第28話 奇跡ではなく、必然として


 貝のように固く閉じた瞼を、ゆっくりと開けた。地面がそこまで迫っていると思っていたのに、不思議と落下の衝撃はない。まあ、落下していれば衝撃を感じたコンマ数秒後には落下の衝撃で五体がぐちゃぐちゃになっているはずだが。

 体温を感じた。震える身体が、密着している。半べそをかきながら、拝は驚愕に満ちた目を俺に向けていた。

 「あ、あんた……こんなことできたの!?」

 「拝? ああ、お前なんで生きて」

 「違う違う! あんたが……あんたが助けてくれたの!」

 俺が? いや、確かに助けようと必死に百足を駆け上ったことは全然覚えている。だが、そこから先のことはひどく曖昧だ。

 確か、ぼんやりと空中に投げ出されたことは思い出せる。だとすれば、今この状況は前後関係と一致しない。

 一体、どうして——

 

 「ようやく合点がいった、不運の生き残りよ」


 声がした。それも、山中の方ではなく、すぐそこで。この声には、聞き覚えがあった。正直、もう二度と会えないかもしれないと本気で覚悟していた。頬が、少しだけ緩んでしまう。

 大百足は、キチキチを大顎を打ち鳴らしていた。突如として現れた敵——得体の知れない生物。この場にいる誰よりも鮮烈で、目を引く実力の気配。

 警戒して、当然だ。

 意志ある存在であれば、彼女の底知れぬ存在感に普通はおののおく。仮にそれが、神代の怪物であったとしても。

 時代の最新、神代へのエンカウンター。

 「箒には乗らないんじゃなかったのかよ。時代遅れじゃないのか?」

 「クク、しばらく見ぬうちに……随分と生意気な口をきくようになったのう。ワシがいなくなって、泣いてはいないかと思ったが。小娘に抱き着かれて、満更でもないとはなかなか肝が据わっておる」

 「どういう意味だよ……」

 ケイの声がすぐ傍で聞こえたのは、彼女が箒に跨り飛んでいたからだ。散々車で箒がどうだのこうだのと言っていた割に、ケイが空を飛ぶ姿は思っていた以上に様になっていた。魔女とは、そう——こういう生き物なのだと思わされる。

 「……そうだ、彼岸!」

 ケイの登場で一瞬気が緩んでしまったが、そういえば彼岸もプランと共に宙へと舞い上げられたはずだ。

 「ん、ああ。あの小僧ならとっくに拾ったぞ」

 「小僧って」

 まあ、刃の魔女様相手なら、生きている人間は大体小僧小娘なのは間違いないが。白髪頭の彼岸が、小僧と呼ばれている光景はなんとも不可思議な気分になる。じゃあ俺は小僧どころか赤ん坊扱いなのでは。

 緊張感のないことを考えていると、警戒していた大百足がやおら動き出す。身をひねり、ばねのような加速でケイへと襲い掛かったのだ。

 だが、ケイはうろたえない。

 くぐってきた修羅場の数は、この場の誰よりも——多い!

 「――――カット」

 短いそのつぶやきと共に、大百足の触覚が斜めにずり落ちていく。大地に、丸太と勘違いしそうなサイズの触覚が激しい音と土煙を撒き上げて落下した。突然の出来事に、大百足は固まってしまっていた。ケイは、この場に現れた時からずっと、大百足から目を離していない。

 視線を以て、断つ――

 「ずっと不思議に思っていた」

 「不思議、って」

 「お主の魂の在り方じゃよ。魂の改竄手術……霊媒手術では成功率は高くなくとも、マイナーと言うほどではない。だが、おかしいと思ったのじゃ。魂の改竄によって、呪いへの耐性を上げた? なら、その変化は付属品としてはおかしい」

 ケイは指を折りながら、俺の胸を示した。心臓ではなく、概念的にその奥に収められているであろう魂を。

 「呪いへの耐性が強化されているなら、その効果は呪いへの耐性のみに尽きるはず。なら、肉体の変化が可能になったのは別の理由があるはずじゃ。例えば——魂に、別のものが混じっている、とかな」

