十八
利兵衛は、俄かには信じられず、「そのようなこと、信じることができようか」と頭を左右に振った。
「誠にござる」
真っ直ぐに利兵衛を見据え答える申之丈の眼差しを見て、それが偽りでないことを利兵衛は思い知った。
利兵衛は伊助から光三郎の剣の強さをこれまで幾度となく聞かされてきた。町のならず者どもを手玉に取り打ち負かしてきたと。
「この界隈では木ノ浦様に太刀打ちできる者はいないでしょう」とさえ伊助は言った。
その言葉を裏付けるように、利兵衛が光三郎を従え出歩いていると、いかにも粗野で粗暴らしき輩が、光三郎を認めるなり道をあけたり物陰に身を隠したりするのである。その様を見るにつけ、実際には光三郎が剣を振るう姿を見てはいない利兵衛だが、その強さを想像する事が出来たのである。
その光三郎が斬られた。
「なぜじゃ」自問するように呟いた利兵衛に、
「それは利兵衛殿がよくご存知かと」申之丈が答えた。
利兵衛は三人を見渡し、おのぶに目を止めた。
「花野屋のおのぶと申したな」
「はい」
「其方、浪人者達からいやがらせをされていると聞いたが」
「内藤様からお聞きになったのでしょうか?」
「そうじゃ、その浪人者たちを懲らしめるため腕の立つ者を世話してくれとな」
「その内藤が、おのぶ殿につきまとっておったのです」
清衛門が口を挿んだ。
「なに?」
利兵衛は清衛門へ目を移し尋ねた。
「我らは、内藤からおのぶ殿を守っておったのです」
「それでは、話しが逆さまではないか」
「内藤からみれば、我らは邪魔者。だから、うまいこと話しを作りあげ、利兵衛殿に助けを求めたのであろう」
「内藤様が嘘をつき、このわしを謀ったというのか」
「ただ・・木ノ浦殿は知っていたのではあるまいか」
申之丈が静かに言った。
利兵衛は申之丈へと顔を向けた。
「あの時、木ノ浦殿は某たちが話す前に刀を抜いた。聞くまいとして」
「どう言う事だ?」
「聞いたならば、利兵衛殿の恩に報いる事が出来ぬと」
「わしへの恩?」
「善福寺の和尚が申しておりました」
「善福寺?」
利兵衛の知らぬ事が次から次へと申之丈たちから聞かされ、利兵衛は訊き返すことしかできない。
申之丈は利兵衛に分かるよう善福寺の境内で光三郎と立ち合ったことから光三郎が息を引き取った後に善福寺の和尚が現れるまでを順を追って話した。
「その時に和尚が言っていたのです。木ノ浦殿が利兵衛殿の恩に報いるために、そして、そうすることで利兵衛殿が利を得るのであるならば闘わねばならぬと言っていたと。だから、内藤が言っている事が偽りであったとしても某たちと闘う覚悟であの場に居たのだと思うのです」
「偽りと知りながら、わしの為に闘い、死んだと?」
「おそらくは」
「いい加減な事を申すでない。それではわしが木ノ浦様を殺したも同じことではないか。そもそも、内藤様の言っている事が偽りと知っていたなら闘う道理などないではないか」
「木ノ浦殿は侍でござる。道理に合わずとも主君が闘えと言えば闘わねばならぬのです。今の木ノ浦殿にとって、利兵衛殿は主君も同じことなのでござる」
利兵衛は光三郎のことを顧みた。光三郎は日野屋に来てからというもの、忠実に、そして、確実に仕事をこなしてきた。誠のところは光三郎にこのまま日野屋で働いて居て欲しかった。
しかし、そう思えば思うほど己の欲深さを知る事になっていった。
利兵衛が望むままに光三郎を日野屋に繋ぎ止めて老いさらばえさせてよいものなのか。
光三郎ほどの器量があればどこの藩に召し抱えられてもよい働きをするだろうと思っていたところに、内藤からの依頼が舞い込んだのである。
備後福山藩は譜代の大名で藩主の阿部様は老中首座。日野屋は福山藩に対しては、以前より大名貸をしており繋がりもある。その藩に召し抱えられるのであれば申し分は無い。利兵衛は光三郎の為に、この話をなんとしてもまとめ、福山藩に光三郎を仕官させたかった。そのことを考えるあまり内藤の言っている事に偽りがあるなどとは微塵も思いはしなかったのである。
「わしが安易であったのか・・。内藤様に召抱えてもよいと言われ、木ノ浦様が喜ぶだろうと・・」
利兵衛の心に内藤への怨念の情がにわかに湧きあがってきた。
「利兵衛殿」申之丈の声に、利兵衛は眉間に皺を寄せた目を向けた。
「某、日野屋の方々が、思い慕っていた木ノ浦殿を斬り殺した敵にござる。どうなさる?」
「どうなさる・・ですと?わしらは商人です。武士のような敵討はいたしませぬ」
「役人を呼ぶとか」
「そんなことをしてなんになりましょう。暮林様は先程、木ノ浦様が先に刀を抜いたと申されていましたな」
「左様」
「であれば、呼んだとて詮無い事」
「利兵衛殿」清衛門が口を開いた。
「わたし達はたとえお縄になろうとも、木ノ浦殿が命を賭けてまで恩に報いようとした日野屋の方々にこの事を知らせねばならぬと思い参ったのです。そして、事の真相も知らねばならぬと」
「あなた方がどんな思いで参られたのかはよく分かった。じゃが、今話した事がすべてだ。なぜ、そうまでして知りたいのじゃ?」
