以外には何もない。道も微妙にぐねぐねと曲がりくねっているから、歩き続けていれば山頂に辿り着くかどうかすらも怪しい。一体、この道はどこへ続いているのだろうか。


 と、再び健吾のスマホが着信を知らせて震え始める。


「び、びっくりさせんなっ、音デカ過ぎなんだよ!」


 雄介のクレームは無視して、健吾はスマホの液晶を確認する。


 ――非通知着信中


「え、また……?」

「何、何?」

「また非通知なんだけど」

「え、さっき掛かってたのも?」


 「ああ」と健吾が頷き返すと、雄介も黙り込む。すぐに静かになったスマホに安心する二人だったが、留守電に切り替わって切れた後、再び鳴り出す着信音。


 ――非通知着信中


 ――非通知着信中


 ――非通知着信中


 ――非通知着信中


 ――非通知着信中


 ――非通知着信中


「ちょっ、おい……」


 切れてもすぐ鳴り始めるスマホ。無機質な電子音が発信者の分からない着信を知らせ続ける。健吾のスマホの着信履歴が、非通知着信の表示で埋められていく。異常な執着を感じるて、背筋に何か冷たいものが走っていく感覚。


 ――これは、絶対に出てはいけないやつだ。


「これ、やばいって、この先に来るなってことだろ……」

「あ、ああ。やばいな……」


 恐怖で語彙力が欠如したのか、やばい以外に言葉が出てこない。ただ分かるのは、これ以上奥へと進むのはやばい。何者かが、自分達へ向けて警告しているとしか考えられない。これ以上は進むな、と。

 この先には何があるのか、確かめる勇気はなかった。


 どちらともなく、来た道を駆け戻り始める。怖さで振り返る余裕なんて一切ない。否、今振り返るのはきっとやばい。後ろには見てはいけないものがある、そんな気がする。万が一、それを見てしまったら、自分達は――


 ただ、早く灯りのある場所に辿り着きたい一心で走り続ける。坂道をもつれそうになる足を必死で動かしながら、道の駅の建物を目指して駆け下りていく。


「……ハァ」

「か、帰ってこれたぁ……」


 駐車場のアスファルトの上、膝から崩れ落ちる。外灯の光が見えた時の嬉しさと言ったらなかった。薄暗い外灯でさえ、救いの光のように感じる。夜景を鑑賞し終えて車に乗り込もうとしているカップルが、怪訝な顔でこちらを見ているのなんて気にする余裕はない。


「着信は?」

「ない。戻り始めたら止まった」

「そっか……やばかったな」

「うん、やばかった。ってか、勘弁しろよ、何でオレなんだよ……」


 そんなことは言わなくても分かっている。健吾の方が前を歩いていたからに決まっている。

 どちらともなく、急いで車へと乗り込み、舗装された道路を街へ向かって走らせる。しばらく無言だった二人だが、国道まで下ってくると、いつもの調子に戻り始めた。運転席の健吾が、助手席に座っている雄介へと揶揄うように言う。


「しっかし、お前、ずっと人のシャツの裾を掴んでたよな。登り始めからずっとビビッてやんのー」


 思い出し笑いする健吾に、雄介は「はぁ⁉」とキレて返してくる。


「オレ、そんなことしてねーし。枝にでも引っ掛けてたんだろっ」

「は? もし枝だったら引っ張られてまともに歩けねーだろが。オレ、最初からずっと後ろから――」

「うわーっ、やめてくれよ……マジかよ……」


 赤信号で停止したと同時に、健吾も車の天井を仰ぎ見ながら「うわーっ」と叫ぶ。じゃあ、シャツの裾をずっと後ろから引っ張ってたのは、誰なんだ?


 駅前にある学生向けのマンションまで何とか辿り着くと、斜め向かいのビルにテナントで入っているコンビニへと連れ立っていく。こんな日に一人で過ごしたくないと、何となく健吾の家で部屋飲みすることになった。雄介が泊まっていくことは別に珍しいことじゃない。互いに彼女居ない歴=年齢だし、バイトの無い日はなんとなく一緒にいる仲ではある。所謂、腐れ縁というやつか。


 とりあえず飲んで落ち着こうと、一缶目のチューハイをコンビニの唐揚げとポテトを肴に開けていると、健吾のスマホにメッセージが入った。着信ではなかったが、雄介がビクっと身体を震わせて反応する。スマホの音がすっかりトラウマになっている。


「な、今度は何⁉」

「ああ、母親から。なんか荷物送ったって。さっき電話したけど、って……」

「は⁉ じゃ、さっきの非通知って、親からかよ……ちゃんと、番号通知してくれよ……」


 掛けてくるタイミングが良過ぎんだろ、と二人はフローリングに寝転びながら大笑いする。ただの母親からの電話に、あんなにビビッてしまったことが、バカバカしくて仕方ない。ホッとした反動か、笑いが止まらない。馬鹿笑いしているうちに、ようやく恐怖心が消え去ってきた。


「ってか、設定直させないと、また非通知で掛かってくるぞ」

「ああ、そうだな。ちょっと電話して言うわ、人騒がせ過ぎるし」


 ゲラゲラと腹を抱えて笑い続ける雄介の横で、健吾は母親の携帯へと電話を掛ける。親の執拗な着信のせいで、必要以上にビビらされたのだから、文句を言わないと気が済まない。


「もしもし、すぐに出ないからって何回も電話するのやめろよ。あと、発信者番号の設定、通知しないになってない? 非通知から掛かってきても出る訳ないし――」


 少し落ち着いたのか、雄介は馬鹿笑いをやめて、二缶目のチューハイに手を伸ばしている。あたりめを口に咥えながら、床に置きっぱなしになっていた雑誌のページを捲って、もう完全に通常モードに戻ったらしい。


 けれど、健吾はスピーカーから聞こえている母親の反論に、徐々に顔色を青褪めさせていく。


「……え、マジで?」


 そう言って振り返り、部屋に設置している固定電話を見る。別に無くても困らないと言ったにもかかわらず、一人暮らしを始める時に両親から無理矢理契約させられた固定電話。それは確かに、不在着信ありを告げる青ランプが点滅していた。

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