私たちが 黒瀬ヒカル

「あ…。」


 驚いて力が抜けて、倒れてしまう。ボトッと音がして、私の左の腕が落ちた。女の子の嬉しそうな笑い声がこだまする。耳にキンキンと響く、嫌な声だ。


 もうこうなっては、逃げられない。


「うぅ…!」

 私は『急いで立ち上がって自分の腕を拾った』。そして断面同士を合わせる。

 一秒後、私の腕は元に戻った。アイボリーのカーディガンの左腕部分だけが残る。残りのカーディガンも脱いでしまった。着ている服が夏物でよかった。


 これが私の超能力。

 私は首を落としでもしない限り、死なない身体なのだ。


 これがあるから嫌だった。ああ、バレてしまった。

「あなた…なんなのよ!」

「私が知りたいよ…。」

 すぐにまたリボンが飛ぶ。今度は肩が持って行かれた。衝撃でよろけるが、すぐに再生する。女の子が、まるで怪物を見るかのように私を眼に収める。どうしよう、さっきから東雲くんが静かだ。逃げてしまったかな。でもそれならいい。私はここで時間を稼ぐ。

「黒瀬…あ、そうか。そういうことだったのか…!」

 けど東雲くんはまだそこにいた。そして、何かを発見していた。


、能力者だったのか。」


「え…?あ…。」

 そう。私は大事なことを忘れていた。


 怪異が見えている時点で、東雲くんも『普通』ではない。

 そしてきっと、東雲くんも超能力を持っている。


「黒瀬、腕痛くない?」

「うん、平気。」

 東雲くんがこちらに寄る。怖がってはいなさそうだ。いつから『黒瀬』になったんだろう、と思いつつも、なんだか嬉しくて心の中でリピートしてしまう。

 東雲くんは辺りをキョロキョロと見渡し、何かを取りに走る。持ってきたのは、金属バッドだった。

「…行ってくる。」

「え?危ないよ…!」

「大丈夫、これが『俺』だから。」

 そう言った東雲くんは、いつものクールな色だった。


 バッドを握ったまま駆け出していく。いざとなれば私が肉壁になれるかも、と私も付いていくがその速度についていけない。

 走って、一気に跳ぶ。向かうリボンもふわりと避けた。あっという間に距離を詰める。

「あなた、はしたないわよ。」

 そう言って取り出されたのはナイフ。けどそれより先にバッドが雷の如く振り下ろされる。

 鈍く低い音が鳴って、女の子は倒れた。それと同時に、固く尖っていたリボンもやわらかく舞い落ちる。

 こちらを振り向いた東雲くんのバッドには、赤いものがついている。

 けど、怖がってはいけない。東雲くんだって私を怖がらなかった。


「すごいね、東雲くん。」

「…どうも。」

 カランと音が鳴って、バッドが捨てられる。代わりに置いて行かれたランタンが拾われ、再び歩き出した。

 あの大きなリボンは女の子のそばに置いておいた。なんとなく、あの子にとって大切なものな気がして。

 それから数分経った頃。やけに明るい場所が見えてくる。東雲くんと目を合わせて、そこに向かうことに。


 暗い場所に、一筋のスポットライトが当たる。そこにはうちの高校の制服を着た、先ほどの子と全く同じ顔をした子が寝ていた。スカーフの緑色からして、先輩だ。

 ただし、手首をリボンで縛られている。

 ゆっくりとリボンに触れて、両手で端を持つ。


 深呼吸をして、リボンは解かれた。



「へーんしん!」


 私は、男の子っぽいものが好きだった。


「すごーい!いけー!」

 サッカー選手に憧れた。

「見てみてー!捕まえたー!」

 虫を捕まえて披露していた。


 けど、お母さんはそれが嫌いだった。


「ねえ、なんでアイちゃんは男の子みたいものが好きなの?私、アイちゃんには可愛くあって欲しいの。」

「でも新幹線が…」

「なんでそんなこと言うの!!」

「…ごめんなさい。」


 ズボンはワンピースに。サッカーはバレエに。虫はアクセサリーに。髪も伸ばして、お母さんが毎日整えてくれていた。体育の授業は最小限に定められた。

 私ね、本当は陸上部に入りたかったの。けどダメで、家庭部に入ったの。

 図書室も好きよ。だって、窓からサッカー部や野球部の活動風景が見えるもの。


 一回だけ、お父さんにお願いして少年漫画を一冊だけ買ってもらったことがある。それはかなり人気で、アニメにも映画にも舞台にもなっていたから。

 けど翌日、それは消えていて、慌てて探した。そして…

 お母さんがまさに今出そうとしてるゴミの中にあったの。


 昨日のうちに全て読んでしまったものだけど、とても辛かった。

