第19話 心からの願い
どうしてこうなってしまったのかと、人は後悔を何度すれば学ぶのだろう。一度や二度、どころかそれはどうやら死ぬまで治らないものらしい。
ならば、私たちは一体全体人生で何を学ぶのだろうか。
いつの頃からか、寿命をとっくに超えて生きられるようになったのならば、後悔もなくなるのではないかと期待していた。
けど、結局この有様だ。
ワシは——私は、一体何度繰り返せば気が済むというのだろう。
ジリジリと、見えない距離を詰めるように互いの緊張が火花を散らす。ケイの視閃が走る度にプランは器用に塀の上で踊る。見えない斬撃が空を切り、時に塀を削る。漆喰で作られた塀は、今や廃墟と見紛うほどにボロボロになっていた。
「絶対に後から請求してやるからね……!」
「拝、集中しろ。塀など、いくらでも修復できる。あの女、魔女は——強いぞ」
祈の指印が素早く結ばれる。拝の指印も一度見たが、単純な指印であっても祈の印の結び方はあまりにも洗練されている。時に優れた神官神職の様な指裁きは、適格にその術を励起する。
「塀の上に陣取ったのは間違いだったな魔女よ、境界術――『逆返しの陣』!」
祈が指印を結ぶと、現れた無数の案山子は塀の向こう側へと突然瞬間移動の如く押し出された。なおも塀を越えようとしているが、塀を超える度にまた向こうへと戻される。それに合わせ、象形もまた塀の上へと飛び上がった。
「ふっ、小賢しい!」
「っ、ぬぐ!?」
プランが短刀を振るう。長さはないが、その分小回りが利く。不安定な足場である塀の上では、むしろ象形の持つ呪い刀の方が取り回すには技量が問われた。
だが……。
「ん、おいどこに……なっ!?」
象形は塀の向こうで次々と案山子を切り裂いていた。躊躇いなく刀を抜き、その刀身からは常抑えられているであろう呪いの気が大気を汚している。常人であれば、まず近寄れないほどの濃い呪い。
「字見、聞こえるか! そっちは任せるぞ!」
「……っ、おう!」
全身に気を巡らせる。霊子を練り、妖気へ変換——イメージするのは、かまいたちにも負けない爪だ。
月光の下で、鋭爪が鈍い光を反射する。一体、また一体。祈の結界をすり抜けて入り込んでくる案山子たちを次々に迎撃する。鎌を受けては返し、足を払っては蹴り飛ばす。ケイもまた、案山子を次々と切り払っている。
だが……終わりが、終わりが見えてこない!
数の暴力はジワジワと、俺たちの精神的なスタミナを削っていく。一体一体の案山子の強さはそうでもないが、次から次へと迫ってくる数が厄介だった。
敵は、刃の魔女の同類——。
プランは塀の上でつまらなさそうに戦いの様子を観戦していた。拮抗している状況も、別に何も思うところはないと言わんばかりに。
「見るに堪えないな……使い魔を持つなら、もっと見栄えがいいものにすればいいものを。君、見た目は変わってないけど結構老けた?」
「本当に変わったのう……その程度でワシが挑発に乗るとでも思ったか」
「いやいや、結構本気でそう思ってるよ。同輩が、衰える様を見るのは辛いものだと思っただけさ」
「ふん、こんな人形ごときに遅れをとるわけがなかろう。魔女なら、この程度の魔術にも満たないようが真似は朝飯前じゃろうて」
「これが、魔術でさえないっていうのかよ……!」
押し倒してきた案山子を蹴り上げながら吠える。こんな厄介なものが、魔術でさえないなんて……魔女狩りの時代を生き抜いた連中はみんなこんなやつらばっかりだっというのか。
「こやつが山の中で案山子に出くわしたと言うからまさかと思ったが、まさか本当に日本にいるとは思わなかったぞ……今さら表に出てきて何をしようと言うのじゃ!」
「それ、もう何世紀も前に話しただろう。分かり切ったことを……私は、諦めちゃいないんだよ——魔女の時代を!」
