一章 それは一瞬だった

美しい花には毒がある 東雲ハルカ

 不思議、という言葉が似合うと思う。

 特に騒がしいわけではない。かと言って、いつも一人で静かに過ごしているわけでもない。

 黒瀬ヒカルさんはそんな人だ。


 その日は暑くて、秋とは思えない気温だった。水筒の麦茶も空になってしまい、放課後に集会室へ向かった。集会室には自販機があり、近くのコンビニより安いのが嬉しい点。メジャーな炭酸水を買ってほんの少しだけ口に含み、教室に戻ろうとすると、向かい側の階段を下る黒瀬さんが見えた。

 階段を下った先は図書室だ。俺は行ったことがない。部活には所属していないので、時間には余裕がある。

 なんとなく、行ってみたくなった。


(すげぇ…。)

 司書の人は奥で何か作業を行なっており、まだ部活の時間ということもあって人がいない。いや、正確的には黒瀬さんと俺しかいなかった。

 大きな窓からは日が差し込み、本棚がずらりと並ぶ。奥のスロープを降れば自習スペースという作りだ。基本的に木をベースとしていて、温かみがある。クラスの奴らが『昼寝部屋』というのも納得できそうだ。


「なにかお探しですか?」

「あ、いや…別に…。」

「おすすめコーナーはそこにありますから、ゆっくりしていってくださいね。」

 そう言ってやわらかく微笑むと、司書さんは本をいくつか抱えて図書室を出てしまった。

 『おすすめコーナー』と書かれた場所には、先生方のお気に入りが飾られていた。うちの担任は、有名なミステリー本。俺も中学の頃にこの本のアニメ版を見た。

 あの時はなんとなく暇つぶしに見ていただけだったのだが、段々と魅力に囚われていって、最終話まで到達する頃には主人公と一緒に犯人を考察していた思い出がある。

 読んでみようかな、そう思って手に取る。今はデジタルでも本が読めてしまう時代だが、なんとなく俺は紙をめくる感覚が好きだったりする。


「それ、素敵な本だよね。」


 そう言われて隣を見ると、黒瀬さんが立っている。長く綺麗な髪が肩から流れていた。図書館は異様に冷房が効いているため、アイボリーのカーディガンを羽織っている。

「そうだね。」

「東雲くんは、よく図書室に来るの?」

「いや、初めて来たんだ。」


 こうやって黒瀬さんが隣に立つと、少し失礼だが身長差が目立つ。俺も高くはない方だが、黒瀬さんはひょっとすると、クラスの中で最も身長が低いのではないのだろうか。

 だが少し、驚いた。全く別のことだが、誰かが自習スペースにいる。

 こちらを向いて立っていることに黒瀬さんも気づいたらしく、不思議そうに見ていた。

 女子生徒で、スロープの途中あたりだろうか。少し下を向いているようで、よく顔は見えない。とりあえず俺が会釈をすると、真似して黒瀬さんも会釈した。


 俺ら二人とも、関わってしまった。

 女子生徒に顔はない。つるんとした肌が続いているだけだ。


『タ、ス、ケ、テ…』


 目の前が黒く染まった。



「ん…あれ…?」

「どこだ…。」


 目が覚めれば、そこは図書室とは程遠い場所だった。

 どこまでも続きそうな石の床に、目線を上げれば星が瞬く夜空がある。全体的に暗く、明かりは俺らのそばに置かれたランタンのみだ。奥が見えない。そして周りには多種多様なものが転がっている。まるで、捨てられてしまったように。

