木ノ浦光三郎は安中藩の物頭、槍組の頭の次男として生まれた。

 長男と光三郎の間に長女を挿んで三番目の子であった。幼き頃より道場へ通い剣術の腕を磨いた。その甲斐あって道場では光三郎に敵う者がいないほどの腕前になった。十七歳で元服をして婿養子の口を親が探していたが、木ノ浦家に見合う話しが無く二十歳を迎えた。

 長男は家督を継ぎ、長女は疾うに嫁に行き、光三郎ももはやこの家を出ていかねばなるまいと決意して出奔した。そして、江戸へ出て新たなる仕官の口を探す事にした。

 剣術の腕を売り込めば仕官は容易く出来るだろうと光三郎は考えていた。しかし、時代は安寧の世。剣の腕前だけでは仕官の口はそう容易く見つからなかった。

 江戸へ出て一年程が過ぎ、出奔の時に持ってきた金子も底をつき、口入屋で仕事を探した。

 「得てなことはなんですか?」との問いに、

 「剣術にはいささか自信がござる」と言うより他がなかった。

 「今時、剣術が出来ても仕事の口はなかなか・・」

 そう言って口入屋の主はちらっと光三郎に目をやった。

 「ひとつ、あることはあるのですが・・、若くて真面目そうなあなた様には、ちょっと不向きかも・・」

 この時の光三郎はまだ身なりも小奇麗であどけなさも残る面持ちであった。

 「拙者、なんでも致す。是非にも」

 選り好みなどしている余裕がないほど切羽詰まっていた光三郎は頭を下げ頼み込んだ。

 「わかりました。では、紹介状を書きますので少々お待ち下さい」

 主は、紹介状を書きながら言った。

 「あなた様を雇うかどうかはあちら様次第です。もし、断られましたら、また何か別の仕事を紹介する事も出来ましょう。ですが、あちら様の仕事を引き受け、やっぱり出来ないと途中でお辞めになったとしたら、私どもではあなた様には二度と仕事は紹介出来かねます。そこのところを肝に命じておいてください」

 紹介状を渡され光三郎が向かった先は両替商の日野屋だった。

 光三郎が日野屋の暖簾をかき上げ中に入ると手代と思われる者が声を掛けてきた。

 「いらっしゃいまし。御用件を承ります」

 「これを」

 光三郎は懐から口入屋からの紹介状を取り出し手代に渡した。手代は帳場格子に囲われた帳場机に座っている番頭へ紹介状を渡した。  

 番頭は座ったままで光三郎に視線を向けると手代に一言残し立ち上がり奥へと消えた。

 手代に待つように言われた光三郎は土間に置かれた床几に腰を下ろし店内を見渡した。土間に数人商人らしき客が床几に座っており、格子で区切られた座敷では店子がそろばんを弾いたり天秤で銭の重さを量ったりしていた。両替商に初めて来た光三郎が物珍しげに店内を観察していると番頭が戻ってきた。

 「木ノ浦様、奥へ」

 番頭に誘われ座敷から奥へ続く廊下へ出て奥座敷へ案内された。

 「旦那様、お連れいたしました」

 番頭が障子越しに声を掛けると、

 「お入り」と返事があった。

 番頭が障子を開け手を伸べて光三郎を促した。光三郎が部屋の中に入ると障子は閉められた。

 「お座りください」

 主は帳場机を前にして筆を走らせていた。向かいに座布団が置いてあるのでそこに座れという事なのだろうと光三郎は思った。

 光三郎は腰の物を左手で抜き、腰を沈め右手で座布団をずらし畳に直に正座をし主に向いた。

 主は筆を置き、

 「主の利兵衛です」と光三郎に柔和な表情を向けた。

 「木ノ浦光三郎でござる」

 この時、光三郎は気付いた。利兵衛の口元は笑みを浮かべているように見えるが、眼光がぞっとするほどに鋭い事を。

 「口入屋で仕事のことは訊きましたか?」

 「いや、なにも」

 「そうですか」息を吐き出すように利兵衛は言った。

 「あなた様に務まりましょうかねぇ」

 「どんな事でもする覚悟でこちらに参っておる。なんなりと申しつけてくだされ」

 光三郎は膝に手を置いたままで腰を折った。

 利兵衛は鼻からふんと息を漏らし、

 「私どもでは両替等の商いの他に金貸しもいたしております」と話し始めた。

 「借りたら期日までに返すのが筋なのですが、それが出来ないお客様もおりましてなぁ」

 「取り立てをしろということか?」

 「いや、少しばかり違います。取り立ては手前どもの番頭や手代がいたします。その時に御供をしていただきたいのです」

 「御供?」

 光三郎はそれだけでよいのかと疑問に感じた。御供だけなら口入屋や日野屋の主が自分に出来るかどうか案じる事も無いだろうにと思ったからである。

 「はい。ですが、ただ御供をするだけではございません。番頭や手代を守っていただきたいのです」

 「守るとは?」

 「手前どもでは町人やお武家さまに金子を融通いたしておりますが、なかには性質の悪いお客様もおりまして手を焼いておるのでございます」

 光三郎は己のすることがおぼろげながらに分かってきた。

 「先日も、番頭がある藩の屋敷に出向き、あるお武家さまにお貸ししていた十両を返していただこうとしたのですが、刀を振り回され命辛々逃げ帰ってきたのでございます」

 利兵衛は光三郎を見据えたまま続けた。

 「このまま踏み倒されたのでは商いが立ちゆきませぬ。そのような性質の悪い輩から番頭や手代を守りつつ取り立てが出来るようにしていただきたいのです。出来ましょうか?あなた様に」

 出来るかどうかではない。やるしかない。その覚悟を持ってここに来た光三郎の答えは決まっていた。

 「拙者に打ってつけの仕事でござる」

 「わかりました」

 そう言った利兵衛の目に訝しさが宿っているのを光三郎は見逃さなかった。

 「あなた様が出来るかどうか一度試させていただきます。それから雇うかどうか決めさせてください。それでよろしいか?」

 「相分かった」

 「ひとつだけ申しておきます」

 「なんでしょう」

 「相手を決して殺めてはなりませぬ。回収が出来なくなりますでなぁ」

 「承知した」


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