プランの腕が振るわれ、短刀は歪な光と共に無数の斬撃を生む。目では追いかけられないほどの斬撃がまたたくまに枯山水の庭をズタズタに切り裂いていく。美しかった砂の文様は、今や見る影もなくただの砂へと変わり果てていた。
だが、それ以上に——。
「っ、拝!」
斬撃をかいくぐりながら、拝への下へと向かう。こんな怒涛の攻撃の中で、病み上がりの拝がまともに戦えるわけがない。
脳裏に浮かぶのは、山中での拝のあの動揺した姿だった。
(この際理由なんてどうでもいい! けど、拝はあの時何か様子がおかしかった……)
俺の予想は正しく、どうにか斬撃の雨を凌いではいたがすでに着ている制服の端々は切り裂け、地肌をさらけ出している。滴る血液の筋に、思わず身体が強張った。
「拝お嬢様! 私のことは……!」
「バカ言わないで! 家族の一人くらい、守らなきゃ……守るんだ、私が!」
「バカ野郎、下がって——」
拝に向かって一際鋭い一撃が飛ぶ。魔女の短刀は、恐らくはケイの魔術に匹敵する絡繰りを以てして魔術を起動しているのだろう。生半可な防御では、そんなものは防ぎきれるはずがない。
ありったけ腕に、手に、指先に妖力を集める。気休めだとしても、やらないよりはマシだ。魔力を込められた斬撃は俺の爪を——。
「境界術――『冴霧』!」
「祈お嬢様!?」
悲鳴にも似たひどりの叫びが響き渡る。指印を結び、拝とひどりの前に立つ俺のさらに前に祈が立ちふさがったのだ。
不可視の壁、霊子が大地に境界を刻む。
「ほう、凌ぐか! なら追加だ、防いでみせろ!」
「がっ、ぐっ、っああああああっ!?」
俺はこの瞬間、人体がいかに血液を閉じ込めた袋なのかということを思い知らされた。真っ赤な鮮血が、月を彩るように飛び散る。あまりにも非現実的な光景、スローモーションのように何もかもが遅く映る。思考だけが加速し、肉体の挙動一つ一つがもどかしい。
「いっ祈、な………何で!?」
「ぐっ……プランお主!」
「おいおい、よそ見しないでくれよ……な?」
「ふざけるなよプラン、お主の目的はワシじゃろう!」
「そう青筋立てて怒るなよ……巻き込んだのは、お前じゃないか」
プランは立ち上がり、木の葉のように静かに砂の上に舞い降りた。その姿は、敵ながら思わず息を吞むほどに美しい。継ぎ接ぎだらけ、傷だらけ。それなのに、どんな宝石や金銀にも劣らない美がそこにある。鋭さを極めたら、人はこうなるのだと。
「残酷だ、ああ残酷だとも。知らないままに、罪を重ねることはこれ以上にない残酷さだ。だが、それを分かっていて行うことも同様に惨たらしい。君……懸命って呼ばれてたね。君はさ、ケイがどういう理由があって君を外の世界に連れ出したのか知ってるのかい?」
「それは——」
プランの言葉が、俺を僅か一日程度しかない俺とケイのここまでの道程を思い起させる。だが、思い出す中にケイの詳細な動機はどこにも見当たらなかった。飄々と、語るケイの口から俺はまだ——本当の彼女の目的を聞いてはいない?
呆然とする俺を前に、プランはため息をついた。
「ほらね、知らない。流されるままに、君はこの魔女の甘言に踊らされてるのさ。まあ……騙す、陥れる、堕落させる、破滅させるは魔女の本分みたいなものだからね。否定はしないさ」
「……プラン、ワシは」
「死にたい、だろう? あの時君は本当に死人みたいな顔をしていた……だというのに、未だにのうのうと生き恥を晒している。君、本当は一体全体どうしたいのさ。生きたいのかい、死にたいのかい?」
ケイの顔が、今まで見たことがない蒼白な顔色を浮かべていた。苦痛のような、悲壮のような——まるで、救いを求める敬虔な信者のように。あてどなく彷徨う視線は、プランの言葉の1つ1つに怯えている。
それこそが、初めて見る刃の魔女ケイ……真実の姿だった。
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