 「別のもの……」

 拝が俺の腕の中でつぶやく。

 俺自身——字見懸命自身も理解できていない深淵。

 ケイはなおも大百足から目を離さず、続ける。

 「まあ正直に言えば、何となく予想はしていたんじゃ。とは言っても、別段それが何の足しになるとは思わなかった。だが、ここにきてようやく確信した。お主のその魂の正体——慈悲深く、草木さえも手折らぬ優しさ。その蹄は、大地を蹴るのではなく雲を生み出し駆ける。東方に伝わる、古き獣」

 俺は、その正体を——知っている。

 だからこそ、自然と口からその名は滑り落ちた。

 「……麒麟」

 呼吸する度に、妖力が空気を爆ぜさせてパチパチと音を立てた。今思えば、俺はずっと昔……そう、あの樹海の中でだ。俺の魂の中にいる獣に、麒麟に出会っている。

 どうして……思い至らなかったのだろう。

 「……助けてもらったんだ。ずっと昔、深い森の奥で。どうして、そんなことも忘れてたんだ俺は」

 「人の記憶など、存外あてにならぬものよ。幼い時分の頃であれば、なおのこと」

 「ね、ねえ二人とも……あれ!」

 「――そうだった。悪いな、忘れてたわけじゃないんだよ」

 本当だぜ?

 大百足の周囲で、妖力がぶくぶくと泡立っている幻覚が見える。どうやら触覚を切られて、相当お冠らしい。

 まあ、触覚も冠も似たようなものかもしれないし。

 「で、ケイ。当然、勝算はあるんだよな!?」

 「ん? んんー……ニコッ♥」

 「おい、コラー!?」

 この魔女! そんな可愛い顔したって400歳以上なのは知ってるんだからな!

 俺と拝、ケイがいた場所を見るからに触れたらヤバそうな酸っぽい体液がばらまかれた。その場に留まっていたら、今頃骨格標本になっていたことだろう。

 「颯爽と現れたと思ったら勝算ないのかよ! 俺の感動返せ!」

 「バカ言うな! あんな神代級の怪物相手に、ワシが刃の魔女と言えど易々勝てると思うな!」

 「ぐ……じゃあどうすればいいんだよ……」

 「……なんでアタシ見るのよ!?」

 「いや、何か秘策とかないのかなって……あるんじゃないのかよ、その。払﨑家に代々伝わる秘伝みたいなもの」

 「無くはないかもしれないけど……アタシには多分、知ってても無理。やっぱり、姉さんがいないと」

 しゅんと、拝はなんだかうなだれてしまった。勿論半分くらいは本気であてにしていたのだが、半分は冗談というか気休めみたいなものだ。現実逃避と言っていいかもしれない。

 ケイがダメなら、正直逃げるくらいしかアイデアが思いつかない。どの道早く手を打たないと、このままではこの怪物がここから離れる可能性もなくはないのだ。被害が大きくなる前に、どうにかしなくては。

 「あ」

 「なんだよ……今度はどんな冗談だ」

 「クク、颯爽と登場して忘れていた。秘策なら、ちゃんと用意してある」

 「は? なんだよ、もうドッキリはいいって」

 「まあ、確かにドッキリと言えばドッキリじゃな……ワシとしては、少し気に食わぬが」

 ケイは不満顔でそう言うと、腕を天へと掲げた。

 「確かに、このサイズの怪物はワシ以上の古強者じゃ。故に、こちらも同じ土俵に立つしかない。まあ、普通はそう簡単には見つからないものじゃがな」

 普通はな。

 同じ土俵——つまりは、同じか……それよりも、古いもの。

 そう。例えば幾度となく転生し、限りなく魂が研ぎ澄まされた大化生。

 指先が、軽やかな音を立てる。鳴り響いた音は、不浄の空気さえも断ち切る。淀みが晴れた一瞬、唸り声が返答するように周囲一帯の大地を震わせた。

 古き神秘が、ここに目覚める――

 

 「――久方ぶりの大戦、血が踊るのう」

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る