「ここにいるおのぶ殿は自分の所為で木ノ浦様が死んだと己を責めております。皆が、木ノ浦様の死に関わっているのです。ですから知りたいのです」
「私は・・おみっちゃんに何て言ったらいいのか」
「おみっちゃん?おみちのことか?」
雨戸の所に座りこんで俯いていた伊助が顔を上げて訊いた。
おのぶが伊助に振り向いた。
「ええ、彦蔵さんの娘の」
「そうか、そうであった、おみちが奉公していたところは花野屋だった。そうか・・」
伊助は雨戸に手を掛けながら立ち上がった。
「木ノ浦様はたいそうおみちをかわいがっていた」
「はい。優しい目でおみっちゃんの働く様子を見てました」
「花野屋に行ったのですか?木ノ浦様が」
「わたしに、おみち坊をよろしく頼む・・と」そこまで口に出したところでおのぶは光三郎が亡くなる直前で同じく「おみち坊を頼む」と言っていた事を思い出し喉元が詰まり言葉が出てこなくなり、代わって涙が溢れ出た。
「それ程におみちの事が心配で・・それで・・か」
伊助は納得したように静かに二度三度と頷き、
「旦那様、実は、木ノ浦様から・・」と利兵衛に目を向け話し始めた。
光三郎はこれまでに日野屋から受け取った報酬のほとんどを伊助に預けていた。預け始めたのは五年ほど前、伊助が光三郎を伴って彦蔵の所に取り立てに行った時に、おみちと会ってからであった。
そうやって貯めたお金を彦蔵の借金の返済に充ててくれと、
「頼まれたのでございます」
「そうであったか」
「ただ、何にお使いになられるのか申しませんでしたが、貯めていたお金から五両はすぐに使うということで木ノ浦様にお渡ししたのでございますが・・」
それを聞いた申之丈が口を開いた。
「その五両・・」
「なにか心当たりがおありか?」利兵衛は尋ねた。
「はい、和尚が申すには、木ノ浦殿は五両を和尚に差し出し、それで自分が亡くなった時には葬ってくれと頼まれたそうです」
「なんと」
「なんですって?」
利兵衛と伊助が同時に訊き返した。
「あのお金がそんなことに」
伊助はうなだれた。
「それほどに死を覚悟しておったのか、あの木ノ浦様が・・」
利兵衛はあまりにも自分が安易で、そして、愚かであったとあらためて己を責めた。
商売柄、人を疑うのが常であるものを、内藤の言う事を疑いもしなかった。光三郎の事を想うあまり、仕官という旨い話しに乗せられた。旨い話には裏がある。そんな当たり前のことに気がつかなんだ己が情けなかった。疑い、自分で調べを尽くせば、内藤の嘘も、闘う相手がどれほど腕の立つ者かも分かったものを。そうすればむざむざ光三郎が斬り殺される事も無かったのだと悔いた。
「木ノ浦様が亡くなったと知ったら、おみっちゃん、どんなに悲しむことか・・」
おのぶの言葉に、
「・・こどもには話さずともよいのではないか」
利兵衛が答えた。
「え?でも・・」
「幼き子に悲しい思いをさせずともよいではないか。木ノ浦様は遠い西国の藩に召抱えられ旅立ったと申しておけばよい」
そう、そうすればおみっちゃんは悲しむだろうけど、僅かではあるが望みのある悲しみ。亡くなった時の絶望的な悲しみに比べれば励ましようもあるとおのぶは思った。しかし、苦しい。私の所為で亡くなってしまったのに、その事を言わずにいるのが苦しい。私、耐える事が出来るの?
「おのぶ殿、それがよい」
清衛門がおのぶの肩にやさしく手を添えた。
「う、う・・」
おのぶは苦しさの余り声を絞り出すように泣いた。
「わたしらみんなでおみちの為にそう言うのじゃ。誠のことを隠しておくことは辛いだろうが、今、おみちに告げずとも、な、おのぶ殿」
「伊助、彦蔵にもそういうことにするように申し合わせるのじゃ」
「へえ?」利兵衛の言った事が飲み込めぬ伊助に、
「木ノ浦様の貯えを彦蔵の借金の返済にと頼まれたのであろう?その時にじゃ」
「ああ、へい、分かりました」
利兵衛は申之丈に目を移し、
「わしは、これから善福寺へ行かねばならん。もう、話す事がなければ、お引き取りいただいてもよろしいか?」
「それで、利兵衛殿はよろしいのか」
申之丈が訊いた。
「よろしいもなにも、わしはあなた方をどうにもできませぬ」
「暮林様」清衛門が申之丈に声をかけた。申之丈が清衛門に目を移すと、清衛門は静かに小さく頷いた。
申之丈は利兵衛に向き直り頭を下げた。清衛門とおのぶも利兵衛に一礼をして、おのぶが開けた雨戸から外へ出ようとした時、
「ひとつ、教えてくだされ」と利兵衛が引きとめた。
「なんでございましょう」
申之丈が振り向いた。
「木ノ浦様はなぜ、死を覚悟したのであろう?」
「分かりませぬ。が・・、剣客特有の感覚ではあるまいか」
申之丈も昨夜、光三郎の歩く様を見て、この者と立ち合ったなら負けるかもしれぬと思った。剣術使いには分かる感覚である。
「左様か。わしら商人には到底理解できぬものでございますな」
申之丈は、「御免」と頭を下げ店を出た。
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