第27話 災禍

 山中を、俺と花夢里は一陣の風のように駆け上った。アドレナリンが、傷だらけになった肉体に容赦なく鞭を入れる。道中、出くわした百足の眷属たちも片っ端から切り伏せた。自分でも、この局面でこれほどの力が出せるとは夢にも思ってもみなかった。

 だが、快刀乱麻とまではいかない活躍も、山頂に近づくにつれて漂ってくる腐臭にもにたツンとした匂いに駆けていた足が鈍る。

 「うっ、おええっ」

 「ッ、花夢里!」

 「う、ぐ……すいません若大将……けど、山頂はかなりまずい……これは、戦国の頃の戦場と同じっすよ」

 化生である花夢里が、これほどまでにあてられるとは。しかし、それも当然と言えば当然だろう。俺は樹々を押しのけ、天を睨んだ。般若の面は、すぐそこに覗き込んでいた。能の舞台でもよく見られるような仮面の貌が、すぐそこで俺たちを睨んでいる。

 目的は——呪い刀に他ならない。

 「彼岸!」

 山頂に足を踏み入れると、そこはまさに阿鼻叫喚と言った様相を呈していた。負傷し倒れている術師たちや、すでにこと切れて屍になった百足の亡骸。呪いが空気を汚染し、樹々が立ち枯れているところもある。

 そんな中に、蹲っている拝と象形を見つけた。彼岸の姿はないが、靄の向こうで激しい戦闘の音が続いていることは分かった。

 「おい、大丈夫か!」

 「あんた……どうして戻ってきたの……」

 「バカ言うな、こんな状態でつまらないこと言うなよ。象形は、大丈夫なのか」

 「へい、きだ……うっ、ごほっ」

 「うん、見ての通り平気でも無事でもないかも……さっき呪い刀を抜いたんだ。かなり妖力を持っていかれてるみたい」

 拝の言う通り、象形のは一回り痩せこけているようにも見えた。いつの頃だったかは定かではないが、字見灰治がこんな状態になっているのを見たことがあるような気がする。

 呪い刀の力を引き出したということは、それだけのっぴきならない状況と言うことだ。象形は強がってはいるが、呪いが空気を汚染しているほどのこの状況で、仮に呪い刀を振るう剣士と言えど無事では済むまい。

 同時に、ふと周囲を見回す。負傷した払﨑家の術師たちの姿は見えるものの、ケイの姿はやはりここにはなかった。

 ……いや、それも当然か。

 ケイにとって、この戦場で我が身を投げ打ってでもこいつらを救おうとする理由がないのだ。俺は彼岸から字見灰治が既に亡くなっていることを聞かされたが、もしかすればケイは初めからその可能性があることは分かっていたのではないのか?

 当然のことながら、拘留されていた俺と違いケイは自由に外の世界で動くことができたはずだ。ならば、灰治の居場所を決定的に調べることはできずとも足を使って虱潰しに調べることだってできたはずだ。

 「……いや、今はそれを考えてる場合じゃないか」

 拝と象形を庇うように、靄の向こうから次々と影を見せる百足の群れへと意識を向けた。顎を打ち鳴らし、威嚇するようにジリジリと百足たちは距離を詰めてきていた。先ほどは突貫してくる個体も多かったようだが、象形の一撃が効いたのか迂闊には距離を詰めてはこなくなったらしい。虫としての本能か、やはり炎は化生の類であったとしても恐ろしいようだ。

 「ちっ……」

 拝が背後で指印を組み、結界を結んでいる。拝自身もまた、戦闘のさ中で傷つき疲弊しているせいか結界が安定していないようにも見える。いや、彼女の結界は——

 「ま、前! 懸命!」

 「前……うおっ!?」

 弾け飛ぶビリヤード玉さながらに、俺は一瞬で数メートル距離を取った。頬に触れるが、どうやら当たらなかったようだ。数秒前まで俺が立っていた場所には、凹っとした穴がシューシューと音を立てて空いている。

 穴が開いた理由は明白だった。真上を見上げれば、すぐそこに般若の貌が近づいていた。

 「■■■■■■■■■■!」

 到底言葉とは思えないような奇声が、山を丸ごと揺るがす。呪いが音になれば、なるほどこんな感じかと思わずにはいられない。耳を抑えても、身体そのものを揺さぶるようなソニックブームにも似た奇声は到底人間に耐えられるものではなかった。

 「がっ、は———」

 しまったと思った時にはすでに遅かった。百足たちは、当然のことながら親分の奇声など気にも留めない。蛇のようにのたうち前に出たと思えば、覆いかぶさるように俺たち目がけて飛び込んでくる。バカの一つ覚えとは言っても、この状態では成す術もない……!