「お父さんったら、やぁね。こんなもの買ってくるなんて。」

「ごめんなさい!私がお父さんにお願いしたの。どうしても漫画が読んでみたくて…!」

「分かってるわ。アイちゃんは悪い子じゃないって。ただ欲しかったのよね。お母さんが買っておいてあげたから。」

 そう言われ、お母さんが指差した紙袋には、漫画がぎっしりと詰まっていた。

 けど、全て少女漫画だった。

 少女漫画が面白くないとは思わない。けど、私が読みたかったのは、あの少年漫画だ。それらを部屋に運んだ後に涙が溢れてきた。

 せっかくお父さんが買ってくれたものなのに。面白かったのに。もっとよく目に焼き付けておけば良かった。

 その日の夜、お父さんの夕食は作られなかった。お父さんは『気にしてない』と言って、むしろ私の方を心配してくれたのに、翌日にお母さんからとあることを言われた。

「もうアイちゃんはお父さんと会わなくていいからね。あんな人といたらアイちゃんが可哀想だわ。」

 

 もう、お父さんには四年近く会っていない。部屋のドア越しに聞こえる声だけが、お父さんがこの世にいる証だ。


「アイちゃんは本当に可愛いわね。」

「ありがとう、お母さん。」

「お母さんじゃなくて、『ママ』でしょ?」

「はい、ママ。」


 ママ、お父さんに伝えて。

 私、背が伸びたのよ。私、お父さんのことが大好きよ。私、秘密で友達とバレーボールをしたの。とっても楽しかったわ。けど私、ママも大切なの。

 私、まだ生きてるのよ。



(あ…。)


 起きたら、そこは図書室だった。けど窓の外は夕陽が差している。

「そろそろ下校時間ですよー。」

 いつの間にか戻ってきている司書さんにそう声をかけられて、急いで教室にリュックを取りに帰る。手が重いと思ったら、そういえば炭酸水を買ったのだった。


 下駄箱に向かうと、そこには黒瀬が待っていて、俺が見えると小さく手を振った。

 未だに信じられない。俺の他に能力者がいたなんて。黒瀬は回復の能力を持っていたなんて。

「…東雲くん。見た?」

「うん。」

「あんなことがあったなんて…。私、何かできないのかな。」

「相手は先輩で、向こうは俺らのこと知らないからな。」

「…祈るしかないのかな。」

「そうだろうな。けど、俺らは確実に何かを成し遂げているはずだ。だって事実、あの狂った女は倒したわけだし。」

「狂った女って…。でも確かにね。」

 黒瀬は左腕をさする。どうやらカーディガンは元に戻ったようだ。腕も問題なさそう。あれは本当に驚いたな。死んだかと思った。


「…暑いね。」

「だな。」

「あ、東雲くん、いいもの持ってるね。」

「これな。全然冷えてないけど、飲む?まだ口つけてないし。あげるよ。」

「そうなの?ならもらっちゃおうかな。」

 そう言って黒瀬がペットボトルを受け取り、開ける。なんだか変な顔をしてから傾け、『確かにぬるいね』と言った。

 …ん?あれ?何か忘れている気がする…。

 相当喉が渇いていたのか、黒瀬が半分くらいを飲んでしまったところで、俺はとある重大な事実に気づく。


「あの、黒瀬さん。」

「はい。」

「すみません、それ、俺ちょっと飲んでました…。」

 そう。俺は買った直後に、味見くらいのつもりで僅かに飲んでいたのだ。すっかり忘れていた。

 黒瀬の顔はみるみるうちに赤く染まり、手が小刻みに震え出す。

「ほんとにごめん。」

「だ、だから開けた時になんの音も鳴らなかったのね。あ、そういうことね。私は、だ、大丈夫だから…!」

 明らかに大丈夫じゃない声で返ってくる。心底行動を後悔してしまった。黒瀬に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

 けど黒瀬はそのペットボトルを大事そうに抱えた。なんでだろう。すぐに捨てていいのに。

 気まずい空気を割るように黒瀬が帰り道が別れることを言い出す。そして違う方へ歩き出した。だが、数メートル歩いたところでこちらを振り向く。


「またね、東雲くん。」

「また。」


 まだ黒瀬の顔は赤い。とても怒らせてしまったようだ。

 何かお詫びでも用意しようかな。

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ティーンエイジモンスター 真白いろは @rikosyousetu36

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