第26話 使命

大百足が出現した直後、山中ではある変化が起こっていた。

 「なっ、なんだありゃあ!?」

山中を巡回していた払﨑家の術師の悲鳴が響く。しかし、その悲鳴も当然だろう。見上げるほどの大百足の出現——そして、それと同時に山中を巨大な影がは這いずり回り始めたのだから。

 般若の面をつけた大百足、そしてその眷属と思われる怪異たちだった。

 「ひっ、は、はぁっ、は、早く、早く応援をっ……ぐっ、ぎぁあああああああ」

 『お、おい! どうした、何が起きてる!? おい! おいっ』

 



 懸命、彼岸、花夢里の三名が山の麓を目指し駆け出した頃、すでに象形や拝は大百足を足止めするために陣を構えていた。陣と言っても、プランの襲撃によって多くの術者が前線に立てなくなっている現状ではそれを陣と呼ぶべきかどうかは怪しい。

 (それでも、やるしかねぇ……)

 現状、現場の指揮権を握ることができるのは呪い刀の担い手である象形程度のものだった。実戦経験があるとはいえど、象形もまだベテランと呼ばれるレベルにはまだほど遠い。彼岸クラスの戦士は、実のところそうゴロゴロいるわけではないのだ。

 呪い刀の担い手にとって、腕が立つという以上に意味があるものは——運の強さもまた評価に値する。

 呪い刀の呪いは、それだけ不慮の死を招きやすいものだ。

 象形は携えた刀を握る手が汗ばんでいることに気づく。

 「……大丈夫、象形?」

 「あ、ああ。大丈夫だ」

 拝は、祈とよく似た目元に心配の色を浮かばせながら象形の顔を覗き込んでいた。周囲に陣取っている払﨑家の術師たちの顔にも、やはり不安の色は隠せない。

 大百足の怪物——歴史や神話クラスの大物。

 現代を生きる術師である象形たちにとって、真正面から相手をすることはほとんど死を意味する。どうにか一命を取り留めた祈がこの場にいたとしても、平時であればいざ知らず、相手があれほどの存在であれば流石に分が悪いとしか言いようがない。

 (祈さんも、前線に出ると聞かなかったが……流石にあれは祈さんがいたとしても正直勝負になる気がしねぇ……)

 「っ、象形!?」

 眷属の百足が、その身を弾丸のように宙を貫き陣へと飛来する。境界を結んで作った結界は、結合の強度によって結界としての質が上下する。普段よりも人員が揃わない中で組まれた結界であっても、そんじょそこらの化生程度ではヒビを入れることさえ容易ではないはずだ。

 しかし——

 「っおらぁ!」

 一閃——瞬きよりも早く、刀身は百足の頭を割った。赤黒い、血液とも体液とも似つかぬ飛沫に象形の顔が汚される。

 「す、すまない象形殿!」

 「いや、あんたらが悪いわけじゃない……言い訳のしようもないが、今はできることをするしかねえ。もう一度境界を張り直してくれ」

 「あ、ああ!」

 足早に持ち場に戻り、結界を張り直す術師たちを横目に刀にまとわりついた百足の体液を払う。足元ではギチギチと断末魔をこぼす百足の亡骸の山が出来上がり始めていた。

 百足は蟲毒に用いられることもあるように、薬の材料に使われることも珍しくない。術師たちにとっては、虫の中でも比較的ポピュラーな部類の生物である。呪いとも縁が深いこの虫だが、人間台のサイズ以上になると得も言われない恐怖感がどうしても勝ってしまう。

 加えて、毒を持っている。

 (こんなサイズの百足の毒を喰らえばたまったもんじゃねぇな……)

 丹田に意識を集中し、再び刀に手を添える。

 深い呼吸は、それだけで精神をアジャストしてくれる。古今東西、武術や体技と呼ばれるものの多くは呼吸を基本としていることは言うに及ばず。

 明け方の空が白んでくる、しかし頭上を見上げれば天蓋は大百足の巨躯は依然として山に覆いかぶさるように身じろぎしていた。何かを、まるで探しているかのように。般若の顔が、覗き込むように山中にいる術師たちを睨みつけていた。

