光三郎は早速、日野屋の番頭、伊助の供に駆り出された。向かった先は牛久藩下屋敷である。道すがらに伊助が申すには、牛久藩の勤番武士の中村弥衛門に十両を貸したが返済期日を過ぎてもお店に来ず、五日ほど前にこちらから取り立てに出向いたところ、

 「借りた覚えがない」と白を切り、証文を見せても知らぬ存ぜぬを通し、仕舞いには刀を抜いて暴れ出す始末であったと言う。

 主の利兵衛が申すには、間もなく勤番が明け国元に帰るのでそれまでしらばっくれるつもりなのではないかとのことである。仮にそのようなことになったとしても回収の手立てはあると利兵衛は言うが、勤番武士たちの間で勤番開けまで借金を支払わなければ踏み倒すことが出来ると思われては今後に係わる。なんとしても取り立てて来い、との利兵衛の申しつけである。

 伊助は門番に中村弥衛門への目通りを願い、門口にて待つ事暫し、中村が現れた。

 三十路ぐらいに見える中村は、ぎょろりとした目で伊助を見るなり、

 「懲りもせずまた来たのか」と言いながら光三郎をもちらりと見た。

 「手前どもと致しましては爪印が押された証文がございますので、返していただかない事には商いが立ちゆきません」

 「ふん、ここではまずい。場所を変えよう」

 中村は門を出て歩き出した。伊助は光三郎に目配せして中村の後に続いた。光三郎はその後ろを歩きながら中村の歩く様を観察していた。

 中村の足運びを見る限り剣術が達者な者の歩き方ではなかった。更に、中村の後ろを自分が歩いているというのに背後に気遣う気配が見受けられず隙だらけである。

 光三郎は中村弥衛門の歩く姿を見て剣の腕を見切った。

 中村は屋敷の塀が途切れた角を折れ人気の無い路地へと入って行った。

 「ここらでいいだろう」

 中村は振り向き、

 「そいつは用心棒か?」と光三郎をぎょろりとした目で睨みつけた。

 「へい、そのような方でございます。もし、中村様がお支払いを拒むのであれば・・」

 「あれば、腕ずくで・・ということか?そんなことができるのか?この青臭い若造に」言うなり中村は刀を抜き払った。

 伊助は「ひっ」と声を上げ光三郎の後ろへ回り込み隠れた。

 光三郎は左手親指で鯉口を切り、右手でするりと刀を抜き正眼に構え、

 「伊助殿、離れていなされ」と中村を見据えたまま声を掛けた。そして、握った柄を雑巾を絞るようにして刀の峰を下向きへと回転させた。

 「それで俺を倒せると思っているのか?若造があ」

 中村は声を張り上げ、刀を大上段に振り上げ光三郎に向かって来た。

 光三郎は切先をゆるりと下げた。それを見た中村は踏み込み様大上段から光三郎の頭めがけ刀を振り下ろした。刹那、光三郎は右足を半歩右にずらし、上半身もすっと右側へ傾け、中村の刃をかわしつつ、刀を素早く小さく振り上げ中村の左わき腹を打ちつけた。

 ボキッと鈍い音が聞こえた。中村の刃は空を切り、よろよろと伊助の前まで行き跪きうめき声を出した。

 光三郎は中村の背中越しに近付き刀の峰を中村の左肩に乗せ、

 「中村殿、おぬしが借りた金を返さずとも取り立てる方法はあると日野屋の主は申しておった。それがどういうことか分かっておろう。そうなればおぬし、藩には居れなくなると思うがな」と言い、ぐいと刀に力を入れた。

 中村は顔をゆがめ、伊助を見上げ、

 「分かった。・・待っておれ」言って左脇腹を左腕でかばうようにして立ち上がり刀を鞘に収め、よろよろと屋敷の門に向かって歩き出した。

 光三郎と伊助も中村の後に続いた。中村が屋敷の中に入り二人は門口にて待っていたが、四半時ほど経っても中村はまだ現れない。

 「本当に用立てできるのでございましょうか?」

 不安な表情を浮かべ伊助は尋ねた。

 「奴も必死なのであろう。今しばらく待ってみよう」

 光三郎には中村の胸中が分かっていた。今の世で、藩を追い出された武士がどのような暮らしをするのか中村が知っているなら、必ず十両を掻き集めて来るだろうと光三郎は確信していた。程なくすると中村が漸く現れた。そして、左脇腹を抱え込むようにしている左腕の袂に右手を入れ十両を取り出し伊助に、

 「ほらよ」と手渡した。伊助は十両を確認し、

 「あの、お利息が・・」と恐る恐る言った。

 「利息だと?・・いくらだ?」

 「二朱にございます」

 中村は懐から紙入れを出し、中をまさぐると二朱金を取り出し伊助に差しだした。

 「これでよいな」

 「へい。ではこれを」伊助はお金を懐に仕舞い、証文を取り出し両手で差しだした。中村はそれをむしり取り屋敷の中へ入って行った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る