第18話 凶刃、西より来たる

 天を見上げれば、天の果てで星々が瞬いていた。先ほどの戦闘が嘘のように、今は穏やかな時間が流れている。思えば牢獄を出てからというものの、こうして一息つく時間はなかったように思える。

 (デパートで着せ替え人形にされて、そのままの足で母さんに会いに行って。んでもってその後はまた牢獄、からの真夜中の山中で命がけの結界の修繕、か)

 指折り思い出してみても、牢獄にいるうちは到底体験できないようなエピソードの数々。

 外にいれば、意外とこんな毎日が当たり前なのかもしれない。

 ただただ、来る日も来る日も変わらず檻の中で暮らす日々に比べれば、それのなんと刺激的なことだろうか。

 後ろではまだ、拝たちがギャーギャーと騒いでいた。まったく、つい先ほどまで寝込んでいたというのに大層な回復ぶりだった。

 「山中では活躍できたかのう、少年」

 「今さらなんだよ……まあ、牢の中での鍛錬も無駄にならなくてよかったって思ってたところだ。あれくらいで死んでたら、魔孤魅に地獄でどやされる」

 あの九尾なら、本当に地獄までついてきそうで洒落にならない。今になって冷や汗が背筋を流れた。

 俺は嘘偽らざる気持ちを吐露する。

 拝やひどりの加勢もあって、スレスレで事態を乗り越えたが、ケイは顔色一つ変えずにケロッと山を下りてきたのだろう。純粋に年季が違うということもあるが、ケイはどこか飄々としているその在り様そのものが強さの根源なのだろう。

 (俺とは全然違うもんな……)

 技量、知識、経験、そして心の持ちよう。

 その全てを以て、俺とケイは全然違う。魂の改竄という強みを持ってしてもなお、ケイの足元にも及ばないだろう。

 「……ふっ!」

 「なんじゃ、遊んで欲しいのか」

 ケイは俺の隣に腰掛けたまま、ニヤニヤとした顔で俺を見ていた。これくらいのことはお見通しだと言わんばかりの反応に、俺は出しかけた爪を解くとがっくりと肩を落とす。

 眼球の寸前スレスレで止まった爪の先端は、あとわずかでも前に出ていれば眼球を容赦なく突き刺していただろう。

 まるで気にしていない。肝が据わっているのか、はたまた俺がそもそもケイの眼中にないのか。

 どちらにしても、それが今の俺という術師の限界なのだ。もっとも、術師なんて名乗るにはおこがましい程度の実力なのだが。

 重力が10倍くらいになった気分だった……とんだ徒労もあったものである。

 「……まあ、これくらいじゃびびらないよな」

 「なんと、今のは脅しじゃったか! ああ、怖い怖い……心臓がいくつあっても足りんわい」

 ペロッと舌を出し、いかにも恐ろしいという仕草。しかし、今の俺はもうそんな易い挑発に答えるほどの気力もなかった。鋭爪も、今日は開店休業状態である。

 ポツリと、俺は山で出くわした化生について語った。ケイは黙って、それを聞いてくれていた。

 不思議と、懐かしい気持ちになる。そういえば、魔孤魅もこんな風に俺が何かを語るときには黙って耳を傾けてくれていたものだ。

 「かまいたちが出たんだ、俺の爪じゃ相手にならなかった。ケイがいれば、多分すぐにカタがついただろ……ちぇ、俺もそっちのチームに入れてもらえてたらなぁ」

 「かまいたち……か。確か、この国の化生の類じゃったな。しかし、お主の爪が競り負けたか。見たところ、なかなかの武装に見えるが」

 「んー、俺の爪って武装っていうよりかは完全に爪なんだよな。ケイも見たことあるから分かるだろ、俺の変化ってある程度任意ではあるんだけど馬だったり狼だったりいまいちベースが何なのかはっきりしないんだよな」

 「ふむ……確かに、魂の改竄によって肉体の側が引っ張られるというのは珍しくはない。だが、それは魂をどういう方向へと改造するかというベクトルに紐づけられて居るものじゃ」

 「んー、つまり俺の魂は獣の化生の力を引き出すように改竄されたってことか?」

 ケイは俺の手を取りしげしげと眺める。長い洞窟生活のせいで、俺の手先は大分分厚い皮になっていた。爪も不揃いで、肌は荒れに荒れている。

 別段、人に見せることに抵抗があるわけではないが、こうもじっくり見つめられていると気恥ずかしさもある。

 「……な、なあ。そろそろいいか?」

 「ん、ああ……すまぬ、少し考えていた」

 観察していたわけではなかったらしい。見られ損だったような気もするが、ケイにはケイの思惑があるのだろう。再び頬に手を当て、ぼんやりと視線は宙を彷徨っていた。

 こういう時のケイの横顔は、やはり魔女なのだと思わされる。深い知啓に、神経が接続されているのだ。

 それからしばらくケイは考えこんでいたが、結局かぶりを振った。

 「お主自身は、自分が一体どういう能力を持っているのかは分かっておるのか」

 「いや、全然。周りに散々魂の改竄がどうだのこうだの言われてきたけど、一番は多分あれだな」

 俺は象形の傍にある呪い刀を指さす。

 他の家の呪い刀事情というものを、俺は詳しくは知らない。ここにやってきて、偶然象形が呪い刀を担いでいるものを見たのことが恐らく自分たちの一族――字見家が持っていた呪い刀以外を見たのは初めてのことだ。

