第20話「漫然」

 *


 漫然と――書いていた訳ではないと、一応冒頭で言い訳をさせてもらおう。これは、あくまで作家志望の誰かさんを描写した、陰鬱な私小説である。


 そんな一種の内省的文章が、まさか継続して20話まで届くとは、私自身思っていなかった。正直、途中で話の種が枯渇して、主人公の誰かさんが小説家になって大団円を迎えるものとばかり思っていたけれど、そんなことはなかった。誰かさんが小説家になることはなく、かといって何者になれるわけでもなく、ただぽつぽつと、不定期更新という名の通り、不定期に世界観が更新されていった。


 継続は力なりと人は言うけれど、何かを続けることはとても苦手である。この性格のせいで(いや、性格のせいにするのは何か違うか)、多くの事柄を諦めてきた。


 ただでさえ小説の執筆を継続できていること自体が奇跡的なのに、連載など続くはずがない。そう思って、筆を始め、もとい、打鍵を続けていた。どうせ途中で続かなくなる。あら齟齬そごを指摘されて、面倒臭くなって中途半端で投げ出すに決まっている。


 そう思って――書き続けて。


 もう20話である。


 いや、ネット上には、もっと多くの話数を書き続けている猛者の方を何人も把握している。そんな方々からすれば、そして世間からすれば、大した数字ではないのだろう。ただ、私にとっては、大きな数字であることに違いはない。


 そもそもこの小説を書き始めたのは、2024年の9月頃だったと記憶している。恐らく人生史上最も大きな、小説のスランプに陥っていた時である。何を書いても、面白いと思えなかった。駄目な話ばかりだった。そんな解決策の一環として、己を見つめ直す一手段として、この小説を書き始めたのではなかったか。


 我ながら良く続いたものである。


 ところで私は、自己肯定感があまり高い方ではない。


 否。


 それは現代の流行に寄せた言い方で、実際のところは違う。


 私は、自分の褒め方が、本気で分からないのである。


 人は何か成功を積み重ねることによって、自信を得、自分という個の在り方をその場所で確立してゆく。

 

 何の因果かは知らないが――そして原因は明瞭はっきりしているが、私は、自分を褒める言葉を知らない。


 他のどうでもいいような、形だけの格好良い言葉ばかりは知っているのに――その部分だけが、欠落している。


 もう20代も折り返し地点を迎えた今である。昔こそ、その欠落を埋めようと躍起になっていたものだったけれど、今では、自分はそういう風に生きてゆくしかない生き物なのだな、と納得するようになった。


 これは決して、諦観ではないと思う。


 世間的に言うところの――自己肯定感が低い自分としての生き方の、肯定。


 別に自己肯定ができなくとも、そういう自分が、存在していても良いじゃん――という肯定。


 それができるようになっただけでも、十分ではないだろうか。


 故に――最後には、苦手で不得意でどうしようもなく変てこな、私自身への賞賛の言葉をもって、この20話目の締めくくりとすることにしよう。


 おめでとう。


 物語は続く。


 現実が続く限り。




(続)

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