 「でけぇ図体晒しやがって……こっちはまだ万全じゃないってのによ」

 もちろん、そんな言い訳をしたところで敵が去るわけでもない。そんなことは、若輩ながらも何度も死線を潜った象形には嫌でも分かっている。

 (しかたねぇ、これも呪い刀の使い手の宿命ってやつだ)

 例え、今ここで命を堕としたとしても。

 それはこれまでと何も変わらない、大きな運命——流れの一つに過ぎない。危険なものだと分かっているならば、とっくに打ち捨てるなり破壊でも封印でもしていればいい代物だ。

 だが、そうはなっていない。

 リスクに見合うか、それと同等の力があるからこの刀は人を呪ってでも、踏みつけてでもこの時代まで受け継がれてきたのだ。

 今、この瞬間。

 今この時のような状況のために。

 ——覚悟など、とうに決まっている。

 だから迷いはなかった。象形は大地を踏み抜くほどの勢いで前へと駆ける。一匹、また一匹。人間サイズよりもわずかに大きい百足たちといえど、呪い刀とは時代を渡る呪具にしてその最高峰。切れ味は下より、呪いに類する存在であればその刀から目を離すことはできない。

 「百足の目が、見えてるのかは分からねぇけどな!」

 振り上げた刀身は、薪を割る斧の一撃のように百足の頭をかち割った。しかし、百足たちもまたやられるばかりではない。

 数とは——力だ。

 「……っ!」

 頭を割った百足のすぐ後ろに、もう一つ頭があった。一匹に見えて、もう一匹の百足がその身を絡めていたのだ。

 大あごが、象形の大振りな動きの隙を見逃さなかった。

 「前、出すぎだっての!」

 「!?」

 ガツンと、岸壁に衝突したかのような衝撃が空気を揺らす。勢いは、相対的なものだ。打ち出された加速度は、その勢いのまま何か別の障壁にぶつかればインパクトはそのまま自らへと——返ってくる。

 そう、例えば……結界。

 空間に編まれた境界を強く結んだ壁は、空中に雷撃のような衝撃と音を響かせて突貫してきた命知らずの百足の身体を勢いそのままに弾き返した。己の膂力をそのまま自分の身に受けた百足の頭部は、ガラス玉がひび割れて砕ける様を思い起こさせる。

 「拝!」

 「象形、前出すぎだって!」

 「お前こそ前に出すぎ……拝!?」

 何度でも言おう、数とは、物量とは力だ。どれだけ優れた戦士、兵士、軍師、策士、勇士が一人いただけでは戦いには勝つことはできない。その理由の最たるものは、それが集団と集団の戦いであるからだ。

 戦いは、集団の最後の一人がいなくなるまで終わることはない。集団とは、その場にいない存在も集団の一つだからだ。

 百足たちは、数の利を活かすことを躊躇しない。例え、その血を分けたであろう兄弟家族が屍になり果てようとも目的を果たすまでは止まらない。

 拝の頭上に落ちた影は、さながら大津波のようだった。

 ——百足たちの、大波である。

 「―――ッ、あ」

 声にならない悲鳴が上がるよりも早く、身体は幼い頃から鍛えてきた動きを寸分狂うことなく実行した。指印を結び、代々払﨑家に受け継がれてきた境界術を発動させる。コンマ数秒の世界で、ある意味神がかり的なパフォーマンスを発揮できる彼女はどれだけ姉に劣っていると言われようとも、間違いなく払﨑本家の人間であると言わざるを得ないだろう。

 その結界術は、最も簡易なもの……初歩の初歩。ただ、自らの正面に結界の壁を生むだけの単純なもの。

 だが、それが生死を分けた。結界術の術者が、実戦で一番求められることは——誰よりも先に死なないことである。

 「拝っ、踏ん張れ!」

 「――っ、だめ象形!!」

 象形の身体が、弾けるように拝の張った結界の前へと踊り出た。呪い刀に、妖力が奔る。刀身は、この時を待ちわびていたかのように薄く差し始めた朝日を弾いてきらめいた。

 「地獄の焔、馳走してやる。その身、魂の髄まで焼き切ってやるよ。閻魔大王から借り受けた炎——『業火炎』!」

 呪い刀は、災いを封じる太刀である。象形の振るう呪い刀は、かつて字見の家が担っていた太刀とはまた違い、炎に縁が深い。曰く――火災を鎮める刀である。

 「ぎいいいいいいぃぃぃぃ」

 耳をつんざくような悲鳴にも似た叫び。百足たちは切り裂かれたその身体から、炎を上げながら転がり回る。それもそのはずで、切り裂かれた断面からは次々と目が潰れそうなほど真っ赤な炎が上がっていた。