 「待ちなよ」

 声は、とても苛立った声音だった。次の瞬間、飛び掛かるとしていた百足たちの群れはバラバラに解体されていく。とてもチープで、ありきたりな表現をするならそう——豆腐のようにバラバラになっていく。

 その姿に驚愕する。

 よもや、助けたわけではないだろう。

 「お前、その刀……!」

 「ん、ああ。君、さっきもいたっけか。そう確か……ケイの弟子」

 プランはクルクルと呪い刀——静嵐刀を弄びながら歩み寄ってくる。刀身に纏わりついた百足たちの体液など気にも留めることなく。

 プランの表情は、つい先刻顔を突き合わせた時とはまるで違った。ツギハギの顔は、無表情で一層生気がないように感じる。そして何より、一回り顔つきが小さい。俺は、一瞬で彼女が今どういう状態なのかを悟った。

 チラと、背後で横たわる象形を見やった。

 「お前が、呪い刀を抜いたのか」

 「……苦労したよ。おかげで、あんな神代クラスの化け物までついてきた。流石に一人じゃ手に負えなくてさ。まあ、私もこんな様だし、そもそも相手になんてできるわけもないんだけど。あれが現れたら、多分君たちもやってくると思ったから、ついでに相手にしてもらおうと思った」

 「何勝手なこと言ってるのよ……あんた、その刀に触れた時に気づかなかったの⁉ その刀は、普通の人間が手を触れて無事で済むようなものじゃないのよ!」

 「ああ、まあ確かにこういう類の武具はヨーロッパにもあったよ。触れることさえも、悍ましいってやつ。けどさ、こいつはやっぱり何か違うんだなって思ったよ。ただ、いたずらに呪いを振り撒くような刀じゃないんだ。やっぱり、過程が違うせいなのかな。ケイあたりなら、そのあたりよく分かるかもしれないけど……おや、そういえば肝心のケイがいないな」

 プランはキョロキョロと周囲を見渡す。あまりにもマイペースな振る舞いだったが、逆に俺は頭がドンドン冷めていった。

 ケイが今この場にいないのは、まずもってこの魔女のせいだ。プラン自身、それが分かっていないはずがない。いや、もしかしたら……本当に分かっていないのか?

 俺は努めて平静を装い、なるべく投げやりな口調で言い返した。

 「ケイはいないよ、お前のせいでな」

 「なぜ? 良く分からないな……てっきり、ケイは君にご執心だと思ったのだけど。長く生きているとさ、人間……まあ魔女でも、寄る辺が無くては生きてはいけなくなるものでね。私の場合は復讐だったが、ケイは……きっと人恋しかったのかなって思うんだ」

 やはりと、俺はペラペラと話すプランを見て確信する。

 どちらにしても、ケイもいない今この場では俺がどうにかする他ない。どの道、あの大百足の般若も放っておくわけにはいかない。今考えられる最善の方法は、呪い刀で大百足を再封印するしかない。

 俺の思考を他所に、プランはフラフラと覚束ない足取りで俺へと刀を振りかぶった。

 「ぬっ、ぐ……ぎ」

 「は、はは、ははははははは!」

 咄嗟に変化させた腕で刃を受けたが、呪いを受けた刀の刃を受けたのは初めてだった。生半可な獣の一撃や、ただの刃物の一撃を受け止めるのとではまるで訳が違う。刃を受けた部分から、全身へと気持ちが悪くなる感覚が広がっていく。

 「無茶しないでよ、もう! どうしてアタシの周りの男って、こんなやつらばっかりなのかしらね!」

 逆返しの陣——拝の姿に一瞬祈の姿が重なった。プランは拝の結界に弾かれたが、しかしその一撃は異様なまでにプランを消耗させていた。

 そして同時に——

 「お前さんには過ぎたおもちゃだ、返してもらうぞ」

 体勢が崩れたプランの腕、その肘から先が分かたれた。重力に従い、断たれた腕は地面へと引き寄せられるように落下する。

 「がっ、あ……私の、腕がっあああぁぁっ!?」

 「彼岸!」

 彼岸は地面に落ちた腕を乱暴に拾い、握られた指先から静嵐刀を引きはがした。彼岸は刀に触れた瞬間、少しだけ眉を歪めたものの、そこはやはり付き合いの長い相棒を刀も覚えていたのかそれ以上のことは起こらない。

 「らしくねえ、あの時の気迫はどこにいきやがったんだ……」

 「がっ、ぐ、あああああっ、痛い痛い痛いっああああ」

 「そりゃいてえだろ、腕の一本はな。お前には色々と聞かせてもらいたいことがある。大人しく縛られて」

 彼岸がそこまで言いかけた時、独特の臭気が一帯を席捲した。曲がりなりにも、一瞬主だった使い手の手を離れた瞬間を、大百足は狙っていたのだ。

 ——自らを、完全に自由に解き放つために!