「東雲くん、どうしよう…」

「…進んでみる?」

「うん、分かった…。」

 そう言うと黒瀬さんは恐る恐るランタンを持ち上げる。黒瀬さんもここがどこか分からず不安なのだ。


 進んでみるも、景色は大して変わらない。転がっているものは、おもちゃだったり服だったり。

「サッカーボールだ…。」

「黒瀬さん、サッカーできるの?」

「ううん。私、運動は苦手だから。東雲くんは?」

「まあ、それなりに。」

 そう言って、軽く数回だけリフティングしてみせると隣で拍手が起こった。俺なんかよりサッカー部の奴らの方がよっぽど上手だろうけどな。

 他にもバスケットボールやおもちゃのロケット、怪獣のフィギュアなど、なんとなくまとまったジャンルのものが転がっている。

「あ、このゲーム知ってる。」

「俺も。やったことないけど。」

「そうなの?これ、ラスボスと戦うまでのストーリーが自由で、自分好みに動けるんだよ。」

「へぇ…。オープンワールドってやつ?」

「そうそう。特にこの主人公が…って、ごめんね。話しすぎちゃった。」

「全然いいよ。」

 黒瀬さんは手に取ったゲームのカセットを元の位置に置く。さっきの黒川さんは、とても瞳が輝いていた。いつもは本を読んでいるイメージが強いから、ゲームとかやるんだな、と思ってしまう。

 その時、どこからか音が聞こえてくる。なんだか、ズリズリと這うような音がこちらへ向かっている。黒瀬さんがランタンを掲げた。


『あら?お客様かしら。』


 髪は明るい茶髪でふわふわとして長く、煌びやかな桃色のドレスを纏った女の人だ。耳にも首にも手にも、至る所が装飾品で飾られており、後ろにはとても大きく長い桃色のリボンが付けられている。さっきの音はそれを引きずるものだったのだ。黒瀬さんが安堵のため息をつく。

「私たちここに迷い込んでしまって…。あの、ここから出る方法を知りませんか?」

「…あなた、なぜそんな格好で平然としていられるの?」

「え…?」

「あなたの格好、とても地味で見ていて不愉快だわ。」

 そう言っても、黒瀬さんが着ているのはただの制服だ。確かに華やかな装飾品は付いていないが、これは学校で指定されているだけだ。

 女の人は黒瀬さんを睨みつける。とても冷たく、締め付けるような鋭い視線だった。けどすぐにそれは何かに気づいたような顔に変わる。


「そうだわ、私が可愛くしてあげればいいのね!」


 胸の前でパンと手を叩く。その顔は喜びに満ちていた。

「そうねぇ…。あなたは私と同じピンク色の、フリルのたくさんついたドレスが似合いそうね。髪も二つに結んで…。ああでも、バラをたくさんあしらったワンピースも…」

「あ、あの、私たち帰らなくちゃならなくて…。」

 その時、さっきから感じていた違和感が分かる。

 この女の人だけが、フリルやリボンに囲まれているのだ。この、戦隊ヒーローのベルトや電車模型、野球バットの転がる世界で、ただ一人、彼女だけが浮いている。


「…じゃあいらない。」


 引きずられたリボンが波打つ。もう先ほどの笑顔は冷たくなった。カッと開かれた瞳は、赤く充血している。握られたドレスが深くシワを作った。


「あなたたちも処分してあげる。」


 背中のとても大きなリボンは解かれ、宙へ浮き上がる。これは絶対にまずい。

「さよなら。」

 手の動きと同時に、意思を持ったようにリボンがこちらに飛んできた。とても固そうに。


ドガーン!

「黒瀬さん、走って!」

 ランタンを黒瀬さんから受け取り、走り出す。黒瀬さんが離れないように手を繋いで。

「なぜ逃げるの?逃げなくていいのよ。」

 少し後ろを向くと、女は滑るようにこちらへ追ってきている。リボンの力は凄まじく、周りにあったものが一瞬にして破壊されていく。轟音が鳴り止まない。

 その瞬間、右手が強く引っ張られた。

「うっ…!」

 黒瀬さんが大きく転ぶ。しかし女は止まらない。リボンはそのまま黒瀬さんに飛ぶ。


 宙を舞う。黒瀬の左腕が。


「黒瀬!」

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