 「ばっ、バカ! 何やってんの象形! アタシを……アタシを、なんで庇って……!?」

 「うっ、がっ……ごふっ……はっ、はは……お前を傷だらけで帰したら、祈さんに格好つかねーだろ」

 「そんなこと言ってる場合、じゃないでしょ!」

 「気にするな……俺は役割を、全うしてるだけだ」

 百足たちの津波、その全てを切り伏せることは叶わなかった。津波の一部は、その身を切り焼かれてもなお勢いを留めることなく象形の身を襲ったらしい。拝の目の前で、象形は膝をつき肩で息をしていた。呼吸は不規則で、とても浅い。

 呪い刀の力を、全開で引き出すことは寿命の前借りに等しく、運命力は水道の蛇口を全開にして垂れ流す状態に似ている。もちろん、人間の寿命には水道以上に限りがあり——運命力もまた、それには限りがある。むしろ、それは寿命以上にだ。

 「はっ、はっ、はーっ、はっ」

 「象形? 象形ってば!?」

 「だい、じょうぶだ……お、れはっ、平気だから」

 「全然大丈夫じゃない、大丈夫じゃないってば……!」

 拝の目から見ても、象形の消耗は手に取るように分かる。呪具や妖刀に類する武具は様々存在するが、その中でも呪い刀はトップクラスの妖力を喰らう大喰らいである。訓練や才覚で、人間もまたある程度までは妖力を引き出すことは可能だが、その量は微々たるものである。

 故に、象形ほどの使い手であっても——

 (く、くそっ……心臓が、破裂しそうだ……)

 膝をつき、辛うじて息をする象形を前に拝の心臓もまた不安で破裂してしまいそうだった。

 「し、しっかりしてよ象形! あんたが……あんたが倒れたら、もう誰が」

 誰が?

 

 違う、アタシだって払﨑の人間だ。


 死んだ顔の自分が、ユラリと気怠そうに腕をもたげる。指先は、まごうことなく自らの胸を指さしていた。

 

 『お前のせいだ』


 違う、違う、違う!


 「お、がみ……俺が倒れても、気にするな……その時は、生きているやつを連れて麓まで下がれ」

 「ちょっと……待って、それは」

 「どの道、あんな怪物相手に俺一人の命でトントンになる、ならお釣りがくるくらいだ」

 象形の言っていることは、それは結界の内側に閉じ込められているうちに相打ち覚悟で自爆するということに他ならなかった。確かに、あの大百足を足止めするにしても封印するにしても、犠牲は免れることはできないだろう。

 象形は荒い息で、乱暴に拝の背を叩く。

 「早く……!」

 「……ッ」

 踵を返し、拝は駆け出す。周りを見れば、傷つき動けなくなっている術師たちも多くいる。常日頃、拝たちの家に仕える術師たちは皆家族同然のように思っていた。自分よりも、才覚に恵まれている人間も何人もいる。

 放って、おけるわけがなかった。

 「ばっ、か野郎……!」

 象形の引き絞るような叫びと同時に、傷ついた術師に駆け寄る拝を百足たちが見逃すはずもなかった。

 弱肉強食の世界で、弱いものは生きてはいけない。

 「こん、のぉー!」

 指印を組む。しかし、疲弊した状況で組み上げる境界はとても脆弱で——

 これが戦場。

 死が、大口を開けて飛び込んでくる。


 「姉さん……」


 刹那、白い閃光が明けの薄闇を切り裂いた。雪駄が擦り切れんばかりの勢いで、杖に仕込まれた刃が百足の頭を音もなく切り落とす。

 「あんまりいじめてくれるなよ、百足ども」

 

 

  

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る