 「呪い刀……呪いに適応するために、魂を改造するか。確かに、呪いは魂に作用する以上魂を強くすることは呪いの太刀を振るうためには自然な改造じゃ。じゃが、何かひっかかる……本当にそれだけか? それだけなら、わざわざ肉体をより化生へと近づける必要があるのか?」

 疑問は、水面に波紋を立てるようだった。

 改めて、自分が何者なのかを問われている。魂の改竄、呪い刀、変化……ピースは存在しているのに、その勘合はとても歪だ。

 肝心なところは、欠けている。

 「うーん、何かはっきりしないな……そういや、かまいたち以外にも化生が出たんだった。流石にそっちには負けなかったけどな、俺の爪も」

 「ほう、ではそっちは大量じゃったな」

 「どうかな、拝の様子が何だかおかしかったし流石にあれ以上は俺も庇いきれなかったかもしれない。何て言ったらいいんだろ……そうだ、案山子だ。あれは案山子だだったな、間違いない」

 「……案山子?」

 ケイのこめかみが、ピクリと動く。

 「ん、だよな? 一本足で、顔のない頭がくっついてて。んでもって、腕は——」

 「鎌が二振り」

 「そうそう、鎌の腕だった……って、何で分かったんだケイ?」

 俺が疑問を抱いた瞬間、首筋がゾワっと逆立つような感覚が襲ってきた。無意識に腕を変化させ、反射的に臨戦態勢を取る。

 気が付けばケイは右腕を振っていた。

 「『ヴァルムンク・トレース』」

 盛大な地響きと共に、枯山水の庭が裂けた。地割れのような結果だけが残り、コンマ数秒遅れて家屋がメキメキと悲鳴を上げる。舞い上がった砂ぼこりで視界が奪われるが、祈と象形もまた俺とケイに並び立つように各々指印と呪い刀を構えている。残心するケイの腕に、在りし日の美しいつるぎの残影が見えた。

 「っ、一体何だ!?」

 象形の困惑が混じった怒号が飛ぶ。俺にも何だか理解ができない。怖気が走ったかと思えば、次の瞬間にはケイが庭を割っていたのだから。

 「すまぬな、つい反射で手が出てしまった。弁償はそうじゃな……あやつを追い出すことで勘弁してもらおうかの」

 ケイが見上げる先、邸宅を取り囲む塀の瓦屋根の上に一人の女が腰を下ろしてこちらを見提げていた。

 「……」

 底冷えするような瞳、月明かりが反射しその姿は一層禍々しく映る。到底、太陽の下を歩くことはないようなその姿に思わずゴクリと喉が鳴る。

 あの監獄の中でも見た覚えのない、化け物がそこにいた。

 「やあ、ケイ。こんなところで出会うとは奇遇だな」

 「……奇遇? そんなわけなかろう、プラン。ベルリンで別れて、一体何百年の月日が流れたと思っておる……!」

 「あー、もうそんなに経つんだっけ? いやいや、時間が過ぎるのは早くて困るねぇ。見てよ、おかげ様でもう身体もあちこち継ぎ接ぎだらけになっちゃった」

 プランと呼ばれた魔女は自らの身体を指し示すと、不格好な継ぎ目を指で撫でる。腕、足、顔、そして見えていないがローブに覆われた胴体もまた継ぎ接ぎだらけなのだろう。

 人の姿をしているのに、人間よりもずっと不気味だった。双眸の奥には、よどんだ輝きが湛えられている。

 緊張のせいか、ジンワリと指先に汗が滲む。

 (化生? 妖異? どうする、どうする……!)

 「あんた、一体何者よ……一日で三人も人んちに勝手に入り込んでくれちゃってさ。無事に帰れると思ってるの……!」

 警戒で動けない俺たちを他所に、拝がヨロヨロと床から立ち上がり歩み出る。ひどりがしがみついて必死に静止するも、拝は構わずに縁側までやってきた。

 鋭い視線は、先ほども見た意志の強さを感じさせる。しかし、プランは意に介する様子もなくケイに視線を向け続けた。

 「なあケイ、こんなところで魔女でもない連中と慣れ合ってるくらいならさぁ」

 「黙れ、それ以上口を開くな」

 ケイが睨むと塀の一部が切り裂け、漆喰の壁がボロボロと崩れ散る。派手な音を立て瓦礫になった瓦の山ができる。

 「はは、刃の魔女は未だ健在ってわけだ。『視線にて断つ』か……まったく、羨ましい限りね。なあケイ、私は今でもあんたのことを買ってるんだよ。同門のよしみじゃないか、また一緒に楽しくやらない?」

 「その問答は、もうあの時に答えが出たはずじゃがのう。ワシにはワシの、お主にはお主の時間がある」

 話し合いは平行線だった。どれだけプランが言葉を尽くしても、しかしその言葉はケイには届かない。突然現れたケイの旧知に俺たちは身動き一つ、口先一つも動かすことは叶わない。

 

 あまりにも、その存在は強大だった——。

 

 

 

 

 

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