第20話 後悔なき世界 

 闇の中を、一陣の風が駆け抜けた。白砂が、わずかに遅れて舞い上がる。ケイと対峙していたプランは、一瞬動きを止めた。

 杖——それが刃であれば、首が落ちていたに違いない。木製のただの杖はプランの頸動脈を目がけて寸でのところで止められている。

 「何やら騒がしいと思って来てみれば、随分賑やかなことをやってるじゃねぇか小僧ども。この老いぼれも、混ぜてくれや」

 雪駄だというのに、恐ろしく早い足運びだった。音もなく、一瞬でプランの首元に杖が付きつけられる。白髪が月明かりで後光を帯びているように見える。年齢は70代前後くらいに見えるが、背筋は曲がらず、やや細身ではあるが全身隙が無い。

 「……何者?」

 「ただの老いぼれジジイさ、引退済みのな。一応術師の世界じゃそれなりに有名なんだがね——知ってるか、雪暮彼岸ゆきくれひがんってもんだ」

 「知らないね、ただ……あんたを相手しながら全員を相手にするのは厳しそうだ」

 「ほう、意外と冷静だな。おい、花夢里かむり!」

 「言われなくても分かってますよ旦那! 拝さん、俺が看ます」

 状況が再び目まぐるしく変わっていく、新たに登場した二人の変数。後退していた状況は、突如として攻勢へと傾く。

 「出血がひどいっすね……ちょっと痛みますけど我慢してくださいよ祈さん」

 「っ、がっ、はっ」

 「花夢里……ね、姉さんは……」

 「大丈夫かは保証できないっす……でも、最善は尽くすっすよ」

 手早く花夢里と呼ばれた優男は処置を施していく。壊れた蛇口のように流れる出血が、次第に緩やかになっていく。

 「かっ、花夢里様ぁ! 祈っ、祈お嬢様は大丈夫なんでずかっ!」

 「流石の俺も死人はどうしようもないっすけど、生きてるならまだ手は尽くせるっすよ。あ、ひどりの姐さん護符持ってるっすよね? 気休めっすけど、止血の足しにはなると思うんでちょっと貸してください」

 手早く花夢里が手を動かしていくうちに、遠くからザワザワと声が聞こえてくる。払﨑家の人々が騒ぎを聞きつけ彼岸や花夢里と同じように駆け付けてきているのだろう。今で拮抗している状況なら、数の有利で押し切れる。


 「あーあ、やってくれたね……いや、しくじったのは私のミスか……」

 「プラン、もうやめるんじゃ……お主も、誰も幸せになれん。頼む、手を引いてくれ」

 「……嫌だね、呪い刀がすぐそこにあるんだ。ここで、みすみす手ぶらじゃ帰れない。呪われた武装っていうのは古今東西曰くのあるものは数多く存在する。しかし、その大半のオリジンはすでに絵空事だ。とっくに歴史の土砂に埋もれている——今の時代に現存する呪いの武具として呪い刀はこれ以上ない器だ!」

 「おい、あんまり勝手に動くと首が飛ぶぞ」

 「やれるのかい、その杖で……っ!?」

 暗闇で鈍く光りを放った一閃がプランの背面を掠めた。そこは流石の刃の魔女の同輩と言うべきなのか、紙一重でその一撃を回避する。刀を振るったのは、呪い刀を握る象形だった。祈が倒れた今、塀を再び超えて庭へと舞い戻ってきていた。

 「くそっ、外したか!」

 刀身が晒された象形の呪い刀が餓えた獣のように、プランへと牙を剥く。

 この調子なら、恐らく塀の向こうでは案山子の残骸が所せましと転がっていることだろう。

 夥しい数の案山子を相手にしたせいなのか、象形もまた至る所に傷を負っていた。やり手の術師であろう象形であっても数の有利は度し難い。鬼気迫る気迫とは裏腹に、肩が浅く上気していた。

 プランは困ったように顔をひしゃげると、額を打った。

 「流石の私もその刃で斬られたらヤバいな。呑気にしゃべりすぎた、手数がないな……仕方ない、ここは一度預けておこうかケイ。勿論、預けておくだけだからちゃんと返してくれよ」

 「いい加減に……!」

 ケイが言い終わるよりも早く、プランの身体は宙を舞った。自ら身を翻したわけでもなかったその動きは、何かを回避した——いや、命中した衝撃に似ている。

 「……あんたがどこの誰かなんて知らないけど、よくもやってくれたわね」

 「おいおい、君素人か? 魔術師でも魔法使いでも、陰陽師でも呪術師でもさぁ……互いに欲しいものがあったら殺し合うのは西も東も変わらないだろ?」

 「あんた……!」

 「まいったね、テンションが下がった。こんな素人を相手に、無駄な時間は浪費できないよ。こっちも……ごほっ、長居し過ぎた」

 プランはそのまま闇に溶けるように姿をくらました。まるで、最初から誰もいなかったような鮮やかな去り際はいっそ清々しいほどに。

 だが、それが幻ではないことを俺たちは嫌というほど味わわされる。

 俺は臨戦態勢を解くと、急いで祈の下へと駆け寄った。皆一様に祈の下へ駆けつけるが、一人ケイだけは未だ放心したまま動けないでいるようだった。

 「……血が、止まってる?」

 俺の疑問に、花夢里は額の汗を拭い深く息を吐いた。どうやら祈の処置は無事に完了したらしい。

 「超不安定なところを、どうにかバランスを取ってる状態っすね。俺の幻術を応用して、身体の方を錯覚させたっす」

 幻術と聞けば、俺がまず思い出すのは魔孤魅の幻術だ。あまり詳しくはないが、幻術そのものがどういうものなのかは感覚として知っている。まさか傷の治療に、こんな形で応用できるとは初めて知った。

 「花夢里、よく来てくれたな。正直、俺たちだけじゃまずかった」

 「ええ、俺も旦那も間に合ってよかったっす……まさか、祈さんがこんな風にやられるとは思わなかったっすよ」

 祈の胸が、ゆっくりと上下している。幻術で肉体を錯覚させ、傷が幻であると身体に誤解させたことで出血を止めているのだという。加えて幻術の付随効果で痛みも誤魔化せているのだという。限定的な状況下での処置としては、この上ないほどのものだと言えるだろう。

 だが、それを差し引いたとしてもあまりにも状況はひどいものだった。

 (守護において右に出るものなき払﨑の天才が深手を負い、肝心要……頼りにしていたはずのケイは放心状態……)

 そして何より、俺はケイの本心を、本当の目的を聞いてしまった。

 俺は放心するケイに、何と声を掛ければいいのか分からない。

 『死にたい、だろ』

 プランの言葉が、俺の耳の奥にこびりついていた。

 胸を抉るようなその言葉は、俺にも馴染みがある。ただ、あの牢獄の中で朽ち果てる時を待っている俺はもしかしたらずっとそう考えていたのだから。

 

 俺は、俺は——。

 死にたいと思う人間に、手を貸そうとしていたのか。


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