十六

 申之丈は光三郎に合掌し、清衛門もまた合掌した。おのぶは清衛門の背に隠れ俯き啜り泣いていた。

 「木ノ浦殿をこのままにはしておけぬ」合掌の手を解いた申之丈が口を開いた。

 「内藤から頼まれたという事は福山藩のお方であろうか?」

 清衛門が言うと、

 「木ノ浦様は日野屋で用心棒をされていると聞きました」おのぶが背後から答えた。

 「日野屋?」申之丈がさらにおのぶに尋ねた。

 「両替商です」

 「用心棒ということは、私と同じ浪人ということか。身寄りはいるのであろうか?」

 「さあ、そこまでは・・」

 その時、申之丈の背後から、「もし」と声がした。

 申之丈は刀の鞘に手を掛け振り向いた。

 暗闇の中から現れた人影が石灯篭の灯りに照らされた。その者は僧侶であった。

 「拙僧はこの寺の住職で真正弘師と申します」

 申之丈ら三人は一瞬時が止まったように動くことが出来なかったが、はっと我に返った申之丈が鞘から手を離し、

 「寺の境内を汚して申し訳ござらぬ」と頭を下げた。まずは詫びねばという思いから出た言葉であった。

 「和尚、これにはいろいろ訳があって・・」

 清衛門はうろたえながら言い繕う言葉を探した。

 「木ノ浦様は自坊にて弔いをいたします」

 その言葉に三人は驚いた。

 「和尚、木ノ浦殿を知っているのか?」

 訊いた清衛門に、住職は向き直り、

 「はい、このことは木ノ浦様から予め頼まれていたことでございます」と、頼まれたいきさつを話し始めた。

 住職によると、光三郎が昼過ぎに善福寺を訪れて来たという。

 「和尚、突然申し訳ござらぬ」

 「どういたしましたな、木ノ浦様。今日は利兵衛殿と一緒ではないのですか?」真正弘師は尋ねた。

 日野屋利兵衛は善福寺の檀家で、善福寺にとっては日野屋からの寄進額は相当な額になっている。ここ数年、寄進の折には光三郎を伴い善福寺を訪れていた利兵衛だった。

 「今日は拙者の頼み事でこちらに参った」

 「拙僧にどのような頼み事でしょう?」

 光三郎は袂から紙包みを出し和尚の前へ置き、紙を開き五枚の小判を見せた。

 「これは?」

 「これで、拙者を葬っていただきたい」

 「なんと」和尚は目を剝き光三郎を見た。そして、尋ねた。

 「どういうことなのです」

 「拙者は利兵衛殿から返しきれぬほどの恩を受け申した。その恩に少しでも報いるため命を賭けた闘いをしなければなりませぬ。その時、もしも、拙者が命を落としたならば葬っていただきたいのです」

 「その闘いを利兵衛殿がしろと?」

 光三郎は頭を振った。

 「利兵衛殿は拙者の為を想ってあるお方の依頼を受けたまでのこと」

 「木ノ浦様のことを想ってのことが、命を賭けてまで闘う事なのですか?」

 「無論、利兵衛殿は拙者が死ぬ事などあろうはずがないと思ってこの依頼を受けたのであろう。しかし、その保証はないのです」

 「断ることはできないのですか?」

 「このことは利兵衛殿の益になる事なのでございます。拙者は闘わなければなりませぬ。武士のはしくれとして利兵衛殿の恩に報いるためにも」

 「決意は変わらないのですか」

 「はい。それと、もう二つほど厚かましいお願いを聞いていただきたい」

 光三郎は寺の境内で闘うことの許しと、もしも自分が斬り殺されたとしても二人を見逃すように真正弘師に頼んだ。

 「相手は二人なのですか?それでは木ノ浦様が不利ではありませぬか」

 「致し方ない事でござる」

 「しかも、殺した相手を見逃せとは・・」

 「もしも、拙者が死んだ場合の事でござる。それに、その二人はこの闘いに巻き込まれただけのような気がするのです」

 「なんとも・・、拙僧にはよく分かりません」

 「拙者にもよく分からぬ。ただ、武士には憎くも無い相手を斬らねばならぬ時があるのです」

 真正弘師は首を左右に振り、

 「此度は、日野屋利兵衛殿の為と思い、木ノ浦様の頼みを聞く事にいたそう。だが、金輪際このような願い事は受けませぬ。これでよいかな、木ノ浦様」仕方なく光三郎の依頼事を受けた。真正弘師にとって、いや、善福寺にとって日野屋利兵衛からの寄進を思えば、引き受けざるを得なかったのである。

 「かたじけのうございます」

 光三郎は畳に手を着き深々と頭を下げた。

 真正弘師の話が終わると、

 「木ノ浦様・・」おのぶがやるせない思いで呟いた。

 おのぶやおみち達町人には町人達の悩み事や苦しい事があり、木ノ浦様には武士の悩みや苦しみがあったのだとおのぶは思った。それらを背負いながらも、私たちは小さな喜びや慰み事を見つけて生きている。おみちにとってそれが木ノ浦様で、木ノ浦様にとってはおみちだったのであろう。それが失われてしまった。

 真正弘師が話している間、寺の小僧二人が戸板を運んで来て光三郎の亡骸を戸板に乗せた。

 「どちらに埋葬されるのですか?」

 申之丈が住職に訊いた。

 「この寺の境内の片隅に埋葬いたします」

 「参ってもよいか?」

 「御随意に」

 申之丈は住職に頭を下げ、

 「申し遅れましたが、某、仙台藩の暮林申之丈と申す」と名乗った。続いて、清衛門とおのぶも住職に名を告げた。

 「後の事は拙僧に任せなされ。さあ、行きなされ」

 三人は住職に頭を下げ境内を後にした。


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