 「旦那ァ、上だっ!」

 「う、おおおおおおっ!?」

 置物のようだった大百足は、俊敏に狙いを定めて動いた。彼岸はとプランは、一瞬で仮面の下から伸びた大あごに掴まれる。そのまま宙へと、放り出され——そして、呆然とする俺たちの眼前で飲み込まれた。

 山と同等のサイズである大百足に自由を奪われた人間に、成す術はない。

 大百足の動きは止まらない、そのまま周囲にいた術師たちは薙ぎ払われて散り散りにあたりへと吹き飛ばされていく。

 人が小石のように打ち付けられる。肉がひしゃげる、嫌な音が変に耳に残った。

 「う、ぐあ……かっ」

 「この、拝を離しやがれ! このっ、このっ……!」

 大百足が頭を振るだけで、周囲は大嵐に見舞われたように荒廃していく。周囲を散々滅茶苦茶にした大百足は、最後に拝の身体をその大顎に捕えた。武の心得がない拝には、回避する術はなかった。

 いや、仮にこれが象形や彼岸であっても回避するのは難しかっただろう。

 相手は怪物——神代の置き土産。

 いくら化生の力をこの身に宿している俺でも、大百足の顎は万力どころの話ではない。どれだけ力を込めても、ビクともしなかった。

 「くそっ、くそぉぉっ!!」

 文字通りに無力だった。大百足は首を振ると、張り付いている俺を無慈悲に地面へと叩きつける。

 「あ」

 そんな短い、悲鳴にもならないスタッカート。拝の必死に伸ばした手は、結局俺の指をすり抜けていく。

 大百足の、不気味な般若の面と目が合った気がした。目なんて、あるはずもないだろうに。その目は、不気味に俺を見て笑っている気がした。無力で、矮小な俺を嘲笑っているように。

 「いっ、やあああああああ!!」

 風に舞う紙を思った。あるいは、舞う枯れ葉。

 拝の身体が、大顎を離れて宙へと吸い込まれていく。

 「あ、あああ、やめろっ! なんで、何でこんな、こんな」

 指先は、意味もなく空を掻いた。

 いかつく変化した指先は鋭い爪で、岩くらいなら易々と切り裂くことができる。足は馬の蹄、大地を蹴れば風のように駆ける。肌には鱗、魚のような龍のようなこの肌は半端な刃物では傷つけることもできない。

 できないのに——翼だけは、なかった。

 人生には、本当に必要な時に必要なものが用意されていない。

 点のように小さくなった拝の身体は、後は重力に任せて落下してくるだけ。拝の境界術を以てしても、地面に叩きつけられれば後はどうなるかなんて想像しなくても分かる。

 原型を留めていない五体が、目の前に見えた。

 「どけよ、百足野郎……」

 「■■■、■■■■■」

 「何て言ってるか、分からねぇよ……」

 泣いていたのかもしれない。いや、もう俺にできることなんてそれくらいしかないのか。

 たった一人、大百足に立ち向かう。

 それは、英雄の仕事だ。

 怪物に立ち向かうのは、怪物の役回りじゃない。だからそう、これは意味のない我儘なんだ。無意味に立ち向かい、そして死ぬ。

 十分だ、それで——それ以上に何がある?

 プランも、彼岸も飲み込まれてしまった。俺は、ただそれを見ていることしかできずに。

 誰も嗤いはしないだろう。もう、嗤ってくれる人もいないが。ああ、いや……魔孤魅はもしかしたら、俺が死んだと知れば寂しそうな顔くらいはしてくれるだろうか。それだって、俺には高望みもいいところだけれど。

 ダランと、身体の力を抜いた。到底、戦う者の姿ではない。

 

 最後に笑ったやつが勝つ。


 雷が、俺の身体を駆け抜けた。魔孤魅のことを思い出したからなのか、どうなのかは分からない。けど、確かにそれを思い出した。

 まだ、最後じゃない。

 「は、はは……何て、様晒してるんだよ俺は……!」

 蹄が、大地を穿った。大百足は、いきなり駆け出した俺の動きに戸惑っていた。当然だろう。俺は今、大百足に目がけて駆けているのだから!

 無論、特攻するためではない。

 「こんな足場があるのに、使わない手はないだろ!」

 爪をひっかけ、大百足の身体を駆け上っていく。肺が酸素を求めて、スペック以上に稼働する。酸素と妖力の燃焼により、循環器系はあっという間にオーバーヒート寸前だ。

 けど、構うものか!

 「お、おおおおぉぉぉぉ!」

 拝の姿が見える。落下は既に始まっていた。ほんの一瞬、僅かでも出だしが遅れれば間に合わない。

 どれだけの対価を払おうとも、今は気にしている暇はなかった。身体は、無我夢中で大百足の身体をよじ登っていく。

 間に合え——一心に、そう願いながら。

 「う、お、おぉぉぉぉぉぉ!」

 大百足が身体をよじったのだ。必然、加速し続けている俺はその動きに振り回されることになる。予想していなかったわけではない、だが身体は反応できなかった。

 足場がなくなる感覚。落下が、数秒後には始まってしまう。

 「お、がみぃぃぃぃ」

 「懸命、懸命!」

 命を懸ける。この状況で、思わず俺は笑いそうになった。これ以上なにほどに、それはピッタリの名前だ。

 拝が、俺の視線の先で俺に手を伸ばしていた。

 そんな、泣きそうな顔しないでくれよ。出会った時みたいに、もっと悪態ついたりしてくれた方がなんだか安心するんだ。

 そんなことを思いながら、俺は瞼を閉じた。

  

 

 

 

  

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