第19話「偏気」
*
新年度早々、体調を崩した。
見事に私の「変化に耐えられないだろう」という予測が当たった。まあ、予測通りといえば予測通りなのだが、体調不良の中仕事をしなければならないというのは、辛いところである。いや、別段労働を強制されているという訳ではなく、休むほどの体調不良ではないのだ。病気でウイルスを職場で撒き散らすこともなければ、特別な事情があって休むというほどでもない。大変なのは、皆一緒なのだ。そう思って、我慢した。我慢できる程度の、具合の悪さであった。新年度という――繁忙期ほどではないけれど忙しい時期に、仕事に穴を開けるわけにはいかない。出来る限り平然として仕事に従事した。
学生時代は、自分の具合の悪さにも気付くことなく無茶ばかりしていた。そのせいで寝食を忘れてぶっ倒れることもあったけれど、今となっては、自分の尺度というか、無理と無茶の丁度良い塩梅を覚えた、とでも言おうか。
それもまた、大人になる――ということなのだろう、と思う。
しかし、大人になることによって、失ったこともある。
自分を顧みない、無理と無茶ができなくなった。
大学生時代までは、良い意味でも悪い意味でも自己責任として課されるものが軽かった。だからこそ、都合の良いように四徹したり、講義を自主休講して小説を書き続けたりすることができた。
しかし今は――というと、明日明後日の仕事に響くからという理由で、過度な無理は出来なくなっている。
否、しないようになった、とでも言うべきか。
仕事と生活と、同時並行で小説を書くということは、そういうことである。極端にどこかにパラメータが寄るようなことは、あってはならない。もしそんなことがあれば、途端にその三角形は崩壊する。
しばし友人と話した際に、「仕事を辞めて、小説一点に集中してはどうか」と提案して来る者もいる。
私は、それを選びたくない。
そうしてしまえば、逃げ道がなくなってしまうからである。
何か一つの夢を目指すことは、確かに格好良いことだ。ただ、格好良いだけではやっていけないというのも、また世の常である。そうして一点集中して――つまり仕事を辞めて夢を追う選択をして――その一点しか見ることができなくなって、生活が破綻し、心に病気を抱えることになった友人を、一人知っている。
その友人は、精神的に追い詰められ、もう夢を追うことも辞めて、自宅にずっと引きこもり状態なのだそうだ――と、友人づてに聞いた。
安全策ばかり選んでいて、簡単に賞が取れるとは思わない。
しかし、安定した生活は維持した状態で、自立した自分でありたい、と、私は思うのである。
そういう自分を確立した上で、目指すものを目指したい。
そう思うのである。
いつまでも学生気分ではいられない。私の人生は、私が責任を取らなければならないのである。
無論、小説家になりたいという思いは、曲げるつもりは毛頭ないけれど。
まずは自分の生き方を考えなきゃね、という話である